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第32回 後編  荻野淳也 氏 |コントロールプラス株式会社
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Webエンジニア武勇伝 第32回 後編 荻野淳也 氏(ogijun) | コントロールプラス株式会社

今回は、第20回の「Webエンジニア武勇伝」に登場いただいた日本Rubyの会会長・ツインスパークシニアプログラマ高橋征義 氏のご紹介で、ogijunさんこと、コントロールプラス株式会社の荻野淳也さんにお話をお聞きしました。荻野さんはRubyをはじめ、あらゆるカンファレンスに足を運び、自らの師やコミュニティの繋がりを作られてきました。そんなとっても熱くてとってもクレバーなogijunさんの生きざまに魅せられたインタビューを存分にお楽しみください。熱いインタビューは150分にも及ぶロングインタビューになりました。前編後編に分けてお届けします。取材は、デザイナーズマンションを利用したオフィスをお借りしました。


荻野淳也 氏

  • ◆ 1975年生まれ。新潟県糸魚川市出身。
  • ◆ 東京都立大学在学中からプログラミングのアルバイトをはじめ、フリーランス、起業なども経験しつつ数社を経た末、2007年8月よりコントロールプラス株式会社にて『デート通.jp(http://www.date2.jp/)』の開発・運用を担当。
  • ◆ 谷山浩子とネコと本とお能とコーヒーとMacとRubyをこよなく愛す。個人blogはこちら (http://d.hatena.ne.jp/ogijun/)。
  • ◆ デート通.jpとも関係が深い、コントロールプラス株式会社の「デート支援金制度」がカヤックの柳澤さんの著書で紹介されています。


  • ◆ 書籍『Webアプリケーション テスト手法』(共著)」

川井: その後は、辞められてまた個人でお仕事をやられていたんですか?
荻野: Webエンジニア武勇伝 荻野淳也氏(ogijun)そうですね。ちょうどその時にガラパゴスを通じてWebObjectsの人脈で知り合った人で、ニューヨークで起業していた方がいたんですが、日本法人を起ち上げるので手伝ってくれないかというお話をもらったんです。ここはある人材系大手から仕事を請け負って、結構大きな新卒採用向けのWebアプリケーションを作っていて、WebObjectsのエンジニアは恒常的に不足していて足りないということでした。今空いてるんでしょ?という感じで、ほいほいと馳せ参じて一緒にやることになって、肩書きをもらってそこにちょうど1年くらいいましたね。
川井: 1年くらいいらっしゃったんですね。
荻野: はい。でもこの会社はもう今は解散になっていますが。
川井: そうなんですね。英語はお得意なんですか?
荻野: いえ。全然得意じゃないですね。
川井: なかなか、こういう英語のレジュメをお持ちの方はいらっしゃらないと思いますので。
荻野: そうですよね。転職のときの売り込み資料だったので、英語が得意の方が高く売れるだろうという戦略的なところがありました(笑)
川井: なるほど(笑)
荻野: ガラパゴス時代の2001年に初めて、アップルのWWDCというのに参加したんです。それも、かなり自分にとっては転機になりましたね。国内だとマイノリティ仲間がいないという感じなのに、海外に行くと志同じにしたエンジニアが3,000人とかいましたからね。その頃はまだ学生席がありましたので、スチューデント・スカラシップという制度を利用して2,000ドルくらいする参加費のところをタダで参加することができました
川井: なるほど。
荻野: それまでも英語のドキュメントとかを読んだりとかしていたつもりだったんですが、まるでわかっていないな、全く英語出来ていないなというのをその時に痛感したんです。意思疎通もままならないし、ランチの時の会話なんて全く出来ませんでした。技術的な話なら少しとは思っていたんですが、それもうまくいかなかったですね。その時、英語コンプレックスが突然大きくなって、これはなんとかしないといけないなと思いました。特に自分は日本語の情報が少ないようなものを選んでやっているので、勉強しないとダメだなと実感して、それから英語の勉強をやり始めました。
川井: では英語の勉強はすごくされたんですね。
荻野: ええ、がんばったつもりではありますね。その話も、話し始めると結構長くなっちゃいますね。あまり僕自身英語を修得しているとは言えないはずなんですけど、本田直之さんの「レバレッジ英語勉強法」という本に苦労して英語を修得した人の体験談という感じで僕のインタビューが4ページ程載っています。
川井: そうなんですね。先ほどおっしゃっていたWWDCというイベントについて、もう少しお話を聞かせて頂けますか?
荻野: これはですねWWDC、World Wide Developers Conferenceというんですけど。アップルコンピュータが年に1回世界中から開発者を集めて、まだ未発表なものとかも含めて技術についてプレゼンをしてくれる、という大きなイベントなんです。このインタビューが若い人向けということであれば、強く言っておきたいのは、セミナーとかイベントとか積極的に行くべきだということです。
川井: そうですよね。
荻野: ものすごくモチベーションがあがります。今年僕は行っていないんですが、WWDCというイベントは本当に素晴らしいイベントで2005年まで毎年参加していましたね。
川井: イベント行く人、行かない人はきっぱり別れますよね。
荻野: Webエンジニア武勇伝 荻野淳也氏(ogijun)そうですね。このイベントは必ずSteve Jobsが自ら基調講演をやるんです。これが、すごくアップルという会社の体質を表わしていて、他のアップル主催のイベントでもSteve Jobsが来ないことがあるんですけど、WWDCには絶対来るんです。Mac、あるいは今で言うとiPhoneのプラットフォームを開発者にとにかく開発してもらいたいという強いメッセージを感じますね。
川井: なるほど。
荻野: もっとすごい良い効果なのが、WWDCに行くと個人で活動していたりする自分よりすごい奴というかお手本にしたい人がわんさかいるんですよ。
川井: そうですよね。
荻野: その頃、我々はアップルと一緒にセミナーをやったりだとか、WebObjectsも教える立場というのをある程度やっていたりしたので、国内で聞ける相手がそもそもいなくなってたんですけど、海外に行くといっぱいそういう人たちがいて議論も出来て、だからもっと英語が出来ればもっとおもしろい話が出来るのにという、勉強する動機も生まれたりするきっかけにもなりますしね。
川井: なるほど。
荻野: これも自分にとっては本当に大事な転機でしたね。
Rubyとの出会いは?
川井: Rubyとの出会いはいつ頃ですか?
荻野: スクリプト言語としてRubyに出会ったのは、ずっと古くて95年か96年くらいにネットニュースで探して発見しました。
川井: その時使ってみたりされたんですか?
荻野: はい。あの当時は落ちているものなんでもコンパイルするのが楽しかったんですよ(笑)
川井: (笑)
荻野: Webエンジニア武勇伝 荻野淳也氏(ogijun)自分が大学のネットワークとかでログインできるマシーン全部でコンパイルできるようにするっていう、そういうのがすごい楽しくて・・・。ただ、あまりちゃんとしたコードに出来ないのでちょっとしたところを直してコンパイルは出来るんですけど、パッチを送り返すというところまでいきませんでした。いろいろなものを使えて楽しいという、せいぜいそのくらいでしたね。
川井: そうですか。
荻野: それで、最初に入った会社ではCADを作っていたんですけど、発注元がトヨタの系列会社なんですね。実はその会社にまつもとゆきひろさんが在籍していたんですよ。そんな偶然があって・・・。
川井: そうなんですね。
荻野: 実際、私自身は出張でその会社には行かなかったんですが、私の上司は何回かお邪魔していてまつもとさんとも個人的に面識があったようです。Rubyのメーリングリストをちょっと読んでいたりした時に、その会社名を目にしたりしました。石塚圭樹さんというまつもとさんと共にRubyの作者で名付け親でもある方がいるんですが、その石塚さんもうちの会社にもよく来てるよとか言われて・・・(笑)石塚さんはObject Storeっていうオブジェクト指向DBのプロフェッショナルで、うちの会社がObject Storeの代理店とかをやっていたんですよ。それで、One of toolsという感じだったRubyがちょっと身近になりました。
川井: なるほど。
荻野: ただ、それまでもやっぱりスクリプト言語としては便利だからRubyを使ってはいました。でも、Perlとかの方が昔から使っていましたから・・・。modern Perlじゃないですけどね(笑)ancient Perlなんですけど(笑) そっちに手を出していました。でも、オブジェクト指向は好きだったし、Rubyも面白いからたまに使おうみたいな感じでしたね。アルバイトに行った直後ですね。Rubyにまつわる縁を教えてもらった時に、そういう話があるんだったら、せっかくだからこれからPerl 5を覚えるよりはRubyにしようかなと思いまして使い始めたのが最初ですね。その頃はまだ普通に使ってる程度で、メインの武器にしようとは思ってはいませんでした。やっぱり、NeXT好きでObjective-Cが好きで、という感じでしたね。
川井: そうですか。便利だという実感が出てきたんですね。
荻野: はい。話が2004年まで飛ぶんですけど、私の中でRubyのポジションが変わるという出来事がありまして、ただそこまであと何分くらいでたどり着けるか・・・(笑)
川井: (笑)2回に渡りそうですね。
荻野: お恥ずかしいですね(笑)
川井: いえいえ。でも、こういうお話がおもしろいんですよ。
Rubyカンファレンスについて
荻野: Webエンジニア武勇伝 荻野淳也氏(ogijun)そのガラパゴスの後の会社に結局2005年までいたことになっているのかな。ここで、コンシューマー向けWebシステムの面白さに目覚めました。せいぜい600人とか700人のユーザー数だったんですが、それでも今までのイントラとは全然違ったスケールで、急にアクセスが増えたりとか、お客さんの反応がダイレクトにわかったり、アクセスログを見ているとちょっとアプリの挙動を変えただけでもボタンの位置を少し変えただけでも影響が出るだとか、そういう面白さを知って、もっとこういうことをやりたいなと思うようになったんです。それで、それができる場所を探しました。その会社を辞めて、しばらくフリーの期間を経てあるポータル大手に入社したんですよ。
川井: なるほど、そういう流れですね。
荻野: やっぱり日本で1番ユーザーがたくさんいて、いろいろな人に使ってもらえるWebアプリケーションを書けるのはここしかないだろうなと思ったんです。本当はもう1つ少し後に、別の検索の大手も受けていてそっちは落ちてしまいました(笑)
川井: なるほど。
荻野: その入った会社で検索エンジンのサービスの開発に関わりました。
川井: それは何年くらい携わったんですか?
荻野: 1年と10ヶ月ですね。
川井: なるほど。
荻野: そこで携帯向けの検索サービスを担当させてもらいました。入ったばかりだったんですけど、他に担当者がいないからと任せてもらえたんです。そこでPHPのプログラムを初めて書きました。面接の時にPHPはやったことありますか?と聞かれてやったことないですと答えたんですけど、まあいいです、すぐに覚えられますよね、なんてやりとりして(笑)
川井: (笑)なるほど。
荻野: この期間にWebObjectsじゃなくてもいいなと思えるようになったんです。とにかく、サービスを作るというのが楽しくて・・・。
川井: そっちに興味を持ちだしたんですね。
荻野: はい。ちょうどそれを日記に書いたりもしたんですよね。もう今年いっぱいでWebObjectsで仕事をするのは辞めましたって日記で宣言したんです。貯金を切り崩してるみたいな気持ちになってきてしまったんですよ。NeXTっていう当時としては先進的な環境でいっぱい勉強することが出来て、人より2年くらい先のビジョンを持つことが出来た訳です。それはもう全部NeXTユーザー会の諸先輩方に教えてもらったことなんですけど、それを自分でうまく膨らませることが出来ずに、世界が追い付いてきちゃった感じがしてそろそろ辞めようかなと思ったんです。
川井: なるほど。
荻野: Webエンジニア武勇伝 荻野淳也氏(ogijun)その後、2004年に初めてRubyカンファレンスに参加したんです。この回は。笹田耕一さんがYARVの開発を初めて海外で発表した会なんです。なぜこのRubyカンファレンスに僕が行くことになったのかというと、この時まつもとゆきひろさんのお子さんが産まれる直前だったんですよ。2001年から毎年Rubyカンファレンスがアメリカで行われていて、まつもとさんは毎年基調講演で招待されていたんですね。でも、2004年のこの時はキャンセルされたんです。Rubyカンファレンスの主催側はまつもとさんに代わる大物ゲストを呼ばないとと考えたんです。それで、Objective-Cという言語の作者のBrad Coxという人を呼んだんです。Objective-Cというのは、今MacやiPhoneの開発に使われていますけど、NeXTの開発環境の開発言語だったんです。自分を育ててくれたすごく思い入れのある大事な大好きな言語なんですよ。もちろん、その当時はRubyよりObjective-Cの方がずっと好きでした。でも、そのObjective-Cの作者の生の声が聞ける、しかもRubyも結構好きだしと思っていて、高橋征義さんに行きましょうよと言われて行きますって言っちゃったんです(笑)
川井: (笑)そうなんですね。
荻野: まつもとさんも行かないし、私と笹田さんしか行かないんですよと言われて、行きます行きますと二つ返事で・・・。Brad Coxの話を聞きに行ったんです。
川井: なるほど。
荻野: そしたら、そのRubyカンファレンスがすごく面白かったんですよ。しかも、当時はまだ英語の情報があまりなくて、Rubyistはみんな日本語の情報を苦労して解読していたんです。日本人というだけでものすごい厚遇してもらえたんですよね。我々はいろいろ気を使ってもらって、なんて優しい人たちなんだろうと思いました(笑)
川井: (笑)そうだったんですか。
荻野: 2004年のRubyカンファレンスでRubyについてアメリカの人たちが熱く語ってるのを聞いて、これはすごいことだなと思ったんですね。
川井: そうですか。感化されたんですね。
荻野: そうですね。それまで日本人のソフトウェアを外国の人がこんなに一生懸命使うことがあったかなと思ったんです。
川井: そうですよね。ないですよね。
荻野: Webエンジニア武勇伝 荻野淳也氏(ogijun)つい最近Ruby会議絡みで日記にも書いたんですけど、今年のRuby会議にRich Kilmerという人が来てくれたんです。彼は2004年のRubyカンファレンスの開催地であるワシントンDC近辺に住んでいるんですよ。その時ホスト役をかって出てくれていて、いろいろローカルアレンジメントしてくれて、車で観光に連れて行ってくれたりもしました。その最中に話の中で今infoetherという会社をやっていて、この会社を作ったのはRubyと出会ったからだと言っていたんですよ。Rubyがあるから、これだったら何か出来ると思ったから会社にしたんだと熱く語っていたんです。そんな人はRubyの生まれ故郷である日本でも聞いたことがなかったんですよ。海外は熱いなと思いました。
川井: やっぱり、出会いですね。
荻野: ほんとにそうですね。その時にたまたま、Brad Coxの話がまたすごかったんですよ。自分はObjective-Cは欲しいソフトウェアを作る単なる道具として、たまたま必要だったから設計して作っただけなんだということを聞いたんです。言語自体になんの思い入れもないみたいな話だったんですよ。私はものすごい思い入れがあった言語でしたからね。そんなことを聞いて「え!」ってちょっとびっくりしちゃいましたね(笑)
川井: (笑)
荻野: 彼の、自分のやりたいことをやるために言語を作るっていう発想がGeekそのものですし、やりたいことができれば、あとはもうなんでもいいというのも見習うべきだなと感じました。
川井: そうですね。
荻野: で、横ではRubyについて熱く語っている人がいるという状況だったので、もうObjective-CにこだわってないでRubyとかやってもいい時期なんだなとすごく感じました。
川井: なるほど。
荻野: Brad Cox本人から引導を渡してもらったみたいな感じでしたね。
川井: 今の表現、かっこいいですね(笑)
荻野: (笑)そのずっとあとMac OS XがiPhoneの開発環境として蘇ってくるんですけどね。
川井: なるほど。
荻野: Webエンジニア武勇伝 荻野淳也氏(ogijun)日本に帰ってきてからるびま(Rubyist Magazine)にレポートで書いたんですけど、Brad Cox にとっては Objective-C は完全に過去のものになってしまっているんだなあという印象を受けました。この2004年のRubyカンファレンスでDHHがRailsについて発表したんですけど、今にして思うと全力でスルーしちゃったんですよ(笑)この時ちゃんとフィーチャーしていたら、ポジションも変わっていたと思うんですけどね(笑)
川井: (笑)レポートには印象を書いただけだったんですね。
荻野: そうなんです。この時、正直ピンとこなかったんです。
川井: そうでしたか。
荻野: この後半年後くらいに、RubyはJavaの10倍の生産性だとか煽られて、それからいろいろフレームになって、大ブームが巻き起こったんです。ブーム半年前に全力でスルーしてましたね(笑)
川井: なるほど。
荻野: 私にとっては事件でした(笑)
川井: (笑)全力でスルーだったんですね。
荻野: ともかく、この年は日本人3人しかいませんでしたけど、3人で楽しかったねって話してました。
川井: 高橋征義さんがあっちの人達からお前は青木峰郎かって間違えられたと言っていました(笑)
荻野: (笑)日本人をみつけると青木峰郎かって尋ねる人はいました。他にもdRubyを作った人かとかも尋ねられがち(笑)
川井: (笑)
荻野: どちらも来ていないと答えました(笑)それで、Rubyカンファレンスというものにはまってしまったんですよ。Rubyカンファレンスに行くなら、もっとRubyも勉強しないとなと思いました。それが本格的にRubyやろうと思ったきっかけですね。
川井: それがきっかけだったんですね。
荻野: それまでもRubyの集まりにちょっと行ったりだとかはしていて、RHG読書会にも行っていたんです。RHG読書会もすごい人たちが集まっていたりして、そこで高橋さんや笹田さんにRubyConf行きましょう、って誘ってもらったり。
川井: コミュニティがそもそものきっかけなんですね。
荻野: そうですね。私は本当そういうのが幸運だったなと思います。要所要所でいろいろな人に助けてもらったなと感じています。
川井: なるほど。
荻野: Webエンジニア武勇伝 荻野淳也氏(ogijun)コミュニティは正直Give And Takeじゃなくても、聞く一方でもいいなと思っているんですよ。みんな行きさえすれば、喜んで教えてくれる人ばっかりなんですよ。何かを提供しなきゃいけないってことは全然ないんです。最初はそれが申し訳なく感じるんですけど、そうじゃないんですよ。自分も新人さんとかを迎える立場側になってわかってきたことですけど、教えるのが楽しいし勉強になるから教えているというのがすごく大きいんです。来てくれるだけで、こちらも何かを受け取れるんです。もし気後れしている方がいたら、もっと積極的にそういう場に出てきた方がいいんじゃないかと思いますね。
川井: すごい人がいるからと、気後れしちゃって来ない人とかいますよね。
荻野: もったいないですね。
川井: これはいろいろなコミュニティに参加されている、荻野さんだからこその見解ですよね。
荻野: そうですかね。それで、Rubyカンファレンスが気に入ったんで次の年も行くことにしたんですけど、その2005年のRubyカンファレンスは日本人の参加者が10数名と多かったんです。前年は59人うち日本人3人だったのが、Rails効果だとは思うんですが全体で200人ぐらいかな、急に規模が大きくなりました。
川井: なるほど。
荻野: 今までって参加者数名でしかも英語のヒアリングで疲れていますし、外国の人の体力についていけないというのもあって疲れ果てていて話が沸騰するところまでいかなかったんですよ。でも、それまで日本人参加者数名だったのが10数名参加ということで、みんなでディナーを囲んでいる時にこういうのを日本でもやりたいねという話で盛り上がったんです。そこでもうやるしかないだろうって話になったんです。待っていても始まらないからそのサンディエゴにいる時に「来年の6月にする」って高橋さんが宣言したんですよ。それが第1回Ruby会議、当時は日本Rubyカンファレンスの最初のプレミーティングになったんです。
川井: では、聖地ですね。
荻野: ここから始まったという意味ではそうですね。
川井: なるほど。
荻野: それで、たまたまそこに居合わせたので私も運営に参加したいと言いました。
川井: Rubyから入った人って、RailsではなくてRubyなんですか?
荻野: そうですね。今はRailsもかなり好きなんですよ。でも、やっぱりRubyなんですよね。
川井: 角谷さんとかに講演をお願いした時もあったんですけど、Railsが付くならやらないと言われたこともありましてこだわりがあるんだなと思いました。
荻野: Webエンジニア武勇伝 荻野淳也氏(ogijun)なるほど。私はそこまでのこだわりはないですね。最初にスルーしていたからというのもあるんですけどね(笑)
川井: (笑)
荻野: でも、今はRailsのやり方というのはすごくいいなと思うところもあります。RubyがRailsに刺激されて変わっていった面というのもありますし、RailsがきっかけでRubyに参入してくれたいい方とかもいっぱいいると思います。
川井: そうですね。日本にはRailsカンファレンスみたいなものはないですよね。
荻野: そうですね。ないですね。Rails会議とか是非やるべきだと思いますし、あったらいいですよね。
川井: そういう展開もあってもいいかなとも思うんですよね。
荻野: あったらいいなとか言ってないで行動しろよとは思うですが、思うところもあるんですよね。でも、いつか実現できたらいいですよね。
川井: そういうのもありなんですね。
荻野: Railsカンファレンスというのも、今年3回目だったんですが第1回から参加しているんです。1回目はシカゴであったんですけど、そこで増井雄一郎さんとお話をしたんです。彼なんかはその後Railsカンファレンスに刺激を受けてシアトルに渡っちゃいましたからね(笑)あの行動力に嫉妬しましたし、びっくりしました(笑)本当に実現しちゃうので、すごいですよね。
川井: すごいですよね。
荻野: 彼がRailsカンファレンスに参加して、技術で日本は全然負けていない、もう後は英語力だけだよ、英語で物がちゃんと発表出来れば日本からの技術だって世界で通用するよと思ったらしいんですよ。そこまで尊大な言い方ではなかったですけど、ちゃんと行動に移している彼が本当にすごいなと思います。
川井: この武勇伝も増井さんの回から多少人に見られるようになったというところもあるんです。
荻野: なるほど。最初の頃はイトクロの伊藤さんとかでしたっけ?
川井: そうですね。イトクロさんや親会社のKBMJの笠谷とかですね。内輪にお願いするというところがありました。増井さんのブログに書かれた途端アクセス数が急激に増えました。
荻野: Webエンジニア武勇伝 荻野淳也氏(ogijun)なるほど。笠谷さんなんかは、我々からしたら英語もお出来になって羨ましいですね。あの方はしゃべり方は穏やかなのにやってることがすごいですよね(笑)
川井: そうですね。確かに(笑)
荻野: でも、お仕事は普通にWebサービスを作っていらっしゃるんですか?
川井: 基本的には好きなものを開発していますね。
荻野: 彼みたいな方が海外に行って話してくれたらいいですね。
川井: こないだアメリカのgoogleの本社にSelenium IDEのオフ会か何かに行っていましたね。
荻野: そうなんですか。すごいですねえ。それで、私も海外のRubyistとも仲良くなってお友達も出来て顔を見ると挨拶して、そういうのは、自分の英語の勉強のモチベーションにも繋がってますね。
川井: なるほど、確かにそうですよね。


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コントロールプラス株式会社
会社社名 コントロールプラス株式会社
http://www.ctrl-plus.jp/
設立 2005年3月3日
代表取締役社長 村田 マリ
従業員 15名(契約・アルバイト含む)
事業内容

1.インターネットホームページの企画および制作

2.インターネット広告代理店

3.メディア事業 「デート通.jp」「キャリアコンサルタント.jp」

4.イベント企画および運営

5.セールスツール、ノベルティ制作

所在地

〒103-0025
東京都中央区日本橋茅場町2-12-2 Apartment 2122 3C
(茅場町1番出口から徒歩1分)



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