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第5回 増井雄一郎氏 株式会社ワイズノットクロスメディア事業本部

今回は、株式会社ワイズノット クロスメディア事業本部に4月から参加した増井雄一郎さんにお話を伺います。インタビューではワイズノットグループの株式会社オープンソース総合研究所の母里健一マネージャと株式会社ケイビーエムジェイの高瀬裕一氏にご協力をいただいております。会場は、恵比寿の焼肉店「とらじ園」です。

増井雄一郎 氏


1976年 北海道生まれ
1992年 高校時代にアルバイト先でデータベースアプリケーションの開発を行う。
1999年 株式会社ハイセックを設立。主にウェブ系システムの開発を行う
2004年 株式会社ハイセックを解散。フリーランスとして活動。
2006年

技術評論社 Ajax 実装のための基礎テクニック 執筆

翔泳社 PukiWiki入門 まとめサイトを作ろう! 執筆
2007年 株式会社ワイズノット・株式会社オープンソース総合研究所へ入社
川井: 増井さん、はじめまして。今晩はよろしくお願いいたします。
増井: こちらこそ、よろしくお願いします。実は過去のWebエンジニアの武勇伝シリーズを見たんですが、前回の伊藤さんも、その前の笠谷さんもよく知っているんですよ。今回は彼らからの紹介ですか?
川井: え、そうだったんですか。やはり業界は狭いですね。でも今回はそのルートからではなくて、御社の嵐社長が私の前職の同僚で、この前お邪魔したときに誰か面白い人いませんかって聞いたところ、推薦いただいたんです。
増井: そうでしたか。いやあびっくりしました(笑) 伊藤さんとはオン・ザ・エッヂ(現:ライブドア)でアルバイトしていたときからの知り合いで今でも毎日チャットで話していますし、笠谷さんとはカンファレンスなどでよくお会いしていますよ。
川井: これもご縁ですね。このコーナー、いつか本にして出版したいんで、そういうつながりもあると面白いですね
川井: 早速ですが、PCとの出会いなどお聞きしてもよいでしょうか?
増井: 中学の時です。科学部にあったMSXをいじっていました。
川井: やっぱり中学の時ですか。本格的にやられていたんですか?
増井: いえ、本格的にやりはじめたのは、高校に入って親にMSXを買ってもらってからです。Basicやアセンブラで組んだプログラムをMSXFANみたいな雑誌に投稿していました。
川井: その頃から雑誌に投稿とはすごいですね。
増井: 高2くらいからは仕事にもしていました。カメラ屋にバイトで入ったんですが、履歴書にコンピュータが得意と書いてしまったら、いきなりプログラムの仕事をしないかって話になったんです。そこでやったのが始めての仕事ですね。
高瀬: どんな言語で開発されたのですか?
増井: 当時、Postgresqlの様なデータベースやExcel等がなくて、dBASEと言うデータベースや、 Lotus 1-2-3のマクロなんかを使って、日報管理システムや発送伝票を打ち出すシステムを作っていました。
高瀬: Lotus 1-2-3!凄く懐かしい名前ですよね(笑)
川井: しかし、やらせる方もやらせる方だけど、できちゃう方もできちゃう方ですね(笑)
増井: 親父からは、なんで俺の小遣いよりお前のバイト代の方が高いんだ? って文句言われてました(笑) まあ、タイミングもよかったんですかね。その頃にカメラ屋に出入りしていた会計業者にも頼まれて網走まで飛行機で出張して仕事をしましたね。
川井: すっかりビジネスですね。高校生なのに!
増井: そうですね、早い段階から仕事にしてしまっていたのもあって、今でもあまり趣味とかではできなくて、仕事だって状態にしないと馬力がでないんですよ。
川井: 健全ですけどね。困るときもあるでしょうね(笑) その後は大学に?
増井: 高校が工業高校だったので、旧第二情報処理技術者(基本情報技術者)も持っており、北海道工業大学の推薦も受けられたんですが、さすがに男子高みたいなところから男子大学みたいなところに行くのは抵抗がありまして……文系の大学にいきました。
川井: なるほど。切実な問題ですね。で、成果やいかに?
増井: 妻をこの大学で見つけました。
川井: そりゃ、大きい成果でしたね(笑) でも文系の大学だとコンピュータやプログラムの勉強はあまりできなかったんではないですか?
増井: そうなんです。そういう授業が情報処理概論というのしかなくて授業ではほとんど習わなかったですね。たまたまというかその情報処理概論の教授がコンピュータが好きで、研究室にコンピュータがあったんです。毎日のように通い詰めて、そのうちに鍵をもらって寝袋を置いて、泊り込んでいました。
川井: それはありがちな話ですね。
増井: その教授が、経営とコンピュータをテーマに講演をよくしていたので、一緒に飛び回って私も講演したりしていました。どうも人よりやることが少しずつ早いみたいなんです。
川井: 他に面白いことはありましたか?
増井: アルバイトは月に450時間やったこともありましたよ。月に70万は稼いでましたね。
川井: そりゃ、すごい。どんなバイトを?
増井: ゲーム会社でもバイトしていましたね。アセンブラやC言語でガリガリと書いていました。
高瀬: 凄い!アセンブラから弄られているんですか?
増井: そうですね、Z80やi386、MIPS、PowerPCなど、大体のCPUは扱えます。
高瀬: 非常にコアな所から弄ってらっしゃるんですね。ちなみに、どういったゲームを作られたんですか?
増井: 凄くマイナーなゲームで、作ったけど結局お蔵入りになった物もありました。元々が3DOのゲームの移植だったりして、その時点で売れるか売れないか分かるかなと(笑)
高瀬: 3DOですか。確かに知り合いの中でも持っていた人間は居なかったですね。
増井: マイナーですよね(笑)なので、作っている最中に『これは売れないだろう』と思っていたのですが、実際に発売してみると案の定売れない……(笑)
川井: 増井さんもゲームお好きなんですか?
増井: あまり好きではないですね。元々ゲームをやらないものだからすぐにゲームオーバになっちゃって、自分で作っているので、どうすればクリアできるかわかるけど、動かせなくて上手く進めないから、自分ではこのゲームが難しいかどうかわからないんですよ。だから作っているときには、ゲームが得意な友人にやってもらって、簡単にクリアできるかとか難易度が問題ないか見てもらったりしていました。
川井: パソコン通信とか盛んな時期だったと思いますが、そちらの方は?
増井: 勿論やっていました。北大の人とかとよくOFF会をしたり遊んだりしていましたね。でも大学で普通にコンピュータをやっている人たちとつきあってて、大学で勉強する内容がたいしたことないなって思っちゃって。だから、大学は文系にしたんですけども(笑)
川井: ずっと北海道なんですよね? その後は?
増井: 札幌生まれの札幌育ちです。動くのが面倒だし、いつもオンラインで仕事をしていたので、不便さも感じなかったんです。その後、大学5年生のときに会社を作りました。友人2人と立ち上げて、多いときには社員5人になってました。結構大手のクライアントがついていたんですが、営業も経理も全部自分でやらなくてはいけなくて、にっちもさっちもいかなくなって、会社を閉じたんです。
川井: 他の仲間はつらかったでしょうね。
増井: そうですね、でも皆、自分でフリーランスとしてできるからってすんなり同意してもらえました。
高瀬: 会社を畳んだ後は、増井さんはどうしていたんですか?
増井: 今まで会社でもやっていたようなWebの仕事以外に、組み込み用のボードでLinuxを動かせるように移植の仕事をしたりと色々な事をやっていました。元々趣味でPDA上でLinuxを動かしたりしていたので。
高瀬: そうすると、カーネルを作り変えたりLinux自体の作成もされていたんですか?
増井: そうですね。でも、大体は起動時にモジュールで詰まっている所を解決してあげたり、ドライバを書いたりして解決できる問題がほとんどだったので、カーネル自体は余り作り変えなかったですね。
高瀬: 凄い、PS3とかだと、良く聞きますがPDAだと難易度が違うでしょうね。
増井: その辺も、結構ブログに書いてあったりするので情報を調べて結構対応できますね。その話題の、PS3にもインストールしました。実は連載していた雑誌の編集長から発売当日の夜11時ぐらいに電話が掛かってきまして、編集長から電話が掛かってくるなんて普通考えられないものだから何なんだろうと……。びくびくしながら出てみたら『北海道にPS3を売ってる店があったので買ってきてください』と(笑)雑誌の記事でPS3にLinuxを載せようとしたけどPS3が確保出来なかったみたいで、なので言われた店に行って自分の分と頼まれた分で2台確保して、結局自分もLinuxをインストールしました(笑)
高瀬: そういえば、こちらに来る前に母里さんから伺ったんですが、iPhoneを購入されたんですよね?
増井: はい。アメリカに知り合いが居まして、その人にiPhoneを買ってもらって送って貰いました。
高瀬: おお、動きが滑らかですね。私も似たような物で最近e-mobileを購入したんですが、ブラウジングはやっぱりスムーズですね。
増井: W-ZERO3も、e-mobileも買ってます(笑)どんどん自分の周りにデジ物が増えていっていますね(笑)
川井: 日本で一番使われているWikiである“PukiWiki"開発に大きく関わっているとお聞きしましたが
増井: PukiWikiは元々yujiさんという当時専門学校に通っていた方が一人で開発されていたのですが、お忙しかったようで開発が止まってしまっていました。しかしPukiWikiはとてもよくできていたので、勿体ないと思い、メンテナンスしたいんで引き継がせて欲しいとお願いしてやらせてもらったんです。そしてオープンソースでコミュニティが開発できるようにしました。でも飽きっぽいんですよね。自分がいなくても動くようにして人に譲ってしまいました。そもそもプログラムは自分よりもできる人がいるので任せたいし。
川井: いや……増井さんよりできる人なんてそうそういないのでは……
増井: うーん、確かに早く作るのは得意ですけどね。“10分で作るRailsアプリ for Windows"というのも公開しているくらいですから。
川井: どのような内容の物ですか?
増井: WindowsにRuby on RailsとMySQLを入れて環境を作り、その上で簡単なブックマークアプリケーションを作るまでを記録したムービーで、編集ナシでホントに10分以内でアプリケーションを構築しています。2005年11月18日発売の技術評論社 SoftwareDesign 2005年12月号で詳しく解説しましたのでご参照ください。
川井: なるほど。雑誌へのライティングも多いですよね?
増井: そうですね。初めは自分から売り込むことが多かったのですが、だんだん、向こうから仕事も来るようになりました。技術評論社の雑誌とか日経ITproとかが多いですかね。知っていることを書くだけでなく、勉強するきっかけとして記事を書くことも結構あります。記事を書くとなると詳しく調べるので、よく知っていることだと思っていても、思わぬ発見に出会うことがありますね。
川井: 売り込みが得意というのはエンジニアとしてはとても強みですよね。
増井: エンジニアとして手を動かしていたい気持ちが強いですね。人の面倒を見るのは苦手かもしれないです。なのにこんな肩書きつけちゃいけないのかもしれませんが(笑)
川井: ははは(笑) でも、その分エンジニアとしての価値が大きいのでしょう。現場で頼りになるエンジニアですよね。当然、火消し役が増えるのではないですか? 大変だったんじゃないですか?
増井: 全部を知りたいんですよ。技術だけでなくて、企画も営業も全部知りたいし、やりたい方なんです。
川井: ずっとフリーでやっていたわけが、よーくわかりました(笑)
川井: そんな増井さんが、今更というと失礼ですが、会社員になったのは何故なんですか?
増井: 必ず聞かれるんですよね〜
川井: でしょうね(笑) もう話疲れたかもしれませんが、そこのところを是非。
増井: はい(笑) 昨年一年(2006年)は、Railsの仕事しかしないって決めて、シカゴのカンファレンスとかにも行ってきたんです。英語は全然話せないのですが、とりあえずなんとかなったんです。それで海外で仕事をいようかなって。
川井: 随分、大胆ですね。
増井: メチャクチャ楽天的なんですよ。シカゴに行くときも初めての海外だっていうのにツアーでもなく、一人でセットして行ったりとか。すべて大丈夫、なんとかなるって思っちゃう。
川井: その部分は私もまったく同じですね。よく社員から呆れられる(笑) でも、それがどういうつながりで社員に?
増井:
続きがあるんです。昨年6月のオープンソースカンファレンス北海道で、アメリカに行きたいけど英語が駄目なんですって言いまわっていたら、ワイズノットの嵐社長からアメリカに支店を出そうと思っているので、うちに来ないか?って誘われたんです。アメリカで仕事をするとなるとビザの問題もあるし、法人雇用で行くことができれば、それもいいなって思って決めました。
Railsカンファレンスで講演した人たちのサインが詰まったカバン
川井: 確かに一番、働きやすいですよね。なるほど。事情がよくわかりました。
増井: 30歳までフリーで来て、もう一生、サラリーマンにはならないだろうなって思っていた矢先のことだったので、ちょっとびっくりしていますが、自分の好きなことのために動いているので、全然抵抗もありません。それにあまり大きな声では言えませんが、ほんと自由にやらせてもらっているし(笑)」
母里: 雄ちゃん、それ以上はちょっと(笑)
一同: (笑)
川井: 増井さんの目標みたいなものってどんなことでしょう?
増井: うーん、一言でいうとちゃんと飯が食えるようになるってことなんですけど、もっと言うと、今日の仕事がなくなっても明日からすぐに別の仕事ができるってことですね。どんな言語でも組めるとか、プログラムだけではなく、営業や企画に近い分野もOKというのもそういう風になりたいと思っています。
川井: 講師なんかもされているとか?
増井: してますよ。Webのことなんか何も分からないのにオンラインショップを開きたいという中高年の方からプログラマレベルの方まで、とにかくパソコンを使うすべての人が対象で色々な種類の講習会の講師をしています。
川井: なるほど幅が広いですね。アメリカ上陸も仕事の幅を広げるということの一環ですか?
増井: そうです。海外に行き、英語ができる用になれば、自分の幅が広がりチャンスも増えると思っています。コードを書いているのが大好きですが、上には上がいるので、別な何かで土台が欲しいですね。世の中には本当にすごい人がいますから。
川井: あ、もう一つ、どうしてもお聞きしたかったことがありました。風呂でもプログラムを書いてるって本当ですか?
増井: 本当です。ブログ読んだり、コードを書いたりしています。
川井: プログラマーじゃなくて風呂グラマーっていうそうですね……ということは聞くまでもないかもしれませんが、趣味は? もちろん……
増井: ええ、プログラムですね。
川井: ですよね
増井: フリーで働いていたこともあって、家では元エンジニアの妻と95%くらいは一緒にペア行動していますが、ほとんど仕事の話ですね。
川井: それもすごいですね。うらやましいようなうらやましくないような……結構、エンジニアの方はデザイナーの方と結婚されるのが多い気がしましたが、エンジニア同士というのも面白い家庭になりそうですね。
高瀬: プログラムの話が出ましたが、プログラムの開発は、どういった環境で行われているんですか?
増井: Macを使っています。エディタはEmacsでコードを書いており、いろいろカスタマイズしていますね」(机の写真を見せて貰う)
高瀬: おお!第3回の笠谷さんと同じ環境ですね!あの人も会社の机は同じ様に複数ディスプレイで、使ってるキーボードまでHHKですし(笑)
増井: 後、椅子には拘ってます。
高瀬: なるほど、やっぱり長時間座る仕事ですからね。
増井: 会社に入った時、会社の椅子では満足できず、自分で椅子を買っって持ち込んだんですよ。最初は家とは違うメーカーのを買ったんですが、結局合わなくて、家と同じアーロンチェアにしちゃいました。
母里: 椅子を持ってくるエンジニアは、彼が初めてでしたよ(笑)
川井: このコーナーは生き様を語っていただくのもあって、若いエンジニアに一言いただきたいと思います。
増井: これもきましたか。そうですよね。みんな、困ってましたよね(笑) 最近は情報がいっぱいあって、プログラムが書ける若い人はいっぱいいますよね。でも、どう動いているのか、プログラム以前のアルゴリズムを知っていない人は多くて、応用がきかないケースが多い気がします。ハードまで戻るにこしたことはないですが、そこまでいかなくてもプログラムの動く原理や、メモリの動きなどプログラムの基本的な所は、学んだ方がいいと思いますね。
川井: よくいわれますよね。特にWeb系のエンジニアにはこういうアドバイスをよくいただきます。他にはいかがでしょうか。
増井: やっていいか悪いか分からないことはやらないって人が多いですよね。よく怒られるかもしれないからやらないとか、言われたこと以外は自分がいいと思ったことでもやらないとかそういう話が多い。自分は、NOといわれないものはYESだと思っているので、やっちゃ駄目って言われたこと以外はいいと思ったらやってしまいますね。
川井: なるほど。自分が正しいと思うのだからやればいいと。これにも賛同します。エンジニアに限らず多いですよ。減点方式で育ってきている人が多いと感じますね。最後にもう少し人生というか、大きな視野でのアドバイスはありますか? 増井さんの生きる信条みたいなものでも結構です。
増井: 仕事が楽しくないと面白くないと思うんです。残りの人生の半分以上、働くわけですからどう仕事を楽しくするか考えて欲しいと思います。文句をいうわりには動かないんですよね、みんな。
川井: なるほど。深いですね。おっしゃる通りだと思います。仕事が嫌いで苦痛だったらこんなに辛い人生ないですよね。
増井: そう思います。
川井: 今晩はいろいろと面白いお話をありがとうございました。しかし、本当によくお話になるので、エンジニアという印象がまったくないくらいです。ウェブキャリアも「Ruby on Rails」に注力していくつもりですので、今後ともよろしくお願いいたします。
増井: こちらこそ、よろしくお願いします。

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