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第19回 白井孝史 氏 ランシステム コーポレーション (後編)

今回は、リクルート出身の白井孝史さんにお話を伺いました。白井さんは、リクルート退職後、ベトナムでオフショアを行う会社の立ち上げに参加し、ベトナムの経済発展を支援するというライフワークをこなしつつ、リクルートメディアテクノロジーラボで新しいWebサービスの開発プロデュースを担当されています。今回は、第15回の武勇伝に登場いただいたカヤックの貝畑政徳さんからの紹介でこの場が実現いたしました。取材場所は、汐留の株式会社ケイビーエムジェイ会議室です。

白井孝史 氏


  • 平成元年3月 電気通信大学応用電子工学科 卒業
  • 平成元年4月 (株)リクルート入社
  • 平成15年4月 (株)メンバーズ入社
  • 平成15年11月 (株)あの街ドットコム 設立 代表取締役に就任
  • 平成18年2月 (株)Hanoi Advanced Lab 執行役員に就任
  • 平成19年4月 RUNSYSTEM CORPORATION 顧問に就任
川井: 結局、リクルートではそういう技術的な仕事をずっとやって来られたってことですよね?
白井:ここまではそうですね。
川井: ここからが新しい展開なんですね?
白井:結局、この後に「システム部門を離れたい」ということで事業側の制作統括という部署があったんですけど、こちらの方に無理やり異動させてもらいました。これはどちらかというと事業に寄っていて、本をトータルで作っていくための色々な事をサポートするんですけど、そこのシステム担当という位置づけでした。
川井: 統括っていうと数字をいじりまわす「事業統括」のイメージが強いんですけど。制作統括ってどんな感じの部署なんですかね?
白井:制作統括がやっていたのは、印刷、紙関係のマネジメントとか、各事業で進行管理などをしているセクションの元締めみたいな感じですね。
川井: 簡単に言うと、本がちゃんと期日に出るかどうかっていうところのマネジメントを色んな面でするということですね。
白井:そうですね。あとはコストダウンだったりとか、クオリティアップのお手伝いだったりとかですね。
川井: それをシステムでやるっていうのは、どんな感じでバックアップするんですか?
白井:丁度、その時代にDTPがきたんですよ。それまでは手で組み版していたのが、Macintoshという時代が来ていて、その技術検証をし、各媒体の編集部に入れたりとか、制作のところに入れたりとかっていうこととかしていました。
川井: ある意味インフラ的なところですよね?
白井:そうですね。あとは制作システムですね。リクルートはもともと制作をシステム化している会社でしたけども、この辺の構築とかも担当していました。
川井: なるほど。これは面白かったんですか?
白井:面白かったですね。編集記事のDTP導入となると、リクルートに入って、始めてリクルートの媒体の編集記事をどうやって作っているのかとか、そういうことに直面したことが面白かったですね。
川井: かなり、好奇心が旺盛なんですね。
白井:多分、そうですね。
川井: 物が作られたりとか、物が流れたりという工程の中身がに興味があるっていう感じですよね?
白井:それが、普通だと思っていました。これはこうやって作られているんだよ、「面白いだろって」。普通に何気なく見てる編集の企画会議で、みんな頭を悩ませていて、これは前やったのと同じだから駄目だって上からゴリゴリ怒られてたりとか、ページ数に合わせて写真をどうするかとか、ここは切抜きじゃなくて拡版でいくべきだとか、喧々諤々やっているわけです。システム屋からすれば「おお素敵!」って感じですよ。バグがどうのこうのじゃないんですよ。
川井: そりゃ、そうですよね(笑)
白井:「このラーメンを旨そうに見せるのはどうしたらいいの?」とか、「切り抜いたらいいんじゃないの」とか(笑)
川井: 面白いですね。こちらはどのくらいいらっしゃったんですか?
白井:ここでは、3年くらいですかね。実は、「じゃらん」の制作システムを全部作りかえまして、なんだかんだで数億ぐらい使わせてもらったりもしました。2年でコスト回収できましたかね。あとは、「じゃらん」の九州と関西の創刊もやらせてもらいました。
川井: 楽しそうですね?
白井:楽しかったですね。九州のときは、2ヶ月くらい向こうにずっと出張で滞在して。
川井: 新しいエリアで創刊するときって何か違うんですか? 
白井:地方はスモールサイズなので、首都圏のシステムは高くて持って行けないんですよ。首都圏の規模と売り上げがあればそのまま使えるんですけど。地方の売り上げとかに合わせたコンパクトなサイズのものを作らなきゃならないんです。関東では自動化されているけど、ここは手でやってくれとか、一部は我慢してもらったり、運用でうまく逃げたりしてもらわないといけないんです。
川井: なるほど、そういうことなんですね。
白井:ありがたいことに、リクルートっていう会社は、色々なことがあるんで、結構ここまでで3回転職しているくらいのキャリアだよっていうのはあるかもしれないなとは思っています。
川井: そうですよね。コーディングをやられて、そのあと一つのシステムを実際的にやられて、事業をエンドユーザみたいな立場でやられて全部やられたんですよね。
白井:それまでは紙類だったんですけど、その後、ついにネットの世界に行きまして、98年にリクルートイサイズトラベル(RIT)というネット専業の旅行会社をやろうというリクルートの動きがありまして、そこのシステム構築部隊として異動になって、バックエンドのシステムを作っていましたね。
川井: 技術要素は何でやるんですか?
白井:ここは結構ガリガリで、C言語とOracleっていう感じでしたね。
川井: ネットですよね?
白井:ええ。
川井: バックエンドは、C言語でガリガリやる感じですね。
白井:いや、フロントもモジュールの方はC言語で書いていました。会社的には大きくなる予定だから、レスポンスを出すためにはやっぱりC言語がいいということでPerlとかは全然使わなかったですね。リクルートのISIZEの方はR‐Perlとかいう、独自のカスタマイズしたものでやっていたんですけど、でもやっぱりあれも事業系のシステムでバックエンド的にやるところはC言語とかで書いていたはずです。
川井: この辺にいくとどういうポジションでやられていたんですか?
白井:ここは開発部隊のマネージャーでした。
川井: はじめてのウェブっていうのにどんな感じで移行していったんですか? 会社でやるからやろうかみたいな。
白井:実は2、3年前のリング(リクルートの社内新規事業提案制度)で取り組んでいて、これからはウェブで情報発信していくべきなんじゃないかっていう風に思っていました。なので、ウェブでやるのが楽しいなあと思っていましたね。
川井: それまでにウェブの勉強をされたりとか知見とかは?
白井:「MixJuice」っていうサイトがあった時代の「じゃらん」の担当だったので、『じゃらんにおまかせ』っていうサイトがあって、それを一緒に作ってたりはしてました。本当にピーヒョロピーヒョロっていいながら繋いでる中に、見にくいとか言いながらバーンと大きな写真を出したりとかしてました。やっぱり編集長は紙の人たちですからね。これぐらいないとなあとか言ってましたね。
川井: 業務の中でウェブには接し始めていたということですね。
白井:そうですね。
川井: イサイズトラベルっていかがでしたか?
白井:業務そのものは、新しい業務だったので面白かったですよ。
川井: 旅行の裏側が見えたりして?
白井:旅行業界とかもよく分かりましたしね。それにリクルートでは、物を販売するってありえないじゃないですか。旅行商品なので、物を販売する、在庫があるものじゃないですけど、それも珍しかったですね。
川井: 確かにリクルートは本は売っていましたけど、たまたま値段をつけなきゃいけないからつけていたというだけの話で、物をきちんとサービスとして売っていくっていう感じじゃなかったですよね。でもやっぱり興味は新しいものなんですね。
白井:面白かったですね。コールセンターって始めてみるビジネスで、こうなってるんだとか、お客さんの対応はこうなるんだとか。なかなか売れませんでしたけどね。ちょっと早いんだよな、いつもって思います。経営陣がなかなか耐えられないですからね。
川井: ISIZEはなんで上手くいかなかったのか今でも議論されてますけどね。当時のリクルートの経営陣のネットへの理解レベルがやっぱり低かったという感じですか?
白井:それはそうだと思います。
川井: リクルートの経営陣には「紙神話」がすごく根強かったですよね。就職媒体なんかも紙はなくならないってずっと言ってましたもんね。
白井:結局のところ、ネット時代になって、紙がじり貧のなかで、ちゃんと転換した「リクナビNEXT」とか、「じゃらんNET」とかは耐えたんですけど。転換できなかったAB-ROADとかは廃刊になってしまって苦しんだりとかしましたね。
川井: それでも、リクナビは転換が遅れたんで、エンジャパンに切迫されたりしてますよね。じゃらんは比較的上手くいった方ではないですか?
白井:でも、相当苦労しましたけどね。
川井: 「じゃらん」はアフィリエイトの導入も早かったんですから、ちょっと違う動きに見えていましたけどね。
白井:あのとき、「じゃらん」は、「MixJuice」の「じゃらん」をやってた頃から、ずっとネットを見てきた人間が舵をとっていたんで頑張れたんじゃないかなと思っています。
川井: その後はどうされたんですか?
白井:やっていこうと思ったんですけど、親会社の都合で就職を閉じることになり、AB-ROADとイサイズトラベルをがっちゃんこさせちゃいましょうっていう話になったんで、AB-ROADに移ってきました。
川井: そういう流れでいくんですね。AB-ROADには、何年くらいですか?
白井:イサイズトラベルが2001年末、2002年とかで、リクルートは2004年の3月退社になってるはずです。
川井: そこまではAB-ROADで過ごされたってことですか?
白井:そうですね。ただ、その当時、いっぱい有休があったので実質は2003年の10月とかで出社は終わりですね。
川井: 半年もですか? すごいですね。
白井:有給・代休もろもろで結構ありましたね。
川井: 退職時に1,000万もらえる時代ですよね?
白井:そうですね。フレックス定年の資格が発生したところで辞めていますね。
川井: リクルートをお辞めになったのは何かやりたいことがあったんですか?
白井:いや、そういう意味でいくと、Exitですよ。1回退職しようって感じですね。
川井: 先も決めずに一旦、辞めてみようという感じですか?
白井:やりたいことを追い求めていく人っていうよりは、僕は1回ぎゅっと辞めてみましたっていう感じですね。
川井: しばらくはプラプラしていたんですか?
白井:そうですね。何とかなるかなって(笑) 半年は遊びみたいなことをしていて、そのあと少しずつ始めました。ありがたいことにリクルートを辞めた先輩がいろんなところにいらっしゃるんで、そういう人とかに会ったりとか、色んな話を聞いたりしながらふらふらフラフラしていて、「辞めたんでなんかあったら仕事ください」って言っていたら、1年しないうちにウェブサイトを作って欲しいっていう話を頂くようになりました。いろんな人に「独立して、とりあえず仕事の話をもらったら、出来る出来ないは関係なく、やりますって言え」って言われましたね。
川井: なるほど。それは正しいかもしれませんね。
白井:受けてから、最悪駄目だったら、誰かが助けてくれるからって言ってくれたんです。これは自分でできるかなって思うこともいっぱいあるけれども、本当に時間がなくてっていうのは別ですけど、やったことないからとか、そういうので断るみたいなことは基本的にやらない方がいいよって言われたんですよ。
川井: これって、リクルートならではの文化なのかもしれないですけど、エンジニアで個人事業をやると、どうしてもこれはできないとかできるとかゼロイチなんですよね。エンジニアって、会社でもいろいろひどい目に遭ってるじゃないですか。だから、びびっちゃうと思うんですけど、これは独立したいエンジニアにとっては、すごいためになる話だと思いますね。
白井:MovableTypeでやりたいんだとか、XOOPSで作りたいとか、挙句の果ては、カメラで監視システムつくりたいんだよとか、バナー作れる?とか頼まれて、「はい、やります」って言った後に、よく考えたらFlashなんてやったことないよってことがいっぱいありましたけどね。
川井: 当時、独立する前はウェブの開発でもコーディングなんかはやってないんですよね。
白井:全然やってないです。やれるかどうかより、やってみて駄目だったらばっていう開き直りですね。
川井: どうやってノウハウを身に着けたんですか?
白井:なんでしょうね。前、PL1ってどうやって勉強したのかって話があったと思うんですが、それと同じ状態で、たまたまMovableTypeを使ってやってほしいって言われてMovableTypeを覚えたってだけなんです。ソースを読んで、直すところをネットでひきながら直したりとかですね。
川井: ソースを作るっていうのはイメージ的に分かってらっしゃるので、言語の特徴だけ分かれば出来ますもんね。
白井:こんなことはできるはずっていうのは調べられるので、これはこの言語でいくとどう書くんだっけとか考える感じですね。
川井: それを1個1個出てくるもの出てくるものを対応していって覚えたんですね。
白井:そんな感じでフラフラしていて、リクルートでも開発のディレクションとかもしていたんですが、たまたまリクルート時代の同期の人間が、ベトナムで、株式会社Hanoi Advanced Lab(HAL)というオフショアの会社を作ったんで、一緒にやらないかっていう話になったんです。リクルートってドメスティックな会社だったので、もともと自分の人生の中で一度海外で仕事をしてみたいなって興味があって、面白そうだなって事になって、じゃあ、開発を通じて一緒にベトナムの経済を作ってこうよって話になったんです。ベトナムはこれからの国なんで、僕らが日本で出来ることをやって彼らを育てて、彼らが大きくなってくれたら経済が良くなってみたいなビジョンを共有できたので、トライしてみたんです。
川井: 面白そうですね。
白井:なので、個人的にフラフラしてるのを抑えて、そちらに専念しました。
川井: こちらは、役員に入られたんですよね?
白井:そうですね。
川井: 向こうに常駐されていたんですか?
白井:常駐はしてないですね。
川井: たまに行かれる感じですか?
白井:そうですね。基本的にお客様は日本の会社なので、日本のお客様と仕様を詰めて、設計書を起こして、開発となったら向こうに教えに行ったり、コーディングのチェックをしに行ったりというのは結構ありましたね。 
川井: 大体どういう技術要素でやられることが多いんですか?
白井:LAMP環境でしたね。はじめてから、勿論、お客さんには「出来ますよ」って言っていたんですけど、実際、中に入ると、日本の中学生プログラマーかっていうようなレベルで、この状態で、仕事でプログラム書けるって言っちゃいかんだろう、という感じでした。それに全員若いんで、教えてあげられる人もロールモデルになるような人も向こうにはいなかったんです。
川井: それでも、海外だと「出来る」って言いますよね。出来ないなんて言わないですもんね。
白井:ええ、「出来る」っていいますね。逆の立場で身をもって知るみたいな感じでしたね。
川井: 日本人の仕事は馬鹿正直だって言いますけど、その通りですよね。
白井:それで、結局、一緒にやりながら、こちら側で持っていることを色々教えながらやりました。
川井: どのくらいで十分な開発体制になったんですか?
白井:全然まだまだですよ。僕がいるときに大きいのを2つやって、1回目はボロボロでしたけど、2回目はかなりアジャスト出来ましたし、何個か開発案件をこなしていくことで成長はしていますよね。1回目は泣きそうでしたもん。全然バグが潰れなくて、こっち側が火を吹いてて向こうに行っているのに、「お先失礼します」って帰っちゃうんですよ。「終わってないだろう!!こら!」って(笑)向こうの生活も分かるんで仕方ないんですけど。6時くらいにゾロゾロってみんな帰ってちゃうんですよ。
川井: (笑)しょうがないですよね、これは。
白井:日本じゃ考えられないですけど。向こうでは普通ですからね。
川井: その状態からある程度いけるところまで成長させるっていうのはなかなかすごいですね。
白井:真面目ですからね。みんな根は真面目なんですよ。
川井: 限られた時間のなかでもしその時間についてはっかりやりますよってことですよね。日本人はだらだらやりながらサボりますからね。
白井:そうですね。でも彼らもサボりますよ。普通にサボってますけどね(笑)
川井: タバコを吸いに行ったっきり帰ってこないとか(笑)
白井:追い込みのときに帰られると困りますね。でも、最後の最後にはみんな残ってくれましたね。
川井: 文化的にもチェンジしたってことですね。
白井:本当にそれはやりましたね。全員は無理ですけど、かなり残ってくれるようになりました。1回ご飯を食べに帰ってからまた戻ってきてくれるとかでしたね。向こうは、夜ごはんを家族で食べるのが基本みたいなんです。
川井: 健全ですね。そういう慣習なんかも知らないとマネジメントできませんね。ちなみにコストはやっぱり国内で外注を使うよりはかなり下がるんですか?
白井:ええ、やっぱり安いですね。
川井: 質的にはそういった意味では担保する努力をされて、そんなに遜色ないものが出てきていても、コストは下がるということですか?
白井:下がりますね。大きいのは、メンテナンスフェーズに入ってからじゃないかと思うんですよね。イニシャルではドキュメントを作らなきゃいけない工数や日本側の工数もあるんで、画期的には減らないかもしれないですが、メンテナンスフェーズになって半年くらいで直していきたいよって言ったときに、PG2人、SE1人ぐらいで、ある程度やるとすると、やっぱ日本で250万とかかかっちゃうんですけど、それが向こうでやると、ぐっと落とせるんで100万もあれば十分いけるんですよ。
川井: 国内でドキュメントっていらないっていうことも多いんですけど、向こうだといりますもんね。
白井:ある程度のドキュメンテーションはしますけど、それでも、そんなには作らないですけどね。
川井: 基本的にはLAMPだけですか?
白井:何でもやっていますね。Javaもやりますし、最近は、RubyやFlash系もやり出したって言ってましたね。
川井: そうなんですね。
白井:コスト優位もあるし、いろんなところからお話をいただくようになっているんですけど、ブリッジSEが立たないんですよ。それは先行投資だと思って、向こうのSEを日本語学校に通わせて勉強させて、こっちに呼んで、業務の中に入れて日本式のどろどろや日本語も学ばせて、日本のパートナーとしての力をつけさせて、ちょっと育てていくというようにしているんです。
川井: 難しいのは語学的なものですか?文化的なものですか?
白井:両方ですけど、まずは語学ですね。英語で喋ってくれれば通じるんですけど、日本人は英語が出来ないので。文化的なところもあるんですよね。例えば郵便番号って日本人が言えば、3桁4桁って普通に分かるじゃないですか。彼らは多分分かりませんね。
川井: 京都の住所なんて言ったらひっくり返っちゃいますね。
白井:そうなんです。それに電車もあまりないので、東京駅っていうところには10も路線が入っているっていうのとかは向こうではまったく分からないんです。電車っていうのが1つあって、それに対して駅があるんじゃないのかと思っちゃうんですね。ハノイ駅っていうのはあるんですけど、駅があって1本だけ電車が郊外に出て行くってだけなんです。
川井: なるほど。それは大分イメージが違いますね。
白井:僕らは、何を作っているか分からないコードだけ書いているプログラマっていうのはやめようとしてるんで、そういうことも分かってもらいながらコードを書いているプログラマーにしたいんです。なので、日本の常識とか業界の常識を含めてなるべく話をしていて、そういうのがどこかでミスを減らせると思っているんです。
川井: 今は、こちらの会社はいったん引かれているんですか?
白井:そうですね。せっかくやるんだから向こうでIPOしたいよねって思っていたんですけど、ベトナム側の事情も色々とあっったんです。ハノイアドバンスラボは日本の100%出資の会社だったんで、このまま大きくしていっても、IPOするのにあっちの法的な問題もあるという話で、ベトナム100%出資の兄弟会社であるランシステム側に全部移して、我々は幾つか株をシェアさせてもらってやりましょうかっていうことにしたんです。そのまま残る方法もあったんですけど、リクルート側のメディアテクノロジーラボ(Media Technology Labs)が出来上がって、カヤックさんとかともお仕事が出来るようになったっていうのもあって、僕はそちら側でウェブの最新の情報とかそういうものに触れていて、情報を提供できるようなポジションでいようっていう話で、顧問っていう立場にさせてもらいました。
川井: で、現在に至るってことですね。
白井:ようやく現在に至るまでの話が終わりました。長くてすいません(笑)
川井: いえいえ、とんでもありません。面白いお話をありがとうございました。
川井: 今現在の取り組みとしてはオフショアの事業をサポートして伸ばしていきながら、リクルートみたいなところで最新の技術に触れてってことですか?
白井:実は、もう一本立てたいなと思っているんです。せっかくここでベトナムと知り合えることができたので、ベトナムで何かもう1つやってみたいなっていう風に思っています。
川井: 別な事業ですか?
白井:そうですね。
川井: 経済を作るっていうビジョンがあると、その広がりはありですよね。
白井:2年間ベトナムでやってきて、直接ではないですけど、向こうでのリレーションとかいろんな人との交流もできたし、情報も入っていますしね。とはいえ、リクルートのラボがある間は、好きにやらせてもらえることは滅多にない、うらやましいと言われるくらいの立場でいさせてもらえているんで、そちらも大切にしたいですね。
川井: ラボではどんなことをやられているんですか?
白井:カヤックさんと一緒にですね、リクルートのお金で何か面白いもの作りましょうということをしています。月に1個くらいずつボコボコ作って行ければいいですねって言っています。
川井: 「あのサイト」も仕掛けたって聞いていますが、リクルートの名前って出てないですよね。
白井:出せないんですよ。本当はリクルートのラボが出来たときに、ああいうものをリクルートの名前で出したいってずっと言ってきたんですけど、とにかく駄目、駄目って感じですね。
川井: 何でなんでしょうね?
白井:リスクを考えたらそうなるんですよ。100万分の1かもしれませんけど、リスクがありますよねって言われて。その前にもいろいろ作ってきていて、何度も全社のレビューを受けてあれが駄目、これが駄目って、すいません、リクルートの名前消してくださいっていうことが多いですね。「あのサイト」も今となっては大きいですけど、企画当初、どうなるか分からない中で、当たるか分からないのに多額のライセンス料を払うのかっていうMP3のライセンス問題とかもあったんです。法的にはグレーな部分も幾つかあって、著作権に触れたらどうするんだとか。。。
川井: うーん、そう言われれば確かにリスクはありますけどね。(笑)
白井:それのためにリクルートの名前を出すならば、全ての問題をクリアした上でなきゃサービスはできないってことなんです。お金と時間を掛ければ出来るんですけど、でもその調査と対応だけで、あと半年は軽くかかるでしょうね。
川井: じゃあ、カヤックで出したほうが早いってことですよね。
白井:本当はそれじゃ意味ないんですよね。ただ、リクルートのそういう体質が、多分、今のWebの時代とずれてきているって彼らも分かってきてはいるので、そういうことをより一層理解させるために、ラボがあるのも事実なんです。なので、僕らはこういうものを作ったけど、リクルートでは出せませんでしたっていうのを量産していくことを一つの使命だと勝手に思って好きに作っているんです。「あのサイト」いいっすねって(笑)
川井: なるほど(笑)今、評判ですよね。
白井:ありがとうございます。カヤックの前には、ゼロベースさんと一緒にやっていましたね。JJのサイトでスマッチ(Smach)っていうサイトがあったんですけど、そのサイトのインタラクションデザインデザインをやったりとか、ちょっと前の仕事ですと、NHKアーカイブのFlashとかもゼロベースさんとの仕事でしたね。私は、3年くらい前からリクルートさんにお世話になっているんですが、その頃はWeb2.0っていうのが言われだした頃で、リクルートの事業部長クラスの人たちに実際に作ったものをお見せしてWeb2.0というものを体感してもらおうという動きがラボにあって、そのときにパートナーさんだったのがゼロベースさんなんです。その流れでゼロベースさんとは2年くらいやっているんですけど、さらに新しい刺激をもらおうという動きで、カヤックさんと組み始めたんです。きっかけは、さっきの株式会社Hanoi Advanced Lab(HAL)っていう前の会社の代表とカヤックの代表の柳澤さんのお子さんが幼稚園の同級生で、たまたまのパパ繋がりだったことなんですよ。世の中狭いですね(笑)
川井: (笑)なるほど。
白井:ずっとリクルートでやっているときから、カヤックさんの名前は知っていたし、あそこと一緒にやりたいねっていう話はしていたんですけど、たまたまそういう繋がりがあるっていう話で、リクルートにお金を出してくださいってお願いして、ようやく始められたんです。
川井: カヤックさんとゼロベースさん2社とのコラボレーションしながら、リクルートの新しいサイトを生み出すプロデューサーみたいな立ち位置ということですね。
白井:今のところはそうですね。プロデューサーというにはおこがましいですけどね。単に好きにやらせてもらっているだけです(笑)
川井: 本当にリクルートのメディアテクノロジーラボは色んなことをやってますよね。
白井:最近はようやく、そうなってきたと思います。
川井: この前Web2.0EXPOに行ったときに、出展していましたけど、こんなことまでやっているんだってびっくりしました。小便しながら検索するやつとかありましたよね。
白井:あれは、本当に狙って作ったんですよ。あの展示どうするって中で考えて、サイトじゃないもの作ろうって言ってやりましたね。
川井: 今、メディアテクノロジーラボは何人くらいいらっしゃるんですか?
白井:何人いるんだろう。20何人ですかね。
川井: そんなにいらっしゃるんですか。
白井:そういう意味でいくと、研究員っぽい人と、事業との接点をとしてFIT(Fedelation of IT)の事業担当兼メディアテクノロジーラボの人間も合わせるとそれくらいですね。
川井: IMO(Internet Marketting Office)の方もいらっしゃるんですか?
白井:IMOも1人いますね。ようやく軌道になってきたのと、期末の査定があるので、研究員は一気にまきを入れてプロダクトを作っている感じですよ。
川井: 今後はどうですか?どんな展開をってあります?ビジョンみたいなものは。
白井:何でしょう。僕1回引退したイメージでいるのが事実なんで、風の吹くままに行こうかなっていう感じですね。
川井: (笑)面白いですね。
白井:辞めて1年くらいプラーっとしていたって話をしましたけど、人と人との繋がりを持ちながら動いていれば、1、2年仕事がなくなっても、そのうち面白いもの転がってくるかもねっていうのは分かったんで、あんまり焦らずに行こうかなって思っています。フラフラしながらベトナムで何かするっていう気持ちもずっと持っていたいとも思っていて、それは自分で事業を起こすのかランシステムって形でもっと何か出来るのか分からないし、もしかしたらベトナム人を日本に呼んであげることかもしれませんけど、ベトナムと日本の架け橋に僕がいたから何かあったよねみたいなことが出来たら嬉しいなと思いますね。それはまだ具体的ではないですけど、常に意識しながらいたいなって考えています。僕はきっとカヤックさんとかの若いエンジニアの方からすると、何にも出来ないしコードが書けるわけでもないしっていう部分は多々あると思うんですけど、逆に、彼らの持っているものを飛び火させる係りなのかなと思っているんです。ゼロベースさんもカヤックさんからもとにかく刺激を受けるんですね。すごいな、若いのにみんな頑張っていて実力もあるしっていう刺激を受けるんですよ。僕がその刺激を受けて、僕と同じような世代とか別のところに、活きのいい若い人たちが頑張っているから何か使えないかってアピールするとか、こんなこと出来るんだよって教えてあげることによってそこで新しい仕事が生まれるとかできるといいなって思っているんです。もういい年なんで、同世代にほどほどの代表さんとか部長さんとかいっぱいいますけど、だんだん凝り固まってきて、見える範囲が狭まっちゃうじゃないですか。そういい人にもきっかけになると思うんですよね。
川井: それは、おっしゃる通りだと思います。
白井:もともとエンジニアだった人間が多いので、大学のときの友達がPanasonicにいて4G携帯の研究所にいたんですけど、携帯で100Mのスピードがきて何が出来るかっていうのがイメージつかないっていう話をされているときとかは、リクルートのラボの人間と話して、こんなことができるんじゃないかってブレストしてアイディア出しをしたりとかして、もしかしたらそこでお仕事になるかもしれないっていうようなこともしています。いろんな若い人たちや先端で頑張っている人たちから刺激を受け、社会に還元するとか、ベトナムに還元するとか、そうやってふわふわっと生きていけばいいかなって思っています。
川井: フィクサーみたいですね。(笑)
白井:最後の最後は、ありがたいことに、今はシステム開発の仕事はいっぱいあるんで、やりたくないけどすごく苦しいプロジェクトのプロマネでもいいって言えば多分何かあるとは思うんですよね。多分、皆さん持ってらっしゃるスキルで最後の最後それを使えば何とか食っていけるよみたいなものってあるじゃないですか。エンジニアってそういう人ばっかりだと思うんですよね。だって何にも出来ないって思っている僕ですらそういうことが出来るんじゃないの?って風に思っているんですよ。だからそういう最終手段を持ちつつ、今の僕は花粉を運ぶミツバチのようなものなので、それで業界が少し元気になったりとか、面白い仕事がいっぱい出来ればいいなと思うんです。
川井: なるほど、素晴らしい考え方だと思います。
川井: 最後なんですけど、若手のエンジニアに向けて、どうしてったらいいよってアドバイス的なものをいただけないでしょうか。
白井:僕は、企業で頑張っている人たちとは違うキャリアを選んでいて、40歳を過ぎているんですが、思ったのは、これもありだなということなんです。「1人になっても周りが助けてくれるぜ」っていう感じですし、色んな道があると思うんですね。1つのところで残って頑張っていくっていうのもありますし、外に出てやりたいことだけをやるっていうのもありだと思うんです。実際に私と同じ年でも、コードをバリバリ書いている人もいらっしゃいますし、その人たちは仕事がなくなったり、安定はしませんけど、それでも普通に楽しんで生きています。人と人とが繋がっていれば色んな道はあるのかなって思うので、自分がいいと思うことを求めて進んでいくっていうのが、精神的にもいいんじゃないですかね。
川井: (笑)そう思います。
白井:僕のまわりにも会社で嫌なことはいっぱいあるっていう人がいるんですが、「じゃあ、辞めれば」っていうと、1人になると不安で不安で仕方がない、何が起こるか分からないっていうんです。
川井: 特に家庭があって奥さんとかいらっしゃると駄目みたいですね。
白井:でも、あんまり没落していくSEって見てないんですよね。なんだかんだで、やっぱり普通に生きているんですよ。
川井: 確かにそうですね。
白井:もう1個だけ言いたいことがあるんです。自分がプログラマーになったときって、上の人からから教えられんですよ。ベトナムに行って気がついたんですけど、ベトナム人はベトナム人同士で教えあうことが出来ない、教えあってスキルを上げていくことができるほど、人材の層が厚くないんです。だけど、日本ってそういう意味ではエンジニアの層が厚くて、それは日本としてすごく大事にしなきゃいけないって思うんです。カヤックさんも言ってたですけど、自分の持っているものを10人に伝えて、もっと日本のエンジニアのスキルを上げるようにしないと、多分海外に飲み込まれるような気がしているんです。海外のスキルが高いかというとまだまだ差はあるんですが、結果良くないことが起こっているんじゃないかなって思うんです。優秀な日本のエンジニアが作るものと、安くてほどほどの海外のエンジニアが作るものが、経営者から見ると、コストを考えれば後者が勝っちゃうじゃないですか。それがもったいないなって思いますね。SEが空洞化してしまう、エンジニアも空洞化してしまうっていうのは怖いですね。長くやっている日本の産業では、やっぱり人が育っているし、自分も育ててもらったし、優秀な人には、人を育てるっていうことを積極的にしていって欲しいなってすごく思いますね。
川井: 日本のSEの文化では、ソースは人に見せないってところが元々はあったと思うんですね。ソースは人格だから見せられないみたいな人もいました。でも今は大分変わってきていますよね。若い人を中心にオープンソース的な開発が一般的になってから、大分よくなっていると思います。
白井:そうですか。企業内の活動でそういうのが上手く回るといいですね。たまたま僕らはラボなんで最悪許可されるんでいいんですけど、一般の企業だと昼間にそういう活動はできませんよね。
川井: SIって、競合と話もしないってことがありますよね。
白井:そんな感じですよね。情報交換とかってイメージはないですしね。
川井: リクルートとかって普通に情報交換していたと思うんですけどね。でも江副さんは学生援護会をずっと目の敵にしていたし、同じようなものかもしれませんけどね(笑)
白井:確かにそうですね(笑)
川井: もう1つのメッセージはどんな話ですか?
白井:技術力とかそういったものを含めてですけど、グローバルな意味でも日本がやっぱり先進国だなと思うんですよ。それを何か上手く世界に移していくことで、日本の産業がそれを巻き込んでグローバル化してより一層強くなっていく可能性はあるなって思っているので、そういう風に世界に目を向けてほしいと思うんです。でも、リクルートでもグローバルってあまり目にしなかったんですけよね。
川井: 当時のコンセプトは、「日本株式会社 人事部」だっていうのがありましたからね。
白井:「外を見ると面白いよ」って思います。日本の中ではそんなに大したことないと思っても、外に行くと大したものだったりすることもいっぱいあるし、逆に、そんなのこっちじゃ価値ありませんよみたいなものもいっぱいありますよ。「3日徹夜しました」って言っても価値なんかなかったりしますからね。
川井: 私も結構、海外出てないので見習いたいですね。
白井:いい刺激にはなるかなと思いますよ。
川井: そうですね。
白井:若い人は優秀な人多いですね。正確に言うと直接僕が接する人は皆優秀ですよ。逆に僕の友達から聞く若い人は駄目らしいんですよ。このギャップがどうしても肌で感じられないんですけどね。2極化が始まっているのかなという感じがするんですよ。僕が直接会っている人はベンチャーにいる人たちで、友達から聞く人は大手の人たちなんですよね。これがもっと上手く融合して行けば、若い世代の力がもっともっと上がるだろうにって思いますね。
川井: 我々の世代も含めて、常に「若い人は…」って言われ続けてはいますんで、気の毒な気もしますが、それを差し引いてみても、やや物足りなさを感じるシーンは確かに多いですね。やはり若い人たちにはもっともっと活躍して欲しいですね。いろいろとお話をお聞きしている間に時間となってしまいました。本日は、お忙しい中。本当にありがとうございました。
白井:こちらこそ、ありがとうございました。

実はこの方が紹介者→ Webエンジニア武勇伝 第16回 貝畑政徳 氏
次に紹介したのは→ 株式会社リクルート メディアテクノロジーラボ
長友肇 氏 5/12(月) 公開予定!!
これを読んだあなたに
オススメの会社は→

株式会社ドワンゴ

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