第17回 吉田敬 氏 ピー・アンド・エー株式会社 代表取締役

今回は、リクルート出身で「楽天」の急成長を支え、取締役、常務、CTOなどを歴任された吉田敬さんにお話をお聞きしました。吉田さんは2007年1月の「楽天」退任後、ピー・アンド・エー株式会社を設立。代表取締役社長に就任し、「投資事業」「絶滅の危機にある動物を保護する事業」を営んでおられますが、2008年はインターネットサービス事業の展開も検討されています。また、吉田さんは「パンダ愛好家」でもあり、今春、パンダのぬいぐるみの販売も予定されています。取材でお邪魔した六本木にあるミッドタウンのオフィスに併設されているサロンはパンダづくしでした。取材後、近隣の京料理店「和山」にご案内いただき、引き続きお話をお聞きしました。こちらは、京都祇園新橋で3代に渡り営業を続ける老舗創作割烹の東京初進出店です。
京料理店 「和山」 http://www.roppongiwazan.jp/
吉田敬 氏
- 1967年 東京生まれ 4歳で腎炎にかかり、 小学校低学年は半分休む
- 1980年 私立武蔵中学校入学
- 1985年 小学校4年から続いていた中日ドラゴンズ熱が さらに熱狂的になり現在にいたる
- 1987年 1年浪人後、東京大学法学部に入学
- 1988年 パソコンと出会う
- 1989年 体育会陸上部に所属しており、インカレ10種競技で入賞
- 1992年 1年留年後、東京大学法学部を卒業、リクルートに入社。 FAXネットワーク事業部を経て電子メディア事業部へ。 プロダクトプロデュースの立場で、企画・プログラミング・宣伝・広告営業 すべてを一気通貫で担当。「じゅげむ」「ダ・ヴィンチONLINE」「MixJuice」「StartPage」「ISIZE」「ポケットISIZE」などのインターネットサービスに関わる。
- 1999年 プログラマとして楽天に入社。プログラマーとしての実働一年間で、「楽天グリーティングカード」「楽天広告販売・管理システム」「ケータイ版楽天市場」「楽天スーパーポイント」などを生み出す。 一年後突然、取締役営業本部長に抜擢。苦境にあった楽天市場事業を一年半で立て直した後、開発本部長、楽天野球団社長、ポータルメディア事業カンパニー社長を歴任した。事業とは別に、経営者の観点から、新卒育成委員会、ハウスマナー委員会、カフェテリア委員会、六本木ヒルズ引越委員会を主催した他、会議効率化、日報作りなどの業務改善を推進する。
- 2007年 「楽天」の取締役を退任。ピー・アンド・エー株式会社を設立、代表取締役社長に就任し「投資事業」「絶滅の危機にある動物を保護する事業」を営む。

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そうですね。大学のとき(1988年)にPC9801VX21を購入して、パソコン通信を始めたり、カード型データベースソフトに触って感動したりもしていましたが、本格的にプログラミングを始めたのはリクルートに入ってしばらくしてからです。実はリクルートに入ってから同期のエンジニアなんかに、プログラミングに興味があるとかやってみたいというような話をしていたんですが、ことごとく「文系には無理」って否定されていたんです。まあ、当時、その部署で扱っていたマシンはTandemだったので、そう言われても仕方がなかったんですけどね。そんな中、契機となったのは、入社3年目の終わりに荒井尚英さん(現:株式会社アイ・エム・ジェイ取締役)が主催された「電子メディア勉強会」に参加し、インターネットについての講義を聞いたことでした。
3年半くらいいたんですが、一方自宅では日本初のスケジューラーサイトを立ち上げたりしていて、VCから出資の話も出てきたりもしていたので、インターネットを使えば、独立して、やりたいことができそうだなと手応えを感じ始めましたね。あとは独立に向けての準備として、自分に欠けている要素を補う業務に積極的に手を出すように心がけていました。プログラミングは大分できるようになっていたので、新卒の育成とかそういうことにも積極的に関わっていきました。
そうですね。やっぱりリクルートのマネジメントってすごいんだなって実感したんですが、一般的にはモチベーションみたいなものにフォーカスしてマネジメントをしている企業って少ないみたいで、リクルートで自分自身が受けていたマネジメントをそのまま行っても、成果はあがりましたね。特に楽天の取締役は投資銀行以外の大企業で長年勤めた人がいなかったので、僕の考え方は特徴的だったと思います。インセンティブ制度を運用したり、1つ1つの仕事の評価をきちんとフィードバックしていくことで、メンバーのモチベーションは一気に高くなるじゃないですか。成果を上げたらきちんと評価して、潜在能力を引き上げ、HAPPYになって更に成果が上がるというスパイラルに入りますよね。そうすれば組織全体の売上も利益も自然と上がっていくし、個人個人も成長するんですよね。
一年半営業本部長を勤めて、ようやくこれで楽になるぞ!と思っていたら、三木谷さんに呼ばれて、退任する初代開発本部長である本城副社長の後任をやるよう言われました。その当時は、営業と開発があまりうまくいかなくていがみあっていた時代なので正直気分が重かったというかこれは相当大変だぞ、と思いましたね。結果として、ここでも開発本部を作り直す形になるんですが、自分もそうだから分かるんですけど、エンジニアはとかく、「経営者は分かっていない失敗の原因をとかくエンジニアに押しつけたがる」と考えがちだと思うし、これはある意味当たっていると思うんで、そう思わせずに結果として組織を改革するにはどうしたらよいか?ということを考えましたね。で、一番の問題は「人間は相手の立場に立って考えることが苦手」ということです。そこで相手の立場を体験させてあげれば、相手を理解しやすくなるだろうと考えて、プログラマも営業や店舗の発送の仕事を経験してもらったり、営業の人にデータセンターを見学させたり相互理解のための施策を多数行いました。
もちろん僕もアプリを書くことしか理解できていなかったのですが、サーバーの構成やセキュリティといった新しい分野まで広げて技術知識を身につけていき、メンバーの訴求点が理解しやすいよう、ディテールを勉強しました。
自由っていう概念に「経済的自由」と「時間的自由」という二つの概念があるということに楽天を辞めてからようやくきづきました。2003年頃には楽天で経済的自由を得られたのでその時点で辞めても良かったのに辞めずに働き続けたため、時間的には全然自由にならなかったんです。まぁ楽しかった内はそれでもいいのですが、とはいえ、僕の場合は、楽天から離れて独立することで初めて、「経済的自由」と「時間的自由」両方揃った「真の自由」を得られたわけです。
売り込みというのは必ずしも金だけではないと思います。もちろん目先の年収100万、200万の差は気になるとは思いますが、生涯年収を考えれば実は誤差でしかありません。年収は100万安くても自分の資産価値を年間100万円以上あげてくれる仕事であればそちらに行くべきだし、もっと自分のストックを上げることを考えるべきです。また、僕はジェネラリストであって始めてスペシャリストになれるんだと思います。人の気持ちを理解しながらコミュニケーションが取れないとそれのできるスペシャリストに比べてアウトプットが下になってしまうと思います。


