川井: |
パソコンとの出会いはいつ頃ですか? |
藤本: |
今となっては多少記憶が曖昧なんですが、多分中1の終わりくらいですね。親がPC-9801NCっていう当時画期的だったカラーのノートPCを買ってきて、386SXでGDCの上に当時更にレアだったエンハンストグラフィックチャージャー(EGC)というグラフィックチップが載っていて、スプライトなどの描画が早いっていうやつでした。そんなのがきてフリーソフトとか買ったゲームを始めたりしたのが始めですね。 |
川井: |
やっぱりゲームなんですね。 |
藤本: |
当然ゲームですね。ゲームなくしてありえないです。いきなりプログラミングして楽しいとかはないんじゃないですかね。まあ、BASICで絵がかけて嬉しいとかあるかもしれないですけどね。 |
川井: |
ちなみにどんなゲームだったんですか? |
藤本: |
一番最初に親が買ってくれたのは、Falcomさんの英雄伝説IIですね。本当に数え切れないくらいやりましたね、あれやこれやで。あとは、Might and Magicとかタンジョン・マスターとかウィザードリィとか。ちなみに風雅システムという会社が富山にありまして、そこはゲームをフルアセンブラで書いていてすごいなあとか思ってました。 |
川井: |
なるほど。そこからプログラミングに行ったきっかけはなんなんですか? |
藤本: |
やっぱりゲームとかをつくりたいなあと思ってましたね。当時の98ってROM-BASICが載っててフロッピーとか入れずに立ち上げるとBASICが立ち上がったりして、ちょこちょこやってましたね。あとはゲームを逆アセンブルしてプログラムを覚えたりとか。親がTurbo C++とMASMの6.0とかをくれたりしたんです。恵まれてたと思いますね。それでいろいろつくりはじめたりして。 |
川井: |
親御さんは、エンジニアなんですか? |
藤本: |
そうじゃないんですけどね。ああいうの好きだったみたいです。 |
川井: |
プレゼントとかでいろんなソフトくれるわけですか? |
藤本: |
プレゼントっていうわけじゃないですが、ちょくちょく買ってきてくれたり。そういう意味では親に感謝してますね。あのときTurbo C++をもらってなかったら、今の僕はないですからね。 |
川井: |
その後は? |
藤本: |
高校でPCとか触ってると、暗くてもてなそうじゃないですか。どうせプログラミングするなら「もてるプログラマ」になりたいと思って、普通にサッカーとか部活もしつつでしたね。だからそんなにどっぷりはいってなかったと思います。ゲームとか体育祭のプログラムを組むプログラムとかを作ったことはありましたね。思春期の高校生ってそんなことばかり考えるものじゃないですか。その頃からWindows95が出たんですが、家ではネットワークもつながってなくて、MS-DOSで98のアーキテクチャーをひたすら本を見ていじっていました。だから高校の頃はインターネットには触れてなかったですね。高校の頃はやることないんで、グラフィックチップの命令をひたすら叩いて「早いな」とか言ってました。やっぱ、暗いな(笑) |
笹間: |
もてなかったんですか? |
藤本: |
いやあ・・・ノーコメントですね。そもそも男子校ってのがよくなかったですかね。でも人並みに楽しい高校時代を過ごしましたよ。 |
川井: |
大学は英文科でしたよね? |
藤本: |
そうですね。母親が英文科で家に面白い英語の本とかあって、英文科は母親の血ですね。 |
川井: |
あんまりこの頃はパソコンにどっぷりって感じじゃないんですかね? |
藤本: |
やる気はあったんですが、勉強とか好きじゃないので、文系の方が大学はいりやすそうかなって。あとは文系でエンジニアとかなったら面白そうだなとか、そういうのはありましたね。情報工学科の人たちに負けねえみたいな。(笑)今、思うと、ちゃんと数学とかも真面目に勉強しておけばよかったなって思いますよね。でも、Webプログラミングしてるうちは高等数学とか関係ないですからね。とはいえ、それはそれでエンジニアとして正しいのかどうかはまた別の議論があるとは思いますが・・・。 |
川井: |
パソコンとはその後は? |
藤本: |
入学して秋くらいからですかね。ベンチャーのソフトハウスでアルバイトを始めました。それから3年半くらいですね。半分はアルバイト、半分は普通の大学生活でした。 |
川井: |
そこではどんな仕事をされてたんですか? |
藤本: |
そこで作っている音楽教育系ソフトを作るのを手伝ってました。VC++だったかな。最初はJPEGを読み込んで表示する部分を作ってほしいといきなり言われて、「わかんねえよ」って泣きそうになりながら、1週間くらい作ってました(笑)それからその会社でこまごまとしたことをやりながら、2年の夏くらいですかね、10歳くらい先輩のエンジニアが出向みたいな感じでIIJテクノロジーさんに行っていたのを手伝うことになったんです。そこで、とあるシステムのテストとかデバック、あと、Solaris版だったのを今はなきDECとかFreeBSD、Linuxとかそういうのに移植しようとかしてました。そこには、30歳、40歳のすごいエンジニアの方がいっぱいいたのでかなり勉強になりました。大きな会社ってこうなんだっていうのがわかったり、当時、未成年だったんで可愛がってもらいましたね。 |
川井: |
大それで更にのめりこんでいくわけですよね。 |
藤本: |
思い返してみるに 中学の頃からずっとそういうプログラムの仕事をしてみたかったんですけど、ずっと独学だったし、Webも見れる環境じゃなかったんですから、すごいエンジニアの人についていくのが精一杯でしたね。 |
川井: |
もうがむしゃらに? |
藤本: |
そうですね、負けず嫌いですからね。当時のベンチャー企業にいた先輩のエンジニアがとても優秀なすごい人だったので、彼にまずは追いつこうと思って頑張ってました。というのが学生時代ですね。 |
川井: |
新卒で就職活動は? |
藤本: |
その会社にそのまま入りました。まあ、2社ほど就職活動はしてみたりもしましたけど(笑) |
川井: |
じゃあ、そこから本格的に? |
藤本: |
そうですね、受託案件をこなしながら、空いた時間でC言語でサーバープログラムをしたりしてました。あと当時はPerlでしたね。 |
笹間: |
じゃあ、PHPはまだ? |
藤本: |
まだ全然。きっと当時は「なんじゃそりゃっ」て感じですよ。よく使っていたDBは、PostgreSQLとかでしたね。そんな時代です。 |
川井: |
そこは何年くらいいらっしゃったんですかね。 |
藤本: |
そこは2年弱ですね。いや本当にお世話になりました。 |
川井: |
そういう面白そうな環境ですが、何がきっかけで次へ? |
藤本: |
あーなんですかね。そうそこで、PostgreSQLの本を読んでいたら、何故かPHPのエンジンをスクリプトエンジンとして切り出したライブラリであるZend Engineの話が出ていて、当時、何の目的もなく言語エンジンを作りたいと思っていたので、PHPは使ったことなかったんですが興味を持つようになって、その後、PHPのコミュニティや集まりに顔を出すようになったり、カンファレンスで話をしたり、メーリングリストで発言するようになったんです。これまで自分や周りの数人の閉じた環境だけでいっぱいいっぱいだったんですけど、そこでオープンソースを通じて、日本や世界の知らない人と関連を持つようになって、目の前に画面があるだけなんですけど、メール出す前に「これが世界中に配信されるんだ」ってドキドキしてました。自分の書いたコードを世界に配信するってあれほど緊張することはないですね。「お前、これは駄目だって言われたらどうしよう」とか思って(笑) |
一同: |
(笑) |
川井: |
どういう過程を経て、そういうところに出ていったり、名前が知られたりするものなんですか? |
藤本: |
いろんなパターンがあると思うんですけど、僕の場合はそのエンジンが、ShiftJISだとちゃんと動かなかくて、それで動くようにするパッチを書いてみましたというのが最初のきっかけで、その後、このエンジンの開発者が日本にくるからっていうんで参加させてもらったり、そこにいらした方と一緒に食事をさせてもらったり、ちょっとずつこんな世界もあるんだって感じになりましたね。 |
川井: |
とりあえず思い切って投げてみてってことですか。 |
藤本: |
エンジニアの場合、作ったものがあれば難しくないかなって思うんですが、何もないところで誰々ですとかいっても「あーそうですか」で終わっちゃいますからね。 |
川井: |
なるほど、何か作って投げてということですね。 |
藤本: |
はい、誰が見てもわかりやすいから、いろんなきっかけにつながりますよね。 |
川井: |
それがきっかけで転職ってことになるんですか? |
藤本: |
そうですね、その中でいくつか関わった人の中で「うちにこいよ」というか「いつ来るの」みたいな感じの人がいたりして、まったく違う感じの会社に移りました。最初の会社は若干のんびりとしていたんですが、2社目の会社は稼ぐってことにすごく貪欲な会社でしたね。受託の仕事もあれば、コンサルとかなんでもありの会社でしたね。 |
川井: |
その会社のコンサルタントとして楽天にいかれたんですか? |
藤本: |
そうですね、最初は噛んでなかったんですが、途中で僕のところにまわってきて。最初は単純にMySQLの調査だったんですけど、いつの間にか何でもって感じになってきて。 |
川井: |
楽天の中でも相当評価されてたんですよね? |
藤本: |
そうですね、何とも言えませんが、1年強くらいいましたので、それなりに評価はしていただいていたんじゃいないかなとは思いますね。 |