ホーム > Webエンジニア武勇伝

サービス&ソリューション

第11回 跡部信行氏 楽天株式会社 国際開発室

今回は、10年で一躍、有名一流企業へと成長を遂げた、「楽天」のインフラを支えてきた「跡部信行」氏にお話を伺います。跡部氏は、楽天を支えるコアエンジニアの一人です。編集記者出身という経歴から、最近ご担当なさっている本格的な国際展開についてじっくりお聞きいたしました。なお、取材会場は、最近移転をした品川シーサイド駅にある「楽天タワー」の会議室です。楽天研究所の小林義法様、広報部の相馬円香様にも同席をいただいております。

跡部信行 氏


2002年8月 楽天株式会社に入社後、ネットワーク設計/構築/運用に従事。以後ビジネスの拡大に伴い、ネットワークの拡張・統合を進める。2006年5月 株式会社ショウタイムへ出向。動画ストリーミングサービスのインテグレーションに従事。現在は楽天株式会社にて、国際展開事業の開発関連プロジェクトマネジメントを行っている。

川井: 改めまして、よろしくお願いいたします。まずはPCとの出会いをお聞きしたいのですが。
跡部: パソコンを最初にやったのは、ある種王道で、 小学校のときでした。親にPC8001を買ってもらって、グリーンモニターで「ぴーひょろろ」とか、テープレコーダー からデータを読んで遊んでいました。たまたま親戚に詳しい人がいて、「これからはパソコンの時代だ」って言って くれたのがきっかけでしたね。当時はN-BASICでしたっけね。そこからBASICマガジンを買って、ログイン(LOGiN) とかその辺も買って、ちょこちょこ遊んでいたって感じですね。
川井: 最初の動機がゲームって方がかなり多いんですけど 、そのあたりはいかがでしょうか?
跡部: 自分から親に言い出した記憶はありませんが、 確かにゲームか最初のきっかけでしたね。頸文社の大百科でAtariとかでこんなゲームがあるとか書いてあるとそれ を探したりとかしていました。PC8001ってあまりゲームがなかったのです。「ちょっとゲームが少ないから、何して 遊ぶ?」ってときに、本に書いているプログラムとかを写してみたりして、そんな感じからやっていましたね。
川井: じゃあ、あまりゲームがどうしてもやりたいからと いうよりは、純粋にパソコンをいじりたかったという感じなんですよね?
跡部: そうですね。確かにとっかかりはゲームで、 PC8001でゲームとかできると喜んでいましたが、、当時、ファミコンの方がゲームとしての完成度は高かったんです よね(笑)
川井: なるほど、それはそうですね。その後、パソコンと のつきあいはどんな感じだったんですか?
跡部: そのあと、中学校のときにPC8801MHを買いまし た。X1とかFM-7とかグラフィカルなものがでてきて、惹かれるように情報を追っていました。
川井: 雑誌も引き続き読まれていたんですか?
跡部: 頸文社の大百科でAppleがあるのを見ていました。でも、そのあとはプログラムには深入りしませんでした。。引き続きゲームをしたり、MIDIのスコアをデータ化したものをコピーしていたような記憶があります。
川井: その後は、どんな風に過ごしたんでしょうか?
跡部: 私、出身が北海道でして、大学のときに東京に 出てきました。。特段、目的意識が高い方ではなかったので、法学部でありながら、もっぱらサークル活動に専念し ていました。映画研究会に入り、8を撮ったり、映画を見にいったり、昔の大学生を真似してみんなで文学を読ん でいましたね。おそらく、父親の影響でしょうか、大学に入ったら昔の大学生みたいなことがやりたかったんのだと 思います。文学書を読みあさり、映画に通い詰めといった具合です。(笑)さすがに学生運動はしませんでしたが、 政治やジャーナリズムに興味を持ち、新聞記者になることを夢みていました。残念ながら、結局はその道には進めま せんでしたが。
川井: それで、結局どういう方向に進んだんですか?
跡部: 先輩がテレビ報道番組の仕事をしていたので、 彼に誘われてアルバイトをはじめたのが報道の世界に入るきっかけとなりました。テレビ番組のアシスタンドディレ クター(AD)という仕事をしていた訳ですが、実際には資料集めやカンペの準備が日常業務した。その時、番組調査 をする機会があり、昔からパソコンをやっていたという経緯もあり、情報収集の手伝いもしていました。確かIBMの ノートPCでバタフライって呼ばれていた中古ものを買い、Gサーチ等で書籍検索をしていました。そのうち、、昔と 違ってPCは単にローカルではなく、通信でつながることを知り、(当時、ニフティが凄い勢いを増していたので) 、多種多様な情報収集が可能だということを発見し、「なんか変わりつつあるなあ」とパソコンが魅力的な、新たな ものに見えてきたのでした。
川井: インターネットがきっかけなんですかね?
跡部: そうですね。まあ、当時は、まだニフティやパ ソコン通信が中心で、巡回ソフトをニフタームにつないで、自動的にデータを切り取りするような状況でしたが。イ ンターネットもニフティ経由で接続しましたが、海外の英語の情報に触れられることに驚いた記憶があります。
川井: それでも、まだパソコンを仕事にっていう思いはな かったんですか?
跡部: もともとはジャーナリズム志望だったので、当 時はまだ情報ツールとしてしか使っていませんでした。プログラミングという意識はほとんどなかったと思います。 ただ、テレビのアルバイトの中で、若者向けの討論番組をやっていたので、私らの世代は人数も多く、バブル崩壊後 という時代背景がありました。不況という世紀末的なムードもあり、オウムや阪神大震災も重なって、鬱屈した空気 がありました。そんな中でも、インターネットはもの凄い可能性を持ったツールに見えてきた訳でして、最初は、あ る種エマージング的な存在として興味がありました。気づけば、すっかり関心をもって番組提案のテーマにもしてい ました。
川井: ちなみに就職は?
跡部: もともとテレビよりも活字の方に興味があった ので、新聞社を志望しましたが、うまくいかず、たまたま隣の番組の人からASCIIで新しい雑誌報道記者を募集して いる話を頂いたのです。それがきっかけでASCIIに入社しました。社会人1年目は「週刊ASCII」の編集記者を契約社 員でやりました。当時のASCIIは、元SPA編集長だった渡邉直樹さんが編集長だったのですが、ダブルフェイス(左右 両開きの装丁)だったり等、最近のASCIIとは大分テイストが違っていました。最初は報道部というところに入って 、いろんなニュース記事を書いたりしていました。報道って言っても、「ASCII」ですし、やっぱりインターネット に興味があったんで、「酒鬼薔薇事件のときのインターネットの動き」とか「インターネット墓地」の取材とか行っ たりしていましたね。
川井: インターネットに関わるニュースネタを集めて記事 にしていたってことですね。
跡部: そうですね。当時は「2ちゃんねる」がまだな くて、匿名掲示板の「あやしいわーるど」というのがあったりしたんですが、そういった世の中の動きに対してのネ ットのリアクションなんかを取り上げて記事にしていました。
川井: 楽しそうなお仕事ですね。
跡部: 楽しかったんですが、雑誌自体はうまくいかな くて半年くらいで休刊になってしまったんです。今の「週刊ASCII」って実は、「EYE・COM」っていう雑誌が元にな っていて、その担当の人たちが「EYE・COM」のテイストを継承してタイトルだけ「週刊ASCII」で出しなおしたもの なんです。当時、西さんから集められて「休刊するけど、どうする?」っていわれて、他の部署にいくとかいう選択 肢もあったんですが、挫折感が大きかったり、ちょっともともとイメージしていた仕事と違った感じもしていたので 、私はそのタイミングで退職したんです。編集者っていうのは、人付き合いとかコラボレーションが必要で、作家や 協力会社の人たちとうまく連携して材料を集めてきて、ネタにするかってところが大事だと思うんですけれど、私は どっちかっていうと編集者よりはもっと記者みたいな仕事の方がやりたかったりもしたんです。それもあって「知り たい」っていう気持ちが先行して、その気持ち中心で仕事をしていたのもあったのか、編集者としては、あまり上手 くいかなかったんですよね。それで退職して、そのあと半年はニートをしていました。
川井: ええ!そうなんですか。
跡部: そうです・・・。
川井: これは遊んじゃおうっていう開き直りでもなくて惰 性でずるずるという感じですか?
跡部: 自信を失くして、、現実から逃げていた気がし ます。
川井: 何歳くらいのときになりますか?
跡部: 26歳のときです。当時の自分と比べて今の26歳 くらいの人がでばりばり仕事している人を見ると、改めて感心します。
川井: その半年間は何をしていたんですか?
跡部: 完全に引きこもっていましたね。今の言葉でい うと「ひきこでニート」ですよね。家で何をやっていたかっていうともうゲームばっかりやってました。アメリカの 3DゲームでTANARUSっていうオンラインゲームだったんですよ。4チームに分かれて戦車で戦うゲームで結構熱くて、 英語でチャットしながらやるんです。当時のアメリカではまだβ版で、日本語版を作るっていうときに私がマニュア ルを書いたりしたんですが、それだけはまっていたんですよ。
川井: 無償でやられていたんですか?
跡部: β版テスターだったんで、基本は無償ですね。 反対に通信費が異常にかかっていて、この頃は「テレホーダイ」が始まっていたんですけど、その時間をこえて遊ん でいて、月5万とかまでかかっていたんです。「ひきこでニート」なのにゲームでこんなに親の金をつかって、なん たる親不孝って感じでしたね。こりゃ武勇伝どころか全然手本にもならないですね(笑)
川井: いやいや、これからですよね(笑)
跡部: それからは、もうテレホ生活で昼夜逆転してて 体調もよくないし、夢も希望もなかったんですが、「そろそろ気負わずに働いてみたらどうだい」って親からも言わ れて、このやっと働いてみようかなって思ったんです。その時に得意分野を仕事にできたらいいかなって思って考え ていて、やっぱり昔のPC8001からやっているパソコンかなって気持ちになったのと、インターネットが盛り上がって いて、実際にユーザーとしても面白いなって思っていましたから、ここをやるしかないなって思ったんです。
川井: なるほど。
跡部: それで就職情報誌を見て最初に門を叩いたのは 、2次請け、3次請けをやってるSIerでした。そこは家から近いっていうのと、ストリーミングをやっていたんです よね。私はもともとメディアとかにいたんで、面白そうなことができるかなって思って門を叩いたんです。で、入社 して最初にやらされたのがVBAでしたね。プログラムの実務経験はないんで、とりあえずVBAをやって、ACCESSで動か したりしていたんですが、そうこうしているうちに何故か関西の企業の新人研修の補助講師をやれって言われたんで すよ。
一同: (笑)
跡部: VBやって3ヶ月で補助講師やれって・・・感じ ですよね。まあ補助なんで、大変なあれでもなかったんですけどね。もともと社長にはネットワーク系の仕事とかス トリーミングの仕事をやりたいって言っていたのですが、次はプロバイダーに常駐してルーターとかスイッチ触る仕 事があるんだけどやってみないかと言われたんです。それで、1998年5月くらいですかね、NTT系のISPに常駐で仕事 をするようになったんです。やっていたのは、専用線サービスの開通工事調整とかルーターの設定とかでした。対抗 側の顧客のルーターとかスイッチの設定とかもしていましたね。3年半くらいですかね。それが一番大きかったです ね。まだ会社も大きくなかったので、結構なことをやらせてもらえてり、スーパーなエンジニアの方がいたりして、 その人に噛り付いていろいろ覚えたりしました。
川井: かなり楽しかったんですよね?
跡部: そうですね。ルーターとかインターネットを作 っている根幹のところでもあるし、ルーターとかを使って実際に通信が流れてつながっていくみたいなものが楽しか ったですよね。
川井: ずっとニートをやっていたのに、いきなり忙しくな っておまけに常駐先に1人で行かされてという状況で抵抗感とか違和感とか負担感とかはなかったんですか?
跡部: いざ仕事を始めたら、もうそういうモードにな っていたので、大丈夫だったんですが、実はまだTANARUSとかもやっていて睡眠不足なんで、前任者からの引継ぎの 打ち合わせの最中にこっくりこっくりしていたりとか、こっそりトイレで寝ていたりとかひどいことしていましたね (笑)
川井: まあ、そういうこともありますよね(笑)
跡部: でも、いい先輩がいたんですよ。一度「ちょっ とこれやってごらん」ってその先輩にいわれて、ルーターをいじっていたら反応しなくなって、いきなりサイレンの 大きな音が鳴ったんですよ。そしたら先輩が「跡部さん、今なにしたかわかる? 今、お客さんの落としたんやで」 って言うんです。びっくりしましたよ。「なんでこの人注意しないの!」みたいな。
川井: その先輩、面白いですね(笑)
跡部: そのとき、大事なものを扱っているんだなと感 じましたね。自分の業務でいろんなところに影響が出るし、大切な仕事をしているんだなって、仕事に集中しなけれ ばいけないなって思い知らされたイベントでした。
川井: まさに身をもってですね。
跡部: 教育のためにわざとやったのか、それとも単に 見落としていたのか分からないですが、どのみち責任はとらされたでしょうからねえ。
川井: それが今でも生きているわけですよね。
跡部: そうですね。大事な通信を見ているわけですか らね。ルーターってBGPとかで喋れば世界中につながっていて、自分たちが何かおかしなことをやると世界中に影響 を与える可能性があるわけなんですよ。BGPって、ボーダーゲートウェイプロトコルの略でISP同士が喋るルーティン グプロトコルなんですが、これはもうネットワークエンジニアの聖域みたいなもので、触ることができるのは「誉れ 」みたいなものなんです。ですので、仕事の大切さを知ると同時に、本質的なところを知らないとやっぱり駄目だな って思って、技術の深いところを知りたいというモチベーションが芽生えてきましたね。
川井: なるほど。ここも3年半くらいですか?
跡部: そうですね。でもやっぱり常駐パートナーなの で、あまり深いところはタッチできないじゃないですか。ダイナミックルーティングの世界とかは難しいですよね。 一方で私もキャリアを上げたかったし、この世界に入ったのが遅くて、年令的にもいっていましたから、自分で勉強 もしていたんですよ。Request for Comments (以下RFC)を読んだりとか英語のドキュメントを取り寄せて読んだり とか。結局、それで飽き足りなくなって、じゃあ、やっぱり転職しようと思ったんです。
川井: なるほど。
跡部: その時、ちょうどインターネットバブルの最中 で、外資が大挙して押し寄せてきてて、AboveNetとかExodusとかグローバルクロッシングとか、いろいろな会社が出 てきているときだったので、これはいいやと思って、台湾人が社長のデータセンターのベンチャー企業に転職しまし た。
川井: 外資系のベンチャーですか。
跡部: そうですね。ネットワークの業界ってちょっと 特殊だなと思うところがあるんです。やっぱりそんなに大きなネットワークを触れる会社っていうのは限られていて 、まあ、だいたいプロバイダーとかが多いんですけど、NTTとかKDDIとかキャリア系が多いじゃないですか。そうす ると少人数の正社員で、徒弟制みたいな感じの世界が多かったんですよね。先輩から後輩へ口伝とかで伝えていく職 人の世界なんです。そうすると私みたいに途中から入ってくるとなかなかうまくいかないじゃないかなって思ってい たんですけど、そこに外資がどんどん新しく仕事を作っていたんで、いい機会だなって思っていました。
川井: それで、その会社はいかがだったんですか?
跡部: 最初は驚きました。先輩にあたる人は殆どいな く、戸惑いました。でも逆にそれがあってすごいチャンスをいただけて、それまでは、言われたことをこなすだけの 世界だったんですけど、ここでは、どんどん私の言うことを吸い上げてもらえるんですよ。そしてビジネスに直結す るようなことも担ったりとかして、結構、力をつけられたなって感じがします。面白かったのは、台湾とアメリカと 日本と中国にデータセンターがあって、全部つないでいたんですけど、一番技術的にコアな人は台湾にいて、日本の データセンターのネットワークとかも台湾が設計して構築していたんですね。結局、こっちもそんなに力のある人が いないから全部台湾が主導みたいな感じだったんですけど、「俺ができるからやらせろ、やらせろ」って言って、 IRCとかでチャットしながらいろいろ訴えて、仕事も少しずつ認めてもらって、日本独自でいろいろできるようにな ったんです。海外と仕事をするっていうのは、なかなか面白かったですね。
川井: それが、現在の「国際」というミッションに繋がっ てくるんですかね?
跡部: 私はそう思っていますね。
川井: この会社には何年くらいいたんですか?
跡部: この会社は1年くらいですね。もともとワール ドワイドにイケイケでやっていたんですけど、事業が立ちいかなくなってしまってクローズする方向だったんです。 それでその会社に出資していた会社がデータセンター事業を買収して、私も転籍をした形になりました。
川井: 人生いろいろですね。
跡部: 本当にいろいろですね。転職回数は多いですけ ど、在籍期間は今の楽天が一番長いですね。
川井: まだ、楽天さんの前に何社かあるんですか?
跡部: いえ、転籍した会社に半年くらいいて、そのあ とは楽天ですね。
川井: 楽天さんに入ったのはどんなきっかけだったんです か?
跡部: そうですね。前の会社が事業買収されて、ちょ っと「負けた感」があったんですよね。前はベンチャーベンチャーしていたんですけど、転籍先は歴史のある会社で 、それなりに経験のある方がしっかり上の方を固めていたりしていたので、前みたいなインターネットがエマージン グで若者がのし上がれる下克上みたいなものがイメージできなくなったんですよ。あともう1つあるとすれば、もと もとデータセンターとかISPとか大きなインフラの世界でやっていたんですが、ラックの中にある世界ってまったく ノータッチだったんです。なので、サーバーとかロードバランサーとか、ネットワークエンジニアとしてそういうも のに振れて幅を広げたかったっていうのがありますね。そんなことを考えているときに、たまたま知り合いから、「 楽天でネットワークエンジニアを募集してるよ」って聞いたんです。それで今のプロデュース系の執行役員の和田圭 さんに面接をしてもらって、「いろんなことができるよ」とか「どんなネットワークを作っていくか一緒にやろうぜ 」って言われて、面白そうだなって思って入社したんですよ。
川井: なるほど。これって何歳くらいのときですか?
跡部: これは31歳くらいですかね。2002年ですね。
川井: じゃあ、6年くらいになるんですね。
跡部: そうですね、6年目ですね。
川井: 入社してからは、どうだったんですか?
跡部: 当時はまだ楽天もスタートアップ時期で、ビジ ネスでは相当成功したんですが、ネットワークの部分ではそんなに詳しい人がいなかったんですね。すごくシンプル なネットワークで、VLANとかセグメントも分かれてなくて、結構、障害が多かったですね。スパニングツリーってい うのがあるんですけど、それがループしてしまったりして年末商戦の大事な時期に止まってしまうとかあって、この ままじゃネットワークが駄目だねって話で、ベンダーさんからも提案を受けて、新しいネットワークを構築しようっ ていうタイミングにちょうど私が入社したんです。前の仕事での経験もあったので、すぐにそこに参加させてもらっ て、いろいろ提案なんかも聞いてもらえましたね。
川井: かなりの成果をあげたんじゃないですか?
跡部: そうですね。当時のネットワークと比べると相 当最適化されて変わってはいますね。インターネットに送信しているトラフィックも当時は100Mbpsくらいだったん ですが、今、10Gbps近くなっていて、通信量も莫大に増えています。管理対象のサーバーの数もかなり増えています 。ビジネスに成功して、アクセスが右肩あがりに増え続ける中で、いかにスケーラブルなネットワークとかシステム とかインフラを作るかがとてもチャレンジングだし、トライ&エラーで、自分たちの頭で考えてドンドン改変してい って、今は結構スケーラブルな仕組みになっていると思うんですよ。BGPで上位のISPと接続したり、複数のデータセ ンター間を40Gで接続できるWDMという装置を導入したりしました。データセンターの物理配線に関しても担当しまし て、独自の設計手法を考え、特許の出願を検討したりしています。
川井: 今は、そういうインフラの世界を完全に離れて、新 しいミッションにつかれているんですか?
跡部: 昨年、ショウタイムっていう関連会社に出向し ていて、ストリーミングのインフラの企画設計とか、営業とかしたりしまして、インフラエンジニア専業からは離れ ています。
川井: 国際開発室に異動されたのは今年からですか?
跡部: 人事発令は10月1日でした。
川井: じゃあ、着任したばかりなんですね。来てみていか がですか?
跡部: 社長が言っている通り、海外に進んでいこうと 思っているんですが、新しい挑戦をなので、皆、「新しいものを創るぞ」って意気込みでやっていて、なかなか活気 があって面白いですね。自分の役割はどちらかというと手を動かすところよりもプロジェクトマネジメントに寄って いてですね、結構自分としてはRFC読んだりとかパケットキャプチャーしたりとか細かいところを積み重ねて、ボト ムアップ的に作っていくのが得意だったのですけど、プロジェクトをマネジメントするっていうことには本格的に取 り組んだことがなかったので、でも自分の中では新しい挑戦だなって刺激的に感じています。
川井: 常にステップアップしたりチャレンジャブルに取り 組んでこられている感じがしますね。
跡部: 楽天に入る前も、今は何をすべきなのか自分で 考えて、常にアクションをとり続けてきたと思っていますが、楽天は、本当に右肩あがりなので、仕事は増えますが 、新しいことに取り組むカルチャーがあります。その中で新しいことやらなければいけないなというのもありますし 、自分でも新しいことを常にやりたいという気持ちもあります。
相馬: 「成長する会社、成長する社員」のところですね。
跡部: この会社いいなあって思うのは、そういう部分 に対しては、真面目にそう思っている人が多くて、自分も磨けるし、会社もそれを後押しすることに本気で取り組ん でいるんですよね。エンジニアってキャリアステップが見えにくいじゃないですか。私もある意味悩んでいるところ もあるんですが、チャンスが転がっていて可能性があるので、もがき続けて頑張ってみようかなって思っています。
川井: もがき続けるというお話でしたが、将来はどういっ た方向にいこうとかありますか? 
跡部: 私が、なぜ今国際室なのかというと、このITの 世界ってやっぱりアメリカ発ですよね。最近でこそRubyのまつもとゆきひろさんもいますが、RFCを書くのも外国の 方が多いし、どうしても世界っていうものを意識せざるを得ないと思うんですよ。その世界という同じフィールドで やってみたいとか戦ってみたいという思いは強いですね。
川井: それは技術者としてですか?
跡部: 技術者としてもそうですし、ビジネスマンとし ても一個人としてもそうですね。これまでネットワークできましたけど、今後はプロジェクトマネジメントとか企画 の方とか幅を広げて、経営に近いところまでやっていきたいなと思います。
川井: なるほど。
跡部: 実は私、マネージャーコースを自ら降りました 。楽天では、マネージャーコースとアーキテクトコースがあります。現在、そのアーキテクトコースが「スペシャリ ストコース」というもにに変更しています。自分の目標を達成するためには、いくつかのステップがあり、必ずしも スキルアップがマネージャーになることではないと思います。どういう経験が必要なタイミングであるかを自分で見 極め、人のマネジメントではなく、プロジェクトマネジメントのように、現場に近いところのスキルアップを図りた いと思います。。
川井: これは選んだり、途中で変更したりできるんですか ?
跡部: そうですね。半期毎に希望を出す人事制度にな っています。
相馬: まずは賃金体系を定義する「格付け」という区分が あり、横串にランクがあって、そこにマネジメントかスペシャリストかというコースがあるという形ですね。
川井: 複線人事というやつですね。IT系企業のまさに課題 の部分なので、これはいいですね。
跡部: そうですね。前は当社にはそういう制度がなか ったので、先が見えないとエンジニアもいました。そこで、会社側がそういう選択肢(人事コース)を作り、トップ ダウンではなく、ボトムアップ的な制度になっていきました。
川井: なるほど。この人事制度はいつ頃からスタートした んですか?
相馬: 昨年に大きく変わったばかりですから、まだまだ試 行錯誤という段階です。
川井: すごいインパクトがありますね。
跡部: 今の開発統括本部長の杉原章郎が三木谷に対し て、「エンジニアの今の状況を考え、価値を認めていきましょう」と提言したことからこの制度が認定されました。
川井: すごい改革ですね。
川井: 最後に若いエンジニアにアドバイスをいただけませ んでしょうか。
跡部: 最近の若い人たちって大変だと思うんですよね 。私の若い頃はインターネットって不安定だよねって時代で、少しくらい失敗してもそんなにビジネスに影響はなか ったので、かなりドラスティックにやれていたんですけど、今は楽天も含めて、ビジネスとして組織化している部分 が増えたので、なかなか冒険もしづらいと思います。特にインフラ系にいえることだと思いますが、その中でも特に チャレンジして、自分で働きかけて新しいものにトライしていくということは是非、やり続けてもらいたいと思いま す。それをやるためには、その裏打ちとなる勉強や経験が必要です。そこもストイックに1次情報にあたってやって ほしいですね。プログラマーならコードを読むことになるし、インフラ系担当ならRFCを読むとか、アプライアンス 製品を使っているネットワークエンジニアならメーカーでどういう風に作っているのか、あるいはハードウェアのア ーキテクチャーや物理レイアウトはどうなっているのかとか、そのくらいまで1次情報にあたってそこから積み上げ て、その上で自分の血肉にして、経験を積むために仕事を創り出していってほしいなと思います。失敗を恐れないで 、何事にもまず取り組んで欲しいですね。若い人の特権って物をもってない、背負ってるものがない、ということだ と思います。若い人こそが新しいことをやらなければいけないと思います。
川井: 最近の若い人の中には挫折を知らないという人が結 構多くて、失敗するのが怖いっていうんですよね。「失敗するのが怖いのでできませんでした」みたいな。
跡部: 失敗して、当たり前です。。私も沢山の失敗を してきて、それを恐れてもきましたが、いま振り返ってみると大したことではありません。是非、恐れずにチャレン ジしてほしいです。
川井: いや、本当に跡部さんは、ストイックで自分自身に 厳しい方ですね。お話の端々にそういう一面が垣間見られました。本日は、本当にありがとうございました。
跡部: ストイックなのが本当にいいことなのかどうか は分らないですけどね(笑) こちらこそありがとうございました。
この企業の募集案件を見る
楽天株式会社
会社社名 楽天株式会社(英名:Rakuten,Inc.)
事業内容

※2006年11月1日の組織変更により、カンパニー制を廃止し、ビジネスユニット制を導入しています。

楽天市場事業
インターネットショッピングモール『楽天市場』の運営

オークション事業
個人向けオークションサイト『楽天オークション』の運営

ブックス&メディア事業
書籍販売サイト『楽天ブックス』の運営

ゴルフ事業
ゴルフ場予約サイト『楽天GORA』の運営

ビジネスサービス事業
企業向けサービス取引市場『楽天ビジネス』の運営

グリーティングサービス事業
インターネットグリーティングカードサービス『楽天グリーティング』の運営

証券事業
インターネット証券取引サービス『楽天証券』の運営

パーソナルファイナンス事業
個人向けカードローン『楽天クレジット』の運営

KC事業
クレジットカード、ファイナンス事業

トラベル事業
インターネット総合旅行サイト『楽天トラベル』の運営

インフォシーク事業
インターネット総合ポータルサイト『Infoseek』の運営

ターゲット事業
広告代理店事業

リサーチ事業
データベースマーケティングリサーチサービス『楽天リサーチ』の運営

人材事業
就職情報コミュニティサイト『みんなの就職活動日記』の運営

ブログ事業
ブログサービス『楽天ブログ』の運営

CS放送事業
CS放送チャンネルの運営

インターネットテレビ事業
インターネットテレビ事業

プロスポーツ事業
プロ野球球団『東北楽天ゴールデンイーグルス』の運営

設立 1997年2月7日
楽天市場
開設
1997年5月1日
株式店頭
上場
2000年4月19日
資本金 107,294百万円(2006年12月31日現在)
本社
事業所
所在地

楽天タワー
〒140-0002 東京都品川区東品川4-12-3品川シーサイド楽天タワー

六本木オフィス(登記上本社)
〒106-6118 東京都港区六本木6-10-1六本木ヒルズ森タワー

大阪支社
〒553-0003 大阪府大阪市福島区福島5丁目1番7号住友不動産西梅田ビル6F

仙台支社
〒983-0852 宮城県仙台市宮城野区榴岡5-12-55 NAViSビル4F

福岡支社
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前3-4-2 楽天KC会館1F

札幌支社
〒060-0005 北海道札幌市中央区北五条西5丁目2番5号 信金中央金庫ビル8F

名古屋支社
〒450-0002 愛知県名古屋市中村区名駅3丁目24番14号 LCビルディング4階

神戸支社
〒650-0024 兵庫県神戸市中央区海岸通1-2-31神戸フコク生命海岸通ビル 2F

従業員数 単体:1,320人(2007年6月30日現在)
連結:3,283人(2007年6月30日現在)
※役員を除く契約社員を含む在籍者ベース

楽天出身といえば
この方→
Webエンジニア武勇伝 第17回 吉田敬 氏
次に紹介したのは→ ※現在オファー中!!乞うご期待!!
これを読んだあなたに
オススメの会社は→

株式会社イトクロ

ページ上部へ戻る
ホーム