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第27回 石橋秀仁 氏(ゼロベース株式会社) このエントリーを含むはてなブックマーク

【取材日時】2008年4月3日(木)13時〜

今回は、ゼロベース株式会社の石橋秀仁氏さんにお話をお聞きしました。ユーザー寄りのインターフェースの重要性や、経営者視点からのSIという枠組みの歪、労働における危機感の必要性など、エンジニア寄りとは一味違う、大変興味深いお話を伺うことができました。


石橋 秀仁 (いしばし ひでと) 氏

1978年生まれ、29歳。
国立久留米高専でメカトロニクスのエンジニアを養成するカリキュラムを学ぶ。力学、機構学、制御工学、計測工学などを軸に、幅広い領域をカバーする。のちにベンチャー企業、ネット企業にソフトウェア・エンジニアとして勤続。2003年からフリーランスのエンジニアとして多数の案件に関わる(企画・開発・運用)。徐々に、サービス企画からマーケティング・プランニングにも仕事を広げ、経営全般やデザインを学び、2004年9月、ゼロベース有限会社(現:ゼロベース株式会社)設立、代表取締役就任。
http://zerobase.jp/
石橋氏の関連記事はコチラ↓
http://type.jp/s/e/mve/0811/index2.html

川井:宜しくお願いいたします。
石橋:宜しくお願いいたします。
川井:まずはコンピュータとの出会いからお聞かせ願えますか?
石橋:Webエンジニア武勇伝 石橋秀仁氏最初はファミコンですね。小学校に入った頃、本体と一緒にスーパーマリオブラザーズを買ってもらったのを覚えています。
川井:今おいくつですか?
石橋:29歳で、今年で30歳です。1978年生まれです。
川井:なるほど。
石橋:コンピュータとの出会いですが、パソコンと出会ったのはもっと遅くて中学生ぐらいです。元々ゲームソフトをやっている時に、中身のほうにしか関心がいかなくなってしまって。プレイヤーというよりは、ロジックのほうに興味を持って、誰がどう考えて作っているのかだとか、どういう仕組みで動いているだとか、そっちに興味が移ってきました。中学生の頃に「コンピュータでプログラムを書いて動かせる」ということを知って興味を持ったのですが、手元にパソコンも無いのでただ「触りたいなあ」としばらく思っていました。幸い中学3年の時に学校でパソコン教室が出来て、授業の一環で2時間ほどNECのPC9801でBASICを書くことがあって、命令すると絵が描けたりするのが面白くて、これを突き詰めてやりたいなあと思っていたら、姉の勤める会社から耐用年数を過ぎたパソコンが我が家にやってきたんですね。翌年にWindows95が出るというのに、PC9801を貰ってしまったのはなんかタイミングが悪かったですが(笑)。それからしばらくパソコン通信をやっていて、「壁紙チェンジャー」だとか地味なソフトを作っていました(笑)。PC9801は今のWindowsのように便利ではなかったので、MS-DOSの仕様を調べる必要もありましたし、PC9801のハードウェア仕様を調べる必要もあって、ハードウェア等も知らないと何も出来ないということが必然的にわかったので、ハードウェアへの興味がパソコンを触りだした最初の時期から持てたのはある意味良かったと思います。
川井:「学べた」というよりは「興味が持てた」と。
石橋:そうです。必然性に因るところも大きいですね。それで、ちょうど高校受験で、普通高校も受けようかなと思ったのですが、高専のオープンキャンパス(見学会)に行って面白そうだなと思いまして、福岡の久留米高専・制御情報工学科に進学しました。平たく言うと、メカトロニクス……工業用ロボットを作るような学問なんですね。コンピュータで物を動かすのが面白そうだったので、5年一貫でしたが腹をくくって決めました。在学中に派生する方向性から何となく将来の職業も見えてくるだろうなと思いながら入学しました。
川井:なるほど。
石橋:Webエンジニア武勇伝 石橋秀仁氏入学してみると、予想していたのと違って機械のことも電気や電子のことも色々勉強しなきゃいけないと思って(笑)意外と大変でした。あんまり遊べなかったですね(笑)。学校のパソコンルームも、3年生まではPC9801が置いてあって「しょうがねえなあ」なんて思いつつも、TurboCなんかをやってました。4年生になるとWindowsが入ってきたので、Netscapeでブラウジングが出来るようになって「面白いな」と思ったりしました。ただ、まだ当時はそこまでWebは盛り上がってなくて、世の中のWebサイトが片っ端から全部見られるぐらいしか数が無かったんですね。ただ、単に見てるだけだとあまり面白くないんですよね。エンジニアや大学関係者を中心にWebサイトが作られていたので、その気が無くても(ブラウジングしていると)コンピュータ関連の情報収集ばかりになってしまいました。そこで、自分で作ってみようかと思って勉強していた時期があります。その頃に何となく「(自身の方向性を)ソフトウェアに絞ろう」と思いましたね。
川井:そうですか。

石橋:それで、高専を卒業したのですが、専攻科という制度(5年制高専の追加2年コースで工学士の学位が取れる)がありまして、そこに進学しました。進学といっても同じキャンパス・同じ先生なので何の新しさもなかったんですが(笑)。論文を書かなきゃいけないんですが、それがとてもつまらなくて。
川井:何の論文を書かれたんですか?
石橋:Webエンジニア武勇伝 石橋秀仁氏「コンピュータによる自動制御」っていうものを書きました。例えばヘリコプターの自動姿勢制御みたいな、制御理論とそれをソフトウェアに落とす部分で……地味ですねぇ(笑)。で、研究ではなくて実際の物でやった方が面白いんじゃないかと思いつつ悶々としていました。ちょうどその頃は2000年が明けたころで、第一次ITバブルでビットバレー(渋谷ベンダー集合地域)にITの著名人(ソフトバンク孫氏など)が来たりするのがニュースになっていた時期で、そういうのを見ていると、自分は福岡に留まっていたら駄目なんじゃないかと思って……冷静に考えるとそんなはずないんですが、このITバブルの波は今後何十年か来ないんじゃないかと思って、学校はあと1年残っていたんですが、やめるつもりで東京へ一泊二日で出てきました。それで、ベンチャー系が集まるイベントに出てみたり、名刺配ったりして色々話したりしていると、2〜3社ぐらいから「うちで仕事してみないか?」と声をかけてもらったりして、その中の一社さんと福岡に戻ってからも継続的に2〜3ヵ月ほどコンタクトを取らせてもらって、試用期間で一週間アルバイトとして行って、そのまま入社することになりました。ボストンバッグ一つで、家も決めないまま着替えだけ持って行ったので、当初2〜3ヵ月はオフィスに寝泊りでした(笑)。近所の銭湯に通ってましたね。
川井:それはそれで楽しそうですね(笑)。
石橋:そこで2年半ぐらい勤めて、PHPとOracleを使って開発なんかをしていました。メーリングリスト・コミュニティが会社の主軸で、そのシステムを作ったりしていましたね。当時、社内でWebアプリを作るのは僕だけで、勉強しながら作っていました。あと、プログラムを少し書けるデザイナーさんがいたので一緒に仕事したりしました。後で気がついたんですが、デザイナーさんがプログラムを書けると凄く楽ですね。後に全く書けない人と仕事してみて思いました。
川井:なるほど。
石橋:Webエンジニア武勇伝 石橋秀仁氏2年半勤めて、技術的なチャレンジがそれ以上無かったのと、過去自分で企画〜設計をやってみたものが、形になったことも弾みになって、さらに成長したいと思って辞めました。それが2002年末で、2003年からフリーになりました。辞めて実家に帰り、正月の2週間ほどいてまた東京に戻ってきたんですが、やることがないと悪夢ばかり見ました。理性・本能・感情の折り合いのつかないものが全部夢に出てくるんですよね。頭の中の理性では、将来のビジョンだとか立派なんですけど、足元がぐらいついているので、その差が全部悪夢となって毎日夢に出てきて、とりあえず何か仕事をしようと思いました。辞める前から他社さんから引き合いがあって、独立した時の案件なんかをいただいていました。で、仕事が回りだしたら悪夢は見なくなりましたね(笑)。
川井:そうですか。
石橋:後で気付いたんですが、フリーランサーって自分で需要を作り出すことが出来ないんですよね。そうなってくると、反射神経的な経営っていうか、引き合いがあればそれをやるみたいな感じになっちゃうので、自分で将来を描きづらいと思いました。これはフリーランサーになろうと思っている人は考えた方がいい、と思っていることでして、フリーランサーで自分のキャリアを積み重ねていこうと思ったら、どういう仕事をやってどういう仕事を断るか明確な基準を持っておかないと駄目ですよね。金になる仕事だけを追っていると、10年経った時にコアになるものがなくて、独立する前と変わってないというか。
川井:そういうのはありますね。
石橋:Webエンジニア武勇伝 石橋秀仁氏僕が思ったのは、エンジニアは世の中に山ほどいるので普通にやってたら勝てないなと。突出したレベルの天才にはとても勝てないですし、自分の才能のあるところでやらないと勝てない、ということを独立してある程度経ってから考え出したんですね。「死ぬほど努力すればトップクラスになれる分野はなにか」というのを考えると、高専時代に遡りまして、専門家はいるけど専門家を横に繋ぐことが出来る人が意外といないなと思ったんですね。同じ分野の専門家を束ねられる人はいるけど、異なる分野の専門家を束ねられる人って凄く少ないなと。それなら社会に役に立てるなと思いました。で、全体的な視点を身につけようと思って、経営全般の勉強をしだしました。中小企業診断士の資格が取れるのを目標にしていたんですが、ちょうど、経営者の自伝や伝記を読み出したのもその時期で、その二つをあわせると自分は職人としての才能では勝てないと思ったので、自分は経営者として職人の才能を引き出す仕組みを作る側になりたいなと思ってました。その頃、デザイン携帯が出てきて、「デザインって何だろう? 見た目だけじゃない何かがあるんじゃないか」と思って勉強してみると、これは深くて面白いなと。いわゆるドイツ・バウハウス以降のモダンデザインっていう考え方ですよね。これってエンジニアに近い領域だなって思ったんですね。あと、アラン・クーパーっていう「VisualBasicの父」が書いた「コンピュータは、むずかしすぎて使えない!」という本があって、それを読んだときに自分の中で何かが繋がったような気がしました。
川井:なるほど。
石橋:アラン・クーパーの主張は、「インタラクションデザイン」「UIデザイン」と呼ばれるような「デザイン」をせずに、エンジニア主導でソフトを作ってしまうと、どうやっても使いにくいものになると。だからちゃんとデザイナーを入れて、UIをデザインしないと使いやすいソフトは出来ないんだと主張していて、それにピンときて、「ああ、ソフトウェアの世界にはデザイナーが足りないんだな」と思いました。それで、自分がやったらいいんじゃないかと思ったんですが、自分がデザイナーじゃないのに、どうやったらデザイナーを雇えるんだろうとか、デザイナーとエンジニアがどうやったら共存できるんだろうとか、そういったことを考え出しました。

石橋:Webエンジニア武勇伝 石橋秀仁氏仮説は色々考えたんですが、実際に会社を作ってデザイナーの求人をしてみようと思って、2004年9月に会社設立と求人をしました。そうしたら1ヵ月ぐらいで1名の男性から応募がありました。私の個人事業の頃からずっとブログを見ていてくれたらしく、「求人をしていたので応募した」らしくて。彼はプログラムを書けるデザイナーでした。会社を作って最初の1年ぐらいは本当に面白い、やりたい仕事が出来てなかったのですが、2005年2月に「Ajax」という言葉が出てきて、Webのリッチインタラクションのブームが起こって「これだ!」と思いました。準備もしてたし、この波は乗れるなと思い、色々仕掛けて2005年はAjaxに関連して名前を売り出したんですね。
川井:なるほど。
石橋:それで、仕事の引き合いや取材をいただいた中からリクルートさんの仕事もいただいて、その後はリクルートさんの実績でまた仕事を取らせていただいたりしました。それ以降はAjaxとかFlashとかを使ったリッチUIに特化してやってきている、という感じです。会社設立して3年経ち、ようやく見えてきたというか、こういうやり方なら我々のチームで成果が出せる、という一つの型がようやく見えてきて、コンスタントに成果が出せるようになってきた、というのが現時点です。
川井:一気にお話ありがとうございます。いくつか不思議に思うところがあったんですけど、制御系の学校に行かれて勉強されていたんですけども、Webのプログラムに興味を持たれたのはどういうきっかけだったんでしょうか。
石橋:興味を持ったのは、(子供の頃に)ファミコンを触ってて仕組みが気になったのと同じで、サイトを見ていると「何かここ動く!」と思うんですよ(笑)。画面の変化が起こったり、入力が出来たりするから何かおかしいな(HTMLだけでは出来るはずがないな)と思って……多分それはCGIが確立する前の、ベンダーが独自で色々やってた時期だと思うんですが、まだ検索エンジンも発達してない時期で、でもニュースやメーリングリストに投稿して罵倒されるのも嫌だったので(笑)手付かずにしてたんですけど、当時購読していたC MagazineにCGIの記事が出ていて、「こういうことか」と思ったんですよね。そのちょっと後ぐらいにRubyを知って、Cに比べてコードが短いなと思ってました。
川井:これは2000年……?
石橋:たぶん、1997年ぐらいですね。
川井:あっ、そんなに早い時期に。
石橋:Ver1.0になるかならないかぐらいの時期ですね。Linux Japanっていう雑誌がありまして、付録のCD-ROMでLinuxをインストールして自宅で色々やってたんですけど、その雑誌にRubyの記事があって知りました。Rubyをやっていたので、会社に入ってPHPも違和感なく親しんでやっていたという感じです。
川井:言語は比較的何でも出来ちゃう方ですか? それとも好き嫌いはありますか?
石橋:手続き型の言語は大体大丈夫ですが、LISPみたいなのはいまだに良く分かんないですね。関数型とか宣言型は教科書を読んでもさっぱり分からなかったのと、当時そんなに簡単に(開発環境が)手に入らなかったので、手元で動かせないので余計分からないっていう。Emacsの設定ファイルぐらいしか書けないです。
川井:好き嫌いはあまりないという感じですね。
石橋:僕は、ソフトウェアは動けばいいというスタンスです。「富豪的プログラミング」という考え方があるんですが、スピードを速めるために複雑的なコードにするとか、本質的じゃないところに努力を費やすのはよくないと。むしろシンプルなコードを書いて、マシンパワーをガンガン使えばいいじゃないかと。メモリ節約やキャッシュなんかを考えるより、富豪的なプログラミングをした方がスッキリするし、年々マシンのスペックは倍になっていくんだからそんな気にしてる場合じゃないという考えがあるので、言語は「短く書ける」「意図どおり書ける」という方がいいと思ってるんです。その意味でRubyが一番しっくりきたという感じがします。
川井:なるほど、そういう考え方があるんですね。

川井:好奇心が出発点になってるというところがあるわけですね。お若い頃からコンセプトがはっきりされていますね。
石橋:Webエンジニア武勇伝 石橋秀仁氏その裏にあるのは、人の後塵を拝したくないんですよ(笑)。二番になりたくないというか。それには二つ方法があって、既存のカテゴリーで世界一になるか、自分で新しい領域を作るかなんですよね。後者だったら、自分しかやっていないから世界一じゃないですか。それかなあと思ったんですよね。僕は経営戦略論の中でも差別化戦略が好きなんですよ。
川井:なるほど、良く分かります。やっぱり観点的に経営者ですよね。皆さん「面白い」とか「面白くなろう」という発想をお持ちなんですけど、新しい領域を作ってしまおうという発想はなかなかお持ちじゃないと思うんですよね。我々も、人材でWebだけにこだわっているのはあまり数が多くないというところと、SIと人材の間を作っちゃえと思ってて……そのカテゴリーってまだ無いんですよね。新しい名前を作っちゃえといつも言ってるんですよ。「派遣会社ですか?」と聞かれても「違います」と答えてますし、「SIerですか?」と聞かれても「違います」と。いつもかっこいい名前はないかなあと思うんですけどね(笑)。その辺は石橋さんと全く同じ発想ですよね。でもやっぱり、デザインと開発両方っていうのは(今まで)無いですよね。どちらかが強くてどちらかを外注してる、っていうパターンが世の中の8〜9割っていうんでしょうかね。
石橋:社内に両方持っている、という会社が少ないので、そこはありますね。

川井:今後、会社として目指すものをお聞かせ願えますか?
石橋:今の分野は、狭く見た時には既に先行者がいて業界リーダーとは言えないので、どうするべきか模索中です。
川井:今は4人でされてらっしゃいますけども、拡大はされていくんですか?
石橋:Webエンジニア武勇伝 石橋秀仁氏そうですね、一旦腹をくくって家業を脱して企業にしようということで、私が抜けても継続的に経営が出来るようなちゃんとした組織を作ろうと思ってます。何年後にどれぐらいの売り上げがあって、何人ぐらいのどういう組織体制でそれがこなせるんだろうっていう話とか、その時にどういう商品があって単価・客数がいくらなんだろうという話をまさに今しているところです。
川井:中位計画を作ろうという中でのドメイン議論(新しい分野の先駆者になる方法)だったりするわけですね。
石橋:事業をパッケージ化するというか、僕が抜けても成り立つというのを一つのゴールにして、3〜5年のスパンで目指していこうと思っています。
川井:この時期で反射神経的経営を脱すると考えてらっしゃるのは、凄いことだと思いますね。そうすると、個人的には経営をしっかりやっていきたいというお気持ちが強いと。
石橋:そうですね、今後もずっと経営者としてやっていきたいですね。
川井:技術が好きな方は結構そういうところまでいかない方が多いですけど、いつぐらいからそういう気持ちになられたんでしょうか。
石橋:最初は不純な動機で、「お金が欲しい」っていうのがあったんですよね。でもやっているうちにすり替わってきて、ビジョナリーカンパニーを作りたいみたいな。個人が創業者利益を得る社会的な意味というのは、起業する人間の1000人に1人しか成功しないとするならば、他の999人が得るべきだった利益を預かっているわけで、それを次の起業家に投資するのが創業者利益の使い方だと思うんですよ。そういう意味で、正しく創業者利益を使いたいと思ってます。成功した人っていうのは、それまで挫折も知っている上で後進を育てられるじゃないですか。そこは純粋なVC(ベンチャーキャピタル)とは違うと思ってるんですよ。エンジェル(成功者)はお金以上に失敗経験があるっていうか。

川井:最後に若い方にメッセージをいただきたいのですが、エンジニアでキャリアが見えないという方が多くいると思うんですが、どんな風に考えたらいいかアドバイスを戴けたらありがたいのですが。
石橋:Webエンジニア武勇伝 石橋秀仁氏サラリーマンの実態を見て思うのは、ちゃんと給料が貰えて、それが水準が高くて安定していると、「これでいいのか……??」って思い始める傾向があるようなんです。変化とかチャレンジとか、ある程度危機がないと駄目で、一生楽しく勤められる会社っていうのは、穿った見方かもしれないですが、「危機」が仕組み化してあるというか、演出されているのかなと思います。僕は、SIerやITベンダーにはそういうのが無いと思うんですね。多分エンジニアのせいじゃなくて、構造的な問題で、国策の間違いというか人月にしてしまったっていうのが結構根深いかなと。経営しなくても成り立っちゃうんですよね。現場の人は品質の高い経営の会社ではない、形だけでかい企業にいるから先が見えなかったり不安になったりするんだと思うんです。そこでCEOを連れてくるというのも無理な話だし、個々のエンジニアの処世術としてはExodus(脱出)かと思っています。一つはSIerからユーザー企業に行くことだったり……理想を言ってしまえば、ベンダーがいなくなってユーザー企業が必要なエンジニアを抱えるのが理想だと思っているので、そういう意味では将来に不安を感じている優秀なエンジニアがユーザー企業に移った方が、日本全体で経済が良くなると思っています。もう一つはあまりお勧めしませんが、起業することだと思います。
川井:最近増えてますよね。起業はあれですけども、ユーザー企業に行くっていう傾向が非常に強くなってきていて、Webになってから特にユーザーがエンジニアのチームを作れるようになりましたよね。
石橋:SIっていうのは過渡期のものであると思うので、その中で働いて悶々としているのは正しい直感だと思います。それにちゃんと耳を傾けて、自分がどうするべきか考えたほうがいいんじゃないかなと思います。映画マトリックスでいうネオなんですよね。何か違和感を感じてて、そこで赤い薬を飲むか青い薬を飲むかで、鏡の中の本当の姿が分かるという(笑)。そこでマトリックスから出ると戻れないんですけど、出てしまった後で戻りたいかと考えたら、きっと戻りたくないんじゃないかと(笑)。みんなマトリックスから出た方がいいと思います(笑)。
川井:なるほど(笑)。過去の傾向では、Web以前は戻りたいという人のほうが多かったんですよね。技術が伸びないという危惧が発生して、「技術者がいっぱいいるところに行きたい!」と、戻ってくるケースが多かったです。なんか周期があるようですね。
石橋:職人傾向の人はそうなんですよね。第3の道は、SIじゃなくてベンダーのコアな技術なりミドルウェアなりっていうものを提供するハイテクベンチャーなものを作るなり勤めるなり……
川井:アーキテクトをやっていくというのはそういうところですよね。
石橋:「Oracleを極めたい」と言ってSIerにいるよりは、Oracleに行ってOracleを作るとか、次のDBベンダーを作るなりベンチャーに入るなりして、次のDBアーキテクチャを自分で作るとか、その方が面白いはずだし技術的にもレベルが高い仕事ですよね。SIerっていうのは、コアな技術を高めても会社として必要なものではないから高いお金も払えないし、Win-Winにはならないんですよね。
川井:そうですね。趣向を見極めながらきちんと道を考えていくという感じですよね。ところでお話を聞いていると、沢山本を読まれていますし、凄い経営の勉強をされているなと思うんですけども、実際はいかがなんですか?
石橋:フリーランスの2年間ぐらいの時に、色々仕入れたり本を読んだりしたんですよね。
川井:ネットで得る知識もいいですけど、活字って非常に重要だなと思いますね。
石橋:あと、一定期間集中してやるっていうのは価値があるなとその時思いました。そういう意味では休職してMBAを取るっていうのはきっといいんだろうなと思いましたね。
川井:今日は意外でした。どういうスタンスでお話が出来るかと思ってたんですが、非常に経営者とお話をしたという感じがしました。
石橋:Webエンジニア武勇伝 石橋秀仁氏(私は)エンジニアの人のモデルには、直接的にはならないと思うのですが、僕は違うところから見ていて思うSIのひずみとか、歴史的経緯からそろそろ寿命じゃないか、というところしかアドバイス出来ないですが、そういう意味で不安とかモヤモヤとかを見逃さないで、それがいい方向で解消すればいいし、しなければどこに行くべきか考えた方がいいということは言いたいですね。
川井:「直感は正しい」というのは分かりやすいですね。わかりました、本日は貴重なお時間、ありがとうございました。
石橋:こちらこそありがとうございました。


会社社名 ゼロベース株式会社 (英語表記: ZEROBASE Inc.)
http://zerobase.jp/
代表取締役社長 石橋秀仁
従業員 4名 ※役員含む
事業内容

Webサイトの企画、デザイン、システム開発

資本金 50万円 / 石橋秀仁(100%)
所在地

〒107-0062
東京都港区南青山2-17-3 モーリンビル202

取引先 株式会社サイバーエージェント
コマップ株式会社
株式会社アイスタイル・マーケティングソリューションズ
株式会社リクルート
GMO VenturePartners 株式会社
日本放送協会(NHK)
アーキタイプ株式会社
株式会社インテージ
松下電器産業株式会社


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