川井: |
その後は、どんな風に過ごしたんでしょうか? |
跡部: |
私、出身が北海道でして、大学のときに東京に
出てきました。。特段、目的意識が高い方ではなかったので、法学部でありながら、もっぱらサークル活動に専念し
ていました。映画研究会に入り、8を撮ったり、映画を見にいったり、昔の大学生を真似してみんなで文学を読ん
でいましたね。おそらく、父親の影響でしょうか、大学に入ったら昔の大学生みたいなことがやりたかったんのだと
思います。文学書を読みあさり、映画に通い詰めといった具合です。(笑)さすがに学生運動はしませんでしたが、
政治やジャーナリズムに興味を持ち、新聞記者になることを夢みていました。残念ながら、結局はその道には進めま
せんでしたが。
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川井: |
それで、結局どういう方向に進んだんですか? |
跡部: |
先輩がテレビ報道番組の仕事をしていたので、
彼に誘われてアルバイトをはじめたのが報道の世界に入るきっかけとなりました。テレビ番組のアシスタンドディレ
クター(AD)という仕事をしていた訳ですが、実際には資料集めやカンペの準備が日常業務した。その時、番組調査
をする機会があり、昔からパソコンをやっていたという経緯もあり、情報収集の手伝いもしていました。確かIBMの
ノートPCでバタフライって呼ばれていた中古ものを買い、Gサーチ等で書籍検索をしていました。そのうち、、昔と
違ってPCは単にローカルではなく、通信でつながることを知り、(当時、ニフティが凄い勢いを増していたので)
、多種多様な情報収集が可能だということを発見し、「なんか変わりつつあるなあ」とパソコンが魅力的な、新たな
ものに見えてきたのでした。
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川井: |
インターネットがきっかけなんですかね?
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跡部: |
そうですね。まあ、当時は、まだニフティやパ
ソコン通信が中心で、巡回ソフトをニフタームにつないで、自動的にデータを切り取りするような状況でしたが。イ
ンターネットもニフティ経由で接続しましたが、海外の英語の情報に触れられることに驚いた記憶があります。
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川井: |
それでも、まだパソコンを仕事にっていう思いはな
かったんですか?
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跡部: |
もともとはジャーナリズム志望だったので、当
時はまだ情報ツールとしてしか使っていませんでした。プログラミングという意識はほとんどなかったと思います。
ただ、テレビのアルバイトの中で、若者向けの討論番組をやっていたので、私らの世代は人数も多く、バブル崩壊後
という時代背景がありました。不況という世紀末的なムードもあり、オウムや阪神大震災も重なって、鬱屈した空気
がありました。そんな中でも、インターネットはもの凄い可能性を持ったツールに見えてきた訳でして、最初は、あ
る種エマージング的な存在として興味がありました。気づけば、すっかり関心をもって番組提案のテーマにもしてい
ました。
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川井: |
ちなみに就職は?
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跡部: |
もともとテレビよりも活字の方に興味があった
ので、新聞社を志望しましたが、うまくいかず、たまたま隣の番組の人からASCIIで新しい雑誌報道記者を募集して
いる話を頂いたのです。それがきっかけでASCIIに入社しました。社会人1年目は「週刊ASCII」の編集記者を契約社
員でやりました。当時のASCIIは、元SPA編集長だった渡邉直樹さんが編集長だったのですが、ダブルフェイス(左右
両開きの装丁)だったり等、最近のASCIIとは大分テイストが違っていました。最初は報道部というところに入って
、いろんなニュース記事を書いたりしていました。報道って言っても、「ASCII」ですし、やっぱりインターネット
に興味があったんで、「酒鬼薔薇事件のときのインターネットの動き」とか「インターネット墓地」の取材とか行っ
たりしていましたね。
|
川井: |
インターネットに関わるニュースネタを集めて記事
にしていたってことですね。
|
跡部: |
そうですね。当時は「2ちゃんねる」がまだな
くて、匿名掲示板の「あやしいわーるど」というのがあったりしたんですが、そういった世の中の動きに対してのネ
ットのリアクションなんかを取り上げて記事にしていました。
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川井: |
楽しそうなお仕事ですね。
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跡部: |
楽しかったんですが、雑誌自体はうまくいかな
くて半年くらいで休刊になってしまったんです。今の「週刊ASCII」って実は、「EYE・COM」っていう雑誌が元にな
っていて、その担当の人たちが「EYE・COM」のテイストを継承してタイトルだけ「週刊ASCII」で出しなおしたもの
なんです。当時、西さんから集められて「休刊するけど、どうする?」っていわれて、他の部署にいくとかいう選択
肢もあったんですが、挫折感が大きかったり、ちょっともともとイメージしていた仕事と違った感じもしていたので
、私はそのタイミングで退職したんです。編集者っていうのは、人付き合いとかコラボレーションが必要で、作家や
協力会社の人たちとうまく連携して材料を集めてきて、ネタにするかってところが大事だと思うんですけれど、私は
どっちかっていうと編集者よりはもっと記者みたいな仕事の方がやりたかったりもしたんです。それもあって「知り
たい」っていう気持ちが先行して、その気持ち中心で仕事をしていたのもあったのか、編集者としては、あまり上手
くいかなかったんですよね。それで退職して、そのあと半年はニートをしていました。
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川井: |
ええ!そうなんですか。
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跡部: |
そうです・・・。
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川井: |
これは遊んじゃおうっていう開き直りでもなくて惰
性でずるずるという感じですか?
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跡部: |
自信を失くして、、現実から逃げていた気がし
ます。
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川井: |
何歳くらいのときになりますか?
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跡部: |
26歳のときです。当時の自分と比べて今の26歳
くらいの人がでばりばり仕事している人を見ると、改めて感心します。
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川井: |
その半年間は何をしていたんですか?
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跡部: |
完全に引きこもっていましたね。今の言葉でい
うと「ひきこでニート」ですよね。家で何をやっていたかっていうともうゲームばっかりやってました。アメリカの
3DゲームでTANARUSっていうオンラインゲームだったんですよ。4チームに分かれて戦車で戦うゲームで結構熱くて、
英語でチャットしながらやるんです。当時のアメリカではまだβ版で、日本語版を作るっていうときに私がマニュア
ルを書いたりしたんですが、それだけはまっていたんですよ。
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川井: |
無償でやられていたんですか?
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跡部: |
β版テスターだったんで、基本は無償ですね。
反対に通信費が異常にかかっていて、この頃は「テレホーダイ」が始まっていたんですけど、その時間をこえて遊ん
でいて、月5万とかまでかかっていたんです。「ひきこでニート」なのにゲームでこんなに親の金をつかって、なん
たる親不孝って感じでしたね。こりゃ武勇伝どころか全然手本にもならないですね(笑)
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川井: |
いやいや、これからですよね(笑)
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跡部: |
それからは、もうテレホ生活で昼夜逆転してて
体調もよくないし、夢も希望もなかったんですが、「そろそろ気負わずに働いてみたらどうだい」って親からも言わ
れて、このやっと働いてみようかなって思ったんです。その時に得意分野を仕事にできたらいいかなって思って考え
ていて、やっぱり昔のPC8001からやっているパソコンかなって気持ちになったのと、インターネットが盛り上がって
いて、実際にユーザーとしても面白いなって思っていましたから、ここをやるしかないなって思ったんです。
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川井: |
なるほど。
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跡部: |
それで就職情報誌を見て最初に門を叩いたのは
、2次請け、3次請けをやってるSIerでした。そこは家から近いっていうのと、ストリーミングをやっていたんです
よね。私はもともとメディアとかにいたんで、面白そうなことができるかなって思って門を叩いたんです。で、入社
して最初にやらされたのがVBAでしたね。プログラムの実務経験はないんで、とりあえずVBAをやって、ACCESSで動か
したりしていたんですが、そうこうしているうちに何故か関西の企業の新人研修の補助講師をやれって言われたんで
すよ。
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一同: |
(笑)
|
跡部: |
VBやって3ヶ月で補助講師やれって・・・感じ
ですよね。まあ補助なんで、大変なあれでもなかったんですけどね。もともと社長にはネットワーク系の仕事とかス
トリーミングの仕事をやりたいって言っていたのですが、次はプロバイダーに常駐してルーターとかスイッチ触る仕
事があるんだけどやってみないかと言われたんです。それで、1998年5月くらいですかね、NTT系のISPに常駐で仕事
をするようになったんです。やっていたのは、専用線サービスの開通工事調整とかルーターの設定とかでした。対抗
側の顧客のルーターとかスイッチの設定とかもしていましたね。3年半くらいですかね。それが一番大きかったです
ね。まだ会社も大きくなかったので、結構なことをやらせてもらえてり、スーパーなエンジニアの方がいたりして、
その人に噛り付いていろいろ覚えたりしました。
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川井: |
かなり楽しかったんですよね?
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跡部: |
そうですね。ルーターとかインターネットを作
っている根幹のところでもあるし、ルーターとかを使って実際に通信が流れてつながっていくみたいなものが楽しか
ったですよね。
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川井: |
ずっとニートをやっていたのに、いきなり忙しくな
っておまけに常駐先に1人で行かされてという状況で抵抗感とか違和感とか負担感とかはなかったんですか?
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跡部: |
いざ仕事を始めたら、もうそういうモードにな
っていたので、大丈夫だったんですが、実はまだTANARUSとかもやっていて睡眠不足なんで、前任者からの引継ぎの
打ち合わせの最中にこっくりこっくりしていたりとか、こっそりトイレで寝ていたりとかひどいことしていましたね
(笑)
|
川井: |
まあ、そういうこともありますよね(笑)
|
跡部: |
でも、いい先輩がいたんですよ。一度「ちょっ
とこれやってごらん」ってその先輩にいわれて、ルーターをいじっていたら反応しなくなって、いきなりサイレンの
大きな音が鳴ったんですよ。そしたら先輩が「跡部さん、今なにしたかわかる? 今、お客さんの落としたんやで」
って言うんです。びっくりしましたよ。「なんでこの人注意しないの!」みたいな。
|
川井: |
その先輩、面白いですね(笑)
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跡部: |
そのとき、大事なものを扱っているんだなと感
じましたね。自分の業務でいろんなところに影響が出るし、大切な仕事をしているんだなって、仕事に集中しなけれ
ばいけないなって思い知らされたイベントでした。
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川井: |
まさに身をもってですね。
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跡部: |
教育のためにわざとやったのか、それとも単に
見落としていたのか分からないですが、どのみち責任はとらされたでしょうからねえ。
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川井: |
それが今でも生きているわけですよね。
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跡部: |
そうですね。大事な通信を見ているわけですか
らね。ルーターってBGPとかで喋れば世界中につながっていて、自分たちが何かおかしなことをやると世界中に影響
を与える可能性があるわけなんですよ。BGPって、ボーダーゲートウェイプロトコルの略でISP同士が喋るルーティン
グプロトコルなんですが、これはもうネットワークエンジニアの聖域みたいなもので、触ることができるのは「誉れ
」みたいなものなんです。ですので、仕事の大切さを知ると同時に、本質的なところを知らないとやっぱり駄目だな
って思って、技術の深いところを知りたいというモチベーションが芽生えてきましたね。
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川井: |
なるほど。ここも3年半くらいですか?
|
跡部: |
そうですね。でもやっぱり常駐パートナーなの
で、あまり深いところはタッチできないじゃないですか。ダイナミックルーティングの世界とかは難しいですよね。
一方で私もキャリアを上げたかったし、この世界に入ったのが遅くて、年令的にもいっていましたから、自分で勉強
もしていたんですよ。Request for Comments (以下RFC)を読んだりとか英語のドキュメントを取り寄せて読んだり
とか。結局、それで飽き足りなくなって、じゃあ、やっぱり転職しようと思ったんです。
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川井: |
なるほど。
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跡部: |
その時、ちょうどインターネットバブルの最中
で、外資が大挙して押し寄せてきてて、AboveNetとかExodusとかグローバルクロッシングとか、いろいろな会社が出
てきているときだったので、これはいいやと思って、台湾人が社長のデータセンターのベンチャー企業に転職しまし
た。
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川井: |
外資系のベンチャーですか。
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跡部: |
そうですね。ネットワークの業界ってちょっと
特殊だなと思うところがあるんです。やっぱりそんなに大きなネットワークを触れる会社っていうのは限られていて
、まあ、だいたいプロバイダーとかが多いんですけど、NTTとかKDDIとかキャリア系が多いじゃないですか。そうす
ると少人数の正社員で、徒弟制みたいな感じの世界が多かったんですよね。先輩から後輩へ口伝とかで伝えていく職
人の世界なんです。そうすると私みたいに途中から入ってくるとなかなかうまくいかないじゃないかなって思ってい
たんですけど、そこに外資がどんどん新しく仕事を作っていたんで、いい機会だなって思っていました。
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川井: |
それで、その会社はいかがだったんですか?
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跡部: |
最初は驚きました。先輩にあたる人は殆どいな
く、戸惑いました。でも逆にそれがあってすごいチャンスをいただけて、それまでは、言われたことをこなすだけの
世界だったんですけど、ここでは、どんどん私の言うことを吸い上げてもらえるんですよ。そしてビジネスに直結す
るようなことも担ったりとかして、結構、力をつけられたなって感じがします。面白かったのは、台湾とアメリカと
日本と中国にデータセンターがあって、全部つないでいたんですけど、一番技術的にコアな人は台湾にいて、日本の
データセンターのネットワークとかも台湾が設計して構築していたんですね。結局、こっちもそんなに力のある人が
いないから全部台湾が主導みたいな感じだったんですけど、「俺ができるからやらせろ、やらせろ」って言って、
IRCとかでチャットしながらいろいろ訴えて、仕事も少しずつ認めてもらって、日本独自でいろいろできるようにな
ったんです。海外と仕事をするっていうのは、なかなか面白かったですね。
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川井: |
それが、現在の「国際」というミッションに繋がっ
てくるんですかね?
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跡部: |
私はそう思っていますね。
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川井: |
この会社には何年くらいいたんですか?
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跡部: |
この会社は1年くらいですね。もともとワール
ドワイドにイケイケでやっていたんですけど、事業が立ちいかなくなってしまってクローズする方向だったんです。
それでその会社に出資していた会社がデータセンター事業を買収して、私も転籍をした形になりました。
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川井: |
人生いろいろですね。
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跡部: |
本当にいろいろですね。転職回数は多いですけ
ど、在籍期間は今の楽天が一番長いですね。
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川井: |
まだ、楽天さんの前に何社かあるんですか?
|
跡部: |
いえ、転籍した会社に半年くらいいて、そのあ
とは楽天ですね。
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川井: |
楽天さんに入ったのはどんなきっかけだったんです
か?
|
跡部: |
そうですね。前の会社が事業買収されて、ちょ
っと「負けた感」があったんですよね。前はベンチャーベンチャーしていたんですけど、転籍先は歴史のある会社で
、それなりに経験のある方がしっかり上の方を固めていたりしていたので、前みたいなインターネットがエマージン
グで若者がのし上がれる下克上みたいなものがイメージできなくなったんですよ。あともう1つあるとすれば、もと
もとデータセンターとかISPとか大きなインフラの世界でやっていたんですが、ラックの中にある世界ってまったく
ノータッチだったんです。なので、サーバーとかロードバランサーとか、ネットワークエンジニアとしてそういうも
のに振れて幅を広げたかったっていうのがありますね。そんなことを考えているときに、たまたま知り合いから、「
楽天でネットワークエンジニアを募集してるよ」って聞いたんです。それで今のプロデュース系の執行役員の和田圭
さんに面接をしてもらって、「いろんなことができるよ」とか「どんなネットワークを作っていくか一緒にやろうぜ
」って言われて、面白そうだなって思って入社したんですよ。
|
川井: |
なるほど。これって何歳くらいのときですか?
|
跡部: |
これは31歳くらいですかね。2002年ですね。
|
川井: |
じゃあ、6年くらいになるんですね。
|
跡部: |
そうですね、6年目ですね。
|
川井: |
入社してからは、どうだったんですか?
|
跡部: |
当時はまだ楽天もスタートアップ時期で、ビジ
ネスでは相当成功したんですが、ネットワークの部分ではそんなに詳しい人がいなかったんですね。すごくシンプル
なネットワークで、VLANとかセグメントも分かれてなくて、結構、障害が多かったですね。スパニングツリーってい
うのがあるんですけど、それがループしてしまったりして年末商戦の大事な時期に止まってしまうとかあって、この
ままじゃネットワークが駄目だねって話で、ベンダーさんからも提案を受けて、新しいネットワークを構築しようっ
ていうタイミングにちょうど私が入社したんです。前の仕事での経験もあったので、すぐにそこに参加させてもらっ
て、いろいろ提案なんかも聞いてもらえましたね。
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川井: |
かなりの成果をあげたんじゃないですか?
|
跡部: |
そうですね。当時のネットワークと比べると相
当最適化されて変わってはいますね。インターネットに送信しているトラフィックも当時は100Mbpsくらいだったん
ですが、今、10Gbps近くなっていて、通信量も莫大に増えています。管理対象のサーバーの数もかなり増えています
。ビジネスに成功して、アクセスが右肩あがりに増え続ける中で、いかにスケーラブルなネットワークとかシステム
とかインフラを作るかがとてもチャレンジングだし、トライ&エラーで、自分たちの頭で考えてドンドン改変してい
って、今は結構スケーラブルな仕組みになっていると思うんですよ。BGPで上位のISPと接続したり、複数のデータセ
ンター間を40Gで接続できるWDMという装置を導入したりしました。データセンターの物理配線に関しても担当しまし
て、独自の設計手法を考え、特許の出願を検討したりしています。
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川井: |
今は、そういうインフラの世界を完全に離れて、新
しいミッションにつかれているんですか?
|
跡部: |
昨年、ショウタイムっていう関連会社に出向し
ていて、ストリーミングのインフラの企画設計とか、営業とかしたりしまして、インフラエンジニア専業からは離れ
ています。
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川井: |
国際開発室に異動されたのは今年からですか?
|
跡部: |
人事発令は10月1日でした。
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川井: |
じゃあ、着任したばかりなんですね。来てみていか
がですか?
|
跡部: |
社長が言っている通り、海外に進んでいこうと
思っているんですが、新しい挑戦をなので、皆、「新しいものを創るぞ」って意気込みでやっていて、なかなか活気
があって面白いですね。自分の役割はどちらかというと手を動かすところよりもプロジェクトマネジメントに寄って
いてですね、結構自分としてはRFC読んだりとかパケットキャプチャーしたりとか細かいところを積み重ねて、ボト
ムアップ的に作っていくのが得意だったのですけど、プロジェクトをマネジメントするっていうことには本格的に取
り組んだことがなかったので、でも自分の中では新しい挑戦だなって刺激的に感じています。
|
川井: |
常にステップアップしたりチャレンジャブルに取り
組んでこられている感じがしますね。
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跡部: |
楽天に入る前も、今は何をすべきなのか自分で
考えて、常にアクションをとり続けてきたと思っていますが、楽天は、本当に右肩あがりなので、仕事は増えますが
、新しいことに取り組むカルチャーがあります。その中で新しいことやらなければいけないなというのもありますし
、自分でも新しいことを常にやりたいという気持ちもあります。
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相馬: |
「成長する会社、成長する社員」のところですね。
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跡部: |
この会社いいなあって思うのは、そういう部分
に対しては、真面目にそう思っている人が多くて、自分も磨けるし、会社もそれを後押しすることに本気で取り組ん
でいるんですよね。エンジニアってキャリアステップが見えにくいじゃないですか。私もある意味悩んでいるところ
もあるんですが、チャンスが転がっていて可能性があるので、もがき続けて頑張ってみようかなって思っています。
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