
今回は、ウノウ株式会社代表をされている山田進太郎さんにお話をお聞きしました。山田さんは、早稲田大学在学中に、早稲田リンクスの代表をされたり、楽天株式会社にて楽天フリマオークションの立上げなどを経験されています。ウノウ株式会社では写真・動画共有サービス「フォト蔵」などのサービスを提供しております。特に山田さんの「エンジニア」に対する視点は非常に冷静なものがありました。
山田 進太郎 (やまだ しんたろう) 氏
早稲田大学在学中に、早稲田リンクスの代表、楽天株式会社にて楽天フリマオークションの立上げなどを経験。2000年3月卒業後、NPO Zaiya.comを立上げ後、フリーのウェブ・ディレクター・プログラマーに。2001年8月有限会社ウノウとして法人化。2002年6月より雑誌定期購読エージェンシー「富士山マガジンサービス」に参画し、ウェブサイト設計全般を担当。2003年6月大手卸会社と提携し、DVD販売サイト「DVD生活」を開始し新作映画情報サイト「映画生活」を事業化。2004年2月よりシリコンバレーに拠点を移し、インターネットビジネスのリサーチなどをする。日本から世界的サービスを作るため、2005年2月に帰国し、ウノウ株式会社に組織変更。写真・動画共有サービス「フォト蔵」、ケータイ動画共有サイト「ビデオポップ」などの立ち上げでディレクションを行う。主に新規ネットサービスの立ち上げを担当。
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| 実はこの方が紹介者→ | Webエンジニア武勇伝 第27回 石橋秀仁氏 | |
| 次に紹介したのは→ | Engineer25 第7回 樋口智裕 氏 | |
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たぶん小学校の低学年ぐらいで、MSXってゆう、テレビというかパソコンみたいなものが最初です。両親がAIBOとかVAIO505とか、携帯も新機種がでるたびに機種かえる新しい物好きだったので、MSXが出たときにすぐ買ってきたんです。それが家にやってきて、結構ゲームをやったりして、1画面プログラミングとか雑誌に出ていたのを動かしたりとかを母親がしていたんですよ。僕自身は何か打ち込むことはしても、何で動いているのかとか仕組みはまったくわからない状態でしたね。高校時代も家に、PC-98とかもあったのですが、ほとんどゲームしかしていない感じですね。
そうですね。アルバイトというか、大学4年生の時に就職活動をして入りました。大手の広告代理店の就職も一応受かった所もあったんですが、インターネットビジネスするほうが面白いかなと思って。それで大手はお断りして、楽天に入ったという感じですね。
そうゆう意味では、自分でもやってみたいなとすぐ思ったし。その時ちょうど、早稲田の教授や僕の友達から独立というか、大学で独立支援のプロジェクトを勧められて、そっちをやってみようと思い、楽天自体の内定をお断りした様な感じですね。
そうですね。最初は早稲田生が、特にITの方でもうちょっと元気になってほしいと思って始めました。大学のITインフラなどをかなり推し進めてきた村岡先生という方がいるんですけども、その先生の研究室は早稲田生が千里眼という検索エンジンを作っていたりしている研究室でして、先生本人も分散コンピューティングの様なことをされていて、IT分野で若い人の助けをしようということをしていたんです。僕自身ももともとNPOみたいなものにものすごい興味をもっていて、大学時代にアイセックもやっていたので、先生のやろうとしていたことには非常に興味を持ちましたね。アイセックは国際ビジネスマンみたいな人間を育てる名目でNPOとして世界中にあって、持続性がある感じの運営をしているんです。ただ、世の中にはお金で解決できるものがあれば、出来ないこともあると思っていまして。
そうですねぇ・・・村岡先生の研究室出身でルナスケープという会社があるんですけど、ルナスケープの開発していた人間が僕と同じ年で。村岡先生の研究室で研究していたものを事業化したもので、ブラウザを作ってすごくうまくやって、今年はシリコンバレーに行っているみたいですよ。あと、Utagoeっていう会社も、村岡研究室のもうちょっと上の世代の方達です。
そうですね。僕自身、Webサイトを作るのが好きで、普通、営業の人がいて、エンジニアがいて、こういうシステムを作ってほしいと営業に言われても、システム的には出来ない部分が出てくるんで、その間に立って、エンジニアと一緒に全体を作っていくことがすごく面白いなと思ったんです。その部分が出来る人は、今もほとんどいないと思いますが。当時も希少性が高かったんで、いろんな案件が持ち込まれる様になり、儲けることも出来たので。とりあえずそれをやってみようと思いました。あと、僕の中では、漠然とした夢みたいなものだったのですが、ずっと昔からアメリカに行きたいとすごく思っていたんです。高校、大学のときも、行こうと思っていましたね。
とりあえず、右も左もわからなかったので、学校に行って、何やろうかなと思いながらふらふらしていていた感じです。
人脈って意味でも、日本では、インターネット業界の多くの人と知り合いですが、アメリカではゼロからはじめないといけなかったんですよね。だったら日本で会社を作って、それでもういっぺん日本で作ったプロダクトをもってアメリカに来る。自分としては、その方が早いのではないかと思いました。コスト面でも、いいエンジニアは年収も高いし、それだったら、日本で資金調達したほうがやりやすいと思ったんです。いろいろ総合的に考えて、日本でビジネスすることにしました。ちょうどその頃、今共同代表としてやっている副社長から、アメリカ行っている間に、メールをくださいと連絡がありまして。彼は、サイバーエージェントの社員一号で、藤田さんの本とかにも載っていたりしているんです。サイバーエージェントも社員が1000人超えてきて、「自分でビジネスをやろうと思っているんだけど」と言ってきたんですよ。彼は、営業畑の人間で、エンジニアリングのわかる人とやって行こうと思っていて、もしよかったら、一緒にやりませんかと話があったんです。じゃあやりましょうという感じで始まった感じです。それが丁度、2005年の2月位かな。そこで、株式会社にしました。それまでは一応、有限会社を持っていて、それは僕のプライベートカンパニーだったので。





