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第36回 松本 庄司 氏 | 株式会社モディファイ CTO

今回は、次世代Webを牽引するテクノロジーを活用したオンデマンドRSSデータベース「MODIPHIエンジン」と、各種アプリケーション群「MODIPHI APPS」を独自開発した、株式会社モディファイのCTOを務める松本庄司さんにお話しを伺いました。
松本さんは見た目どおり(?)のクレバーさと情熱を持つ生粋のエンジニア。
思う存分、その生き様を語っていただきました。

松本 庄司 氏

  • 株式会社モディファイ CTO
  • 1999年 京都大学大学院卒業後、大手SIerに入社
  • 2001年 サンブリッジテクノロジーズに転職
  • 2007年 MODIPHIエンジンの開発に従事
  • 2008年 モディファイ設立メンバーとして参加、CTOに就任


川井:

本日は「Webエンジニアの武勇伝」ということでお願いいたします。

松本:

よろしくお願いいたします。

川井:

松本さんがコンピュータと出会ったのは何歳くらいなんですか?

松本:

小学校5年生くらいの時に、PC6601SRというコンピュータを親に買ってもらいました。私たちの世代では低学年でゲームウォッチが流行ってて、3年か4年くらいの時にドラクエとかファミコンが出てきたんです。なので、みんな結構ゲーム世代だったんです。でも、ちょっと厳しい家庭だとゲーム機は買ってもらえなかったんですよね。しょうがないからマイコンかなという感じでしたね。

川井:

(笑)

松本:

みなさんそうだと思うんですけど、ゲームセンターあらしの「こんにちはマイコン」あたりから興味を持ちだして、マイコン買ってもらって、その当時あまりろくなゲームはなかったのでゲームするだけじゃなく、作りたくてベーマガから入った世代ですね。

川井:

やっぱりベーマガですか。では、ベーマガ見てマイコンに打ち込んでという感じですかね。

松本:

そうですね。ガーっと打ち込んで改造してという感じでしたね。作ってみたいと言いつつ、なかなか自分ではできなかったですけどね。

川井:

なるほど。自分から欲しいと言って買ってもらったんですか?

松本:

なんだったんですかね。あまり覚えてはないんですけど、たぶんゲームが欲しいと言ったんだけどゲーム機を与えたらダメだろうと思われたんじゃないですかね(笑)

川井:

小学校5年生くらいだともっとおもちゃっぽいものを欲しがるのかなと思いましたけどね。周りの方もそんな感じだったんですか?

松本:

そうですね。やっぱ、ファミコン全盛期でしたからね。でも「キン消しとかスーパーカー消しゴムとかも流行ってましたね。

川井:

確かに。ガン消しとかもですよね?

松本:

アンテナが低かっただけかもしれないですけど、ガンダムはあまり流行ってなかったかもしれないですね。たぶん、1年、2年のときはゲームウォッチのすごいやつを持っている奴のところに行ってゲームしてましたね。もっと前だとカセットビジョンとかで遊んでた記憶もあります。

川井:

カセットビジョンありましたね。

松本:

その時には、6601SRかX1かで迷ったんです。でも、6601SRにはフロッピーが付いてるからいいなとか思ったんですよ。

川井:

小学生っぽくないですね(笑)

松本:

中学生になってから、X1の方がおもしろいゲームあるからX1にすればよかったなと思ったりもしましたね(笑)

川井:

(笑)そうですか。では、小学校のうちはゲームという感じだったんですね。

松本:

ゲームもあまり買ってもらえなかったので、だいたいBASICでゴリゴリ遊んだりというのが普通でしたね。

川井:

ゲーム以外のプログラムも楽しかったんですか?

松本:

ゲーム以外と言っても遊びですけどね。絵を描いたりとか、音声合成があったから歌わせてみたりとかしてました。当時はベーマガだったんでマシン語とかはあまりなかったんですけど、ダンプを打ち込むのとかがすごくだるいじゃないですか。ゲームパッドを繋げて8方向入るから8方向とボタン押してポチポチボタン押したら16進数が入力できるようなものを作ったりしていましたね。

川井:

環境が限られると創意工夫が生まれますよね。

松本:

そうですね。そうやって遊んでいましたね。

川井:

では、運動だとか他の遊びはしなかったんですか?

松本:

田舎だったので、結構外では遊んでました。

川井:

田舎はどちらですか?

松本:

九州なんですよ。

川井:

そうですか。自然がいっぱいあっていいですね。中学に入って部活をやったりはしなかったんですか?

松本:

卓球部には入っていましたが全員入らなきゃいけないからという感じでした。高校が受験だったので部活というよりは塾に行っていた印象が強いですね。行き帰りにゲーセンに行ってというのはありました(笑)

川井:

やっぱりゲームなんですね。

松本:

そうですね。でも、やはり中学は受験勉強という感じでしたね。



川井:

では、ゲームからその先へのステップのきっかけとかがあったんでしょうか。

松本:

受験が終わって高校に入ってからは、ゲームはあまりやらなかったんですよ。吹奏楽部に入って、その時は部活ばっかりでしたね。

川井:

そうなんですか。

松本:

ある時文化祭で会計係だったんですが、コンピュータおたくの先輩がいたんです。で、先輩が会計のプログラムを作ろうって言い出したんです(笑)

川井:

(笑)

松本:

その時ちょうどC++が出始めた頃で、学校にPC98があって、そこにBorlandC++かなんかを入れて2人で分担して表の部分を作ったりしました。

川井:

なるほど。

松本:

最初の入口としてはその先輩の影響がでかいですね。

川井:

高3の時ですね。

松本:

そうですね。それが高校時代で、大学に入って高校の時に行っていた塾にバイトに行きだしたんです。そこにMacがあって、それでチラシを作るというバイトをしたり、先輩の紹介である教科書会社が数学の教科書のゲラ校を作りたいという話があったんですけど数式とかって打てないじゃないですか。

川井:

そうですね。

松本:

その当時、数式を打つとしたら論文用のTexだったんですよね。それでゲラ校を作ろうかってなって、Texの分厚い本をガーって読んで勉強しました(笑)

川井:

そうなんですか。

松本:

そこでそういうことをやって、大学ではコンピュータのことは好きだったのでUNIXでガリガリやったりしてましたね。

川井:

ちなみに大学はどういった学部に行かれたんですか?

松本:

大学の学部は理学部でした。院が人間環境学部ってところでしたね。

川井:

もともと理系だったんですね。

松本:

そうですね。一応数学科ってことにはなっていましたけど、あまり数学をやっていた覚えはなくて、コンピュータのことばかりやっていました。

川井:

理系に行くとかコンピュータをやるっていうのは昔から決めていたんですか?

松本:

昔から理系のことは好きで、小さい時は「ひみつシリーズ」で育ってきたんで。(笑)

川井:

数学は好きなんですか?

松本:

理学部数学科に行った身としては、数学が好きかって言われると微妙なんですよね(笑)

川井:

(笑)

松本:

例えば、受験数学とかパズルチックなものだったりは好きでしたね。大学に入ってからは本当の数学ですし、本当の数学は哲学なので、よほど好きじゃないとできないですからね。周りにはめちゃくちゃすごいやつがいたんで数学の研究者になんてなるもんじゃないなってひしひしと思いましたね(笑)

川井:

(笑)そうですか。

松本:

大学は理学部で受けて入ったけど、先生にお前は国語で入ったと言われましたね(笑)

川井:

そうなんですね(笑)

松本:

あとは絵とかも好きでしたね。中学の時はレタリングなんかにも一時はまりました。レタリングが面白くてやって、レイアウトがとか色がとかいうのも面白かったですね。

川井:

そうなんですね。色の勉強や紙の勉強なんかもしたくなりますよね。

松本:

大学に入ってからUNIXでゴリゴリやってました。当時ちょうどLinuxが流行りだした頃で、kernel 0.99とかの時代ですね。その辺りからLinuxをガンガンやり出しました。当時サブノートというのが出始めた頃だったんですが、Windowsが嫌だったのかタダっていうのが面白そうだったのかわからないですけど、ノートにのるUNIXっていうのがLinuxしかなかったんですよね。まだFreeBSDがちっちゃいPCに対応していなかったんですよね。それでLinuxにして、そこからガンガンLinuxをやっていましたね。

川井:

なるほど。

松本:

ハードウェア系の人じゃないので、プログラムをガリガリというわけじゃなかったんですが、向こうの書いた文章を和訳するというのもいくつかやってみました。和訳も結構奥が深くて、IBMが出したような和訳文章なんかはどうしても機械翻訳なんじゃないのかっていう感じだったんですよ。「導入」とか書かれていて「インストール」のことかとかありましたね。そういうのがどうもアレで(笑)

川井:

(笑)

松本:

意訳というか、どうやったらその意図が伝わるのかなとか思いながらどう訳そうかなとかやっていましたね。

川井:

英語はお好きなんですか?

松本:

嫌いではないですけどって感じですかね。流し読みとかするのは苦にはならないという感じ。でも、書けとか話せとか聞けとかってなるとちょっと「う…」と思いますけどね(笑)

川井:

なるほど。その当時っていうのは始めから大学院に行くつもりだったったんですか?

松本:

何も決めてなかったです。でも別に就職したいとは思ってなくて、まだもうちょっとモラトリアムを楽しもうかなというぐらいでした。

川井:

そういう動機で進学を決めたんですね。

松本:

4年の時にJavaが出始めたんです。ブラウザも流行り出した頃で、Javaでブラウザを作りたいなと思い始めたんです。HTMLの解析機みたいなものを適当にでっちあげてみたりしました(笑)

川井:

(笑)

松本:

情報系の人だったら"なんちゃらモデル"とか色々使ってやるんでしょうけど、そんなの全然知らなかったので文字列処理だけでツリーとか作ってみたりとかして卒業研究なんかにしていましたね。

川井:

そうなんですね。

松本:

当時のUNIX雑誌は大学の人とかが主体だったから論文調でめちゃくちゃ固かったんですよね。それって面白くないなと思っていたんです。そもそもコンピュータ雑誌自体がめちゃくちゃ固かったんですよ。で、UNIX周りで面白い記事が欲しいねっていう話をしていたんです。

川井:

なるほど。

松本:

当時編集者さんもコミュニティだったんですよね。面白いのを書いてくれないかなって話をしていた時に、じゃあめちゃくちゃ軽い文章でってお話をして、友達と2人でUNIX USERさんに"Linuxびっくり箱"という記事を書くようになりました。たとえば「こんなの見つけた!」「なんじゃこりゃー!」みたいな文で、今でいうほとんどブログのような感じですよね(笑)スタパ斉藤さんのノリで(笑)

川井:

(笑)

松本:

毎週いくつか選んできて、1年半〜2年くらいやったのかな。読者には気に入ってもらえたみたいでした。

川井:

そうなんですね。

松本:

後で思うと、感覚的には週刊アスキーみたいなもんですね。週刊アスキーが出た時も衝撃でしたからね。「こんな柔らかいパソコン雑誌が!おまけに週刊かよ!」という感じでしたね(笑)

川井:

(笑)

川井:

ネットはどの辺りから出会ったんですか?

松本:

ネットは大学の頃ですね。UNIXを触りながらインターネットでMosaicが出てきてとかですね。その前は、家でBBSはやっていましたよ。草の根BBSですね(笑)

川井:

そうなんですか。ネットに出会った時っていうのはどんな印象でしたか?

松本:

BBSからやっていたので、そんなに違和感はありませんでした。初期の頃だったんでNTTさんがディレクトリみたいなものを作っていて検索エンジンもちょうど出始めて、まぁそういうもんなんだと思って使ってました。

川井:

なるほど。結構ネットとの出会いが大きかったって方とかもいらっしゃるんです。話を聞くとあまり衝撃的って感じじゃなかったのかなって印象を持ったんですけど・・・。

松本:

そうですね。BBSの方がそういう意味ではでかかったんじゃないですかね。POPCOMっていう雑誌で草の根BBSってやっていたりとかしてて、近場の草の根BBSに繋げてしゃべっていましたね(笑)

川井:

なるほど。では、プログラムは大学に入ってぼちぼち書く機会が増えて、自然にスキルは身に着いていったという感じなんですね。

松本:

ですね。プログラムといったらC++で書いて、その後何していたかな…UNIXをやってたから、Cがバリバリというわけじゃなかったけれども、Shell Script とかPerlとかわりとLightWeightLanguage系は自然とやっていたとこはありますね。

川井:

それってすっと覚えちゃうもんなんですか?

松本:

えっと、Shell ScriptにしろPerlにしろそんなに難しい感じではないんですよ。あの辺てワンライナーみたいなすごく短くても効果のあるものなんです。UNIXのフィルタリングの文化ってすごい単機能なものを組み合わせて部品化されているんでプログラムとしてはわかりやすいんですよね。そういう意味ではプログラム自体にあまり「うっ!」って思ったことはないですね。

川井:

なるほど。

松本:

そのうえ、一番初めの入りがC++なので(笑)

川井:

それから考えるとそうですね(笑)

松本:

授業でもFORTRANとかなんとかやらされましたけど、そんな変な感じはしませんでした。その前にもBASICの時代はあるんで、BASICをやってC++やって。いわゆるVisualなんちゃら系というのはまだ出ていなかった頃です。出たか出始めたか・・・。高い金払って買うみたいな感じの物でしたからね。そのLOWなところから入ってますね。

川井:

結構苦労される方もいるわけじゃないですか。でなければ苦労せずにすっと入れる方もいて一体、どの辺で差が出るのかなって思うんですよ。それによっておそらく人生も変わってくるじゃないですか。

松本:

Linuxの世界で昭和48年、49年組ってうわーって固まってるんですよ。で、その下が全然出てこないんですよね。なんでかなって言ってたんですけど、うちらの世代は小学生の時に身近にBASICがあったじゃないですか?で、その次に行くとPC98がバーンと売れた時で、その頃にはプログラムをしなくなってきてるんですよ。

川井:

なるほど。

松本:

プログラムっていうとCになっちゃうんですよ。でも小学生にCはできないじゃないですか。MS-DOSでBASICっていうのも全然なかったですし。うちらの頃はもうなんでも起動したらBASICのプロンプトが出てますって感じだったんです。

川井:

そうでしたね。

松本:

DOSが普通に入ってからそれが出来なくなっていて、その後もうWindowsにいっちゃいましたよね?

川井:

そうですね。

松本:

Windowsになるともっとプログラムなんてしないですし、Visualなんちゃらも結局部品化されちゃってる感じだから、よくわかんないおまじないを書いたらなんとなく動くっていう風になっちゃってて、頭から後ろに流れるタイプの関数型っぽい指向っていうのができないんですよ。

川井:

なるほど。

松本:

「中はこう動いてる」っていうのがうちらの頭の中には入っているけど、下の人らはそういうプログラムの環境もなかったし、特殊な環境にいるから興味が持ちづらかったっていうのはあるかもしれません。

川井:

そうなんですね。子供の頃触れていないってことなんですね。

松本:

そうなんですよ。それで、その頃BASICをやってるとどうしてもZ80とか、メモリがどうのこうのとか、ちょうどわかりやすいアーキテクチャーのマシン語とかをやってて、PCの成長と合わせて成長してきた世代なんです。

川井:

はい。

松本:

成長しきった、いきなりマルチスレッドでとかいう世代だと、勉強しようがないというかわからないじゃないですか。

川井:

そうですね。

松本:

小さい時にわかりやすいアーキテクチャーに触れてるっていうのはでかいと思いますよ。逆に僕らの一回りくらい下の世代でプログラム好きって聞くと、なんでそんなにプログラム好きになったのって聞いちゃいますもん。

川井:

いますよね。

松本:

そうなんですよ。たまにいるんですよ。

川井:

最近20代前半にそういう子は増えていてびっくりしているんです。

松本:

たぶん、その辺はおっきいと思っているのはJavaScriptなんじゃないかなって思っているんですよね。ちょうどその頃の世代は大学とかでWebが流行っていて、CGIを書いてみるっていう人もいたでしょうし、HTMLとJavaScript組み合わせてガリガリっていうところからプログラムに入るという人も意外といると思いますね。

川井:

なるほど。そういう環境的な問題も結構あるということですね。

松本:

そうですね。あると思います。

会社案内 株式会社モディファイ(英文社名: MODIPHI, Inc.)
http://modiphi.co.jp
http://www.modiphi.com
設立 2008年1月
資本金 1億5690万円(資本準備金含む)
代表 代表取締役社長兼CEO:小川 浩
所在地 〒151-0053 東京都渋谷区恵比寿一丁目19番19号(株式会社サンブリッジ内)
事業内容 インターネットおよびイントラネット上のコンテンツの双方向配信技術であるRSSフィードを軸としたWebアプリケーション開発と、関連製品、サービスやコンサルテーション、ブランディングをともなうクリエイティブの提供。

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