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第25回 山本勇 氏(SIMPLE代表)

今回は、第21回の「Webエンジニア武勇伝」に登場いただいたKlab株式会社のCTO、仙石浩明さんのご紹介で、SOHOコミュニティ SIMPLEの代表を勤められている個人事業主の山本勇さんにお話をお聞きしました。山本さんは、個人事業主として開発実務を行う傍らで、SOHOエンジニアのネットワークを広げるための組織「SIMPLE」を運営したり、積極的に技術カンファレンスに参加するなど、幅広いフィールドで活躍されています。今回はウェブキャリアの日本橋オフィスにてそんな山本さんにじっくりお話を伺いました。特に山本さんの「情報」に対する視点は非常に独創的なものがありました。


山本勇 氏

  • ◆小学生の頃、ポケコンに触れBASICを学び、以来、中高時代もパソコンが趣味の中心となる。
  • ◆大学では理学部物理学科に入学。研究室ではプログラミング担当となる。
  • ◆卒業後、地元の小企業に入社。ハードウェア設計からソフトウェア設計まで一通り触れるうち、ソフトウェア周り(特にネットワーク関係)に興味を持つ。退社後、ネットワーク関連の派遣として働く。大学のヘルプデスクで勤務する中でLinux、PHPを使い始める。(1998年頃) その後、ベンチャー企業での開発経験を経て、SOHOエンジニアとして独立(1999年頃)
  • ◆PHPユーザ会に参加し、毎年のPHPカンファレンスでスタッフとして協力する。
  • ◆SOHOエンジニアコミュニティ「SIMPLE」を立ち上げる。
  • ◆海外製のWebメールソフト「IMP」の日本語化を行い、公開する。
  • ◆知人に誘われ、海外製のCMSソフトである「OpenACS」の日本での普及活動を行うが普及に至らず。
  • ◆SOHOエンジニアとして、書籍の取材依頼を受ける。それがきっかけでPHPの書籍執筆を勧められ、執筆し(2001年頃)雑誌などの記事の執筆を行う。
  • ◆知人とバンコク(タイ)で会社を立ち上げる。現地エンジニアを雇い、タイ向けのサイト構築や、オフショア開発を行う。
  • ◆某IT系企業に社員として入社。(2004年頃) 昨年退社し、再びSOHOエンジニアに戻り現在に至る。
  • 代表的著作
  • - 「PHP実践のツボ」(九天社刊)
  • - 「PHP実践のツボ セキュアプログラミング編」(九天社刊)
  • - 「まるごとPHP!〈Vol.1〉」(インプレス刊)




  • SOHOコミュニティ「SIMPLE」  http://simple.trustbee.com/

川井:改めましてよろしくお願いいたします。
山本:よろしくお願いいたします。
川井:まずは、生い立ちみたいなところからお聞きしていまして、古い話で恐縮ですが、コンピュータとの出会いについて教えていただけますか。
山本:小学校の頃とかは他の方も同じだと思うんですが、最初に触ったのはポケコンですね。液晶も10桁くらいしかないチープなポケコンでBASICをやって、それ以来、パソコンが趣味みたいになっていますね。
川井:ちなみにお生まれって何年でしたっけ?
山本:1972年です。
川井:なるほど、私の2つ下ですから世代的には一緒なんですね。ポケコンに触れるきっかけって何かあったんですか?
山本:なんですかね。親戚のお兄さんがなぜかそれを持っていて、親戚の家に遊びに行くたびに、何か分からないながらも、それをかちゃかちゃやっていたんです。
川井:環境的にたまたまそこにありましたみたいなことだったんですね。
山本:そうですね。あとは、当時仲良かった親友の親父さんがシャープに勤めていて、その頃まだ珍しかったMZのパソコンがなぜか家にあったりもして、それに触れていたので、コンピュータにも興味があったんです。あまりよく覚えていなんいですけど、グリーンモニターのMZの80かなんかじゃないですかね。
川井:たまたま親戚と友人にそういう環境があったんですね。BASICで何をしていたんですか?
山本:ゲームばっかりですね(笑)
川井:やっぱりゲームですか。当時はどんなゲームだったか覚えていますか?
山本:カシオの一番最初のポケコンだったんで、液晶が10桁くらいしかなくて、自分でドットが打てないようなタイプだったんですね。なのでゲームといってもタイミングゲームとか本当にチープなものですね。
川井:なるほど。雑誌なんかも読んでましたか?
山本:ええ。お決まりで、当時はベーマガですね。
川井:やっぱりそこにいきますか。
山本:それしかないですからね(笑)
川井:買っていたんですか?
山本:ええ、毎月(笑)
川井:小学生とか中学生のときですよね?
山本:そうですね。クラスに1人か2人、マイコン少年がいるじゃないですか。そのうちの1人ですね。
川井:あまりスポーツとかはしなかったんですか?
山本:子供の頃、喘息を患ってまして、親から「お前は喘息持ちだから」といわれて、自分は体が弱いんだと思いこんでいました。いつの間にか治っちゃいましたけどね。
川井:じゃあ、そういうこともあって運動というよりはインドア的な方にいっていたわけですね。
山本:そうですね。ちょうどよかったですね(笑)
川井:高校になってからもパソコンが趣味だったみたいですが、何かその他に変化はあったんですか?
山本:持っているパソコンが変わっていったくらいですかね。
川井:最初のパソコンはいつ頃に買ったんですか?
山本:ポケコンの次は、中学に入ってからX1を買いましたね。高校に入ってから、X68000っていうのを買いました。
川井:王道ですね。
山本:そうですね(笑)
川井:やっぱりゲームが中心ですか?
山本:X68000を買ったときはCGをやりたかったんですよ。当時まだレイトレーシングっていうのが出初めで、ようやくパソコンでもできるぐらいの環境になったので、友達と2人で金を出し合って、レイトレーシングのソフトを買いました。
川井:なるほど。少し変わってきていたんですね。
山本:そうですね。その時はゲームより映像っていうようにちょっと向いてきたって感じですね。
川井:その後、理系に進まれるわけですが、当時は、コンピュータを仕事にっていう気持ちはあったんですか?
山本:ええ、それはもう小学校の頃から、最後はこれを仕事にするんだろうなって思っていました。
川井:そうなんですか? でも当時ってコンピュータを仕事にするっていうのはイメージがつかなかったんでじゃないですか?
山本:それが、当時はゲームの世界ではスタープログラマーみたいな人もいたんですよ。
川井:じゃあ、ゲームプログラマーになろうってことだったんですね。
山本:そうですね。当時はゲームプログラマー以外のことは知らなくて、将来は中村光一みたいに なりたいなって感じでした。
川井:そうなんですね。私は、仕事の種類なんて良く分からないから、満員電車に乗って、立ち食い蕎麦を食うサラリーマンに憧れていましたね(笑)
山本:私の親父は大工なんですよ。大工で自分の腕で仕事をしているじゃないですか。だから漠然と自分はサラリーマンにはならないなっていうのはありましたね。
川井:なるほど。もの造りみたいなものはDNAに根付いているのかもしれませんね。
山本:そうですね。

川井:選んだのは物理ですか?
山本:そうですね。理学部の物理ですね。
川井:どんな研究をされていたんですか?
山本:液晶物質に磁場をかけてどうなるかを研究していましたが、特に厳しい研究ではなかったんで、私はプログラムでグラフを書いたりしていました。
川井:当時はどういう言語を使っていたんですか?
山本:当時はC言語ですね。当時、早目に内定をもらっていて、その会社に学生の頃からアルバイトに行ってまして、そこでいきなり、98を1台と本を1冊与えられて、これでCをやれとスパルタで覚えさせられました。
川井:いまどきのインターンみたいですね。
山本:そうですね。それで覚えた知識を研究室に持っていってプログラムを書いていました。
川井:結構、簡単に覚えられちゃうものなんですか?
山本:そうですね。新しい言語でも必要であれば比較的簡単に覚えられますね。
川井:なるほど。すごいですね。会社はどんな風に決めたんですか?
山本:大企業が苦手だったんで、小企業を探していました。入ったのは地元の埼玉では技術的にはすごいなと思える会社でしたね。
川井:プログラマとして就職したんですか?
山本:その会社がハードウェア設計からソフトウェアまで一通りやる会社だったんです。どこかの研究所からこういうハードウェアを作って欲しいというオーダーがあって、その仕様を書いて、ベリログやVHDLといった言語設計が出始めた時期だったので、それでその言語を作ってLSIを設計して、周辺に乗せるチップを基板の上に並べて、基板を自動レイアウトして基板を発注して作って、自分でハンダづけして、それを入れる箱も自分で板金図を書いて、それを制御するソフトウェアも自分で書いてみたいな感じでした。そこでハードウェア設計から一通り学ばせてもらったんですけど、一番興味があったのがソフトウェアだったんですよ。特にネットワークまわりというんですかね。当時はNetWareが出始めた頃で、社内ネットワークとかいろいろいじっていたんですけども、機械と機械が通信するというのがものすごく楽しく思えたんですね。それでネットワークのソフトウェア設計の方がやりたくて、ハードウェアの方はむしろ息苦しくなっていたんです。
川井:なるほど。ハードウェアってどういう用途のものだったんですか?
山本:量販向けではなくて、研究所が1点もので何かを制御するために使うものだったんです。例えば何かのアンテナが収集したものをひたすら溜め込んで、それを解析するための装置ですとかそういうものですね。
川井:じゃあ、特注品なんですね。
山本:そうなんです。特注品なんです。
川井:技術力が高いわけですよね。
山本:それが10人くらいでやっていけるんだから技術力は高い方だと思いますね。
川井:なるほど。でもそこでソフトウェアへの興味が強いってことが分かったわけですね。

川井:その後のアクションはどんな感じだったんですか?
山本:2、3年はその会社にいたんですが、やっぱりいる以上、ハードウェアが嫌だというわけにはいかなくて、会社は辞めてしまいました。その後は、派遣みたいな形でルーターの設定ですとかネットワークまわりの仕事をしていたんですが、あるときに大学のヘルプデスクの仕事があったんです。そこの居心地がよくて1年、2年続けてしまったんですが、かなりの時間があったんで、LinuxとかPHPとかを覚えました。
川井:仕事以外で、ですよね?
山本:そうですね。仕事とは別で覚えました。
川井:派遣の形態を選んだのはどういう理由からだったんですか?
山本:前の会社を辞めたときは、あまりいいやめ方ができなくてだらだらしていて、なので、すぐに他の会社に社員として入るのは抵抗があったのかなという感じですかね。
川井:会社に就職するというのに抵抗があったってことですかね。
山本:そうですね。
川井:派遣自体には抵抗がなかったんですか?
山本:それはなかったですね。
川井:そうなんですね。「派遣」っていうとエンジニアにとっては抵抗があるみたいで、「僕が派遣されちゃうんですか?」みたいな人もいるんですよ。一般的に派遣会社っていうとエンジニアは集まりにくいですからね。
山本:そうなんですか。でも正社員は正社員でメリットはありますけど、派遣は派遣でメリットもありますよね。責任分担がはっきりしているとかそういうのもありますよね。私の場合は正社員の頃の責任が重すぎたっていうのがあったのかもしれませんね。
川井:ある程度、明確な範囲というものがあって、その中で自分を生かせるっていうんでしょうかね。やりたい仕事の領域が限定されているとそういう思いもありますよね。
山本:そうですね。
川井:その後はどうされたんですか?
山本:アルバイトでネット系のベンチャーに入ったんですが、行ってみたらマンションの一室で、社長は当時の私と同じ年の27歳の人で、バリバリのベンチャーでしたね。
川井:何年くらいいたんですか?
山本:2年くらいですかね。
川井:結構最近の話ですよね。
山本:そうですね。当時はネットブームの時期で、社長と友人が個人でやっていたんですけど、VCから投資があって結構資金が潤沢になったみたいで、知人をいろいろ集めてやっていたんですが、最終的には楽天に買収されました。
川井:そうなんですか。その会社ではどんな仕事をされていたんですか?
山本:そこでは、PHPとORACLEですかね。もともとNTで作っていたサイトが重たいので、PHPとORACLEに変えるという仕事をやっていたんですけど、その会社にいるうちに、個人で頼めないかという依頼がきたんですよ。そうしているうちにSOHOになったって感じですかね。
川井:どういうルートから仕事の依頼が来るんですか? 個人事業主になろうって思っている方が一番不安なのが、本当に仕事がもらえるのかっていうことだと思うんですよね。なので、どういう流れでオファーが入るようになったのか教えていただけませんか?
山本:なるほど。私の場合は、最初に仕事があったので、やっていたらそのままSOHOになっちゃったっていうパターンなんですよ。
川井:開発の他には、何か並行してやっていらしたんですか?
山本:PHPカンファレンスみたいなものには出ていましたし、自分で「SIMPLE」というSOHOのコミュニティみたいなものは作ってはいましたね。
川井:人の輪を作って、仕事を回しあったりということですね。
山本:そうですね。それも目論見の1つにありましたね。SIMPLEのメンバーで当時4、5人だったんですが、毎月ミーティングと称して場所と転々としていて、オン・ザ・エッヂ(現ライブドア)の会議室を借りたときに20人くらいが集まったこともありましたね。当時はかなり活発にやっていて、仙石さんとはそこでお知り合いになりました。
川井:SIMPLE自体の設立趣旨みたいなものってどういうものだったんですか?
山本:宮原徹さん主催のオープンソース系のカンファレンスでSOHOの方と知り合って、メールでやりとりするうちに他のSOHOみたいな人の話も聞きたいよねって話になったんです。あまりSOHO同士のやりとりってないんですよ。
川井:そうなんですか。
山本:結局はどこかの企業から仕事をもらう下請け的な立場なので、下請け同士があまり接したりしないんですよ。ですから、お互いに困っていることを相談したりとか、技術情報とかを交換できる場を作りたかったんです。やっているうちにいろいろとアイデアも浮かんできたりしましたしね。私はシステムしかできなくてデザインはできないんですけど、デザインも一緒にっていう依頼があったときとか、Linuxしか分からないところにWindowsとつなげるような仕組みの依頼がきたら、断るしかないんですが、それをデザインができる人やWindowsが分かる人と一緒に、SIMPLEとして仕事を請ける仕組みができないかなって模索した時期があったんです。でもリスクが高すぎるんですよね。結局エンジニアの集まりなので、みんな手を動かしたくて、マネジメントしたい人がいないんですよ。
川井:そうですよね。
山本:結局、SIMPLEとして請けた以上は誰かがやらないといけないじゃないですか。じゃあ、誰かに頼んでその人が途中で逃げた場合、誰が責任を持つんだということとかもあって、結局、仕事がきたときにSIMPLEの人で誰か空いてる? みたいな感じでやっていますね。
川井:個人的なつきあいで、ですね?
山本:そうですね。個人的にやっていますね。
川井:こういうSOHOのコミュニティとかネットワークって今は、結構あるんですか?
山本:今は、どうなっているのか分からないですね。SIMPLEの月1回のミーティングも自然消滅してしまっている状態ですからね。土曜日の会議室が必要なので、それが難しいですね。
川井:だいたいどれくらいやられるんですか?
山本:15時〜夕方までやって、そこから呑みって感じですね。
川井:ルノアールの会議室とかいいかもしれないですけどね。
山本:それも考えたんですけど、参加者から一切、お金をとらないっていう考え方だったんです。たとえ100円であれ、お金をとったら参加者としてはそれだけの価値を期待するじゃないですか。100円の価値がなければ次からきてくれないじゃないですか。そういう風にはしたくなかったんです。
川井:なるほど。それはこだわりですね。
山本:そこでプロジェクターを出して、あれこれやって、情報交換したりしていました。
川井:今は、そういう活動が下火になって、個人で動かれている状態なんですね。
山本:そうですね。SIMPLEの頃の交友関係は続いているのですが、細々とメーリングリストをやっているくらいになってしまいましたね。
川井:独立されてから、仕事の不安みたいなところもあれば、いいところもあると思うんですが、山本さんの経験の中ではどうでしょう?
山本:なし崩し的にSOHOをやっちゃっているんですけど、いい点で言えば純粋に仕事が選べるということですよね。安くても面白そうだと思ったら飛びつきますし、高くてもつまらなそうな仕事であれば、お断りするみたいな形ですね。悪い点といえば、当然不安定ですよね。どうしてもSOHOだと自分で営業して、自分で打ち合わせして、自分で開発するじゃないですか。そうすると、PHPの案件はロングスパンじゃなくて、2ヶ月、3ヶ月なんですが、2ヶ月、3ヶ月経って、よし納品して終わった、次は何をやろうかって思っても空いちゃうんですよ。それで次の1ヶ月はまた仕事を探してみたいな感じになって、収入はなくなっちゃうんですよね。
川井:なるほど。
山本:それを嫌う人は、どこかの会社と下請け的に付き合って、それを納品したら次はこれみたいに定期的に仕事を貰うっていう方もいましたね。
川井:山本さんとしては、それは嫌なんですよね?
山本:ええ、こちらの立場が弱くなりすぎてしまいますからね。切られたら終わりですしね。それよりも細々とあちこちにコミュニケーションをとってという方が好きですからね。
川井:じゃあ、事業会社みたいなところという感じですね。
山本:そうですね。中小企業がそれなりのSierさんに発注しちゃうと結構な金額いっちゃうじゃないですか。そうなると、まわりまわって、私のところに問い合わせがくるわけなんですよ。
川井:実際に年収のぶれとか大きいんですか?
山本:めちゃめちゃ大きいです。
川井:ちなみにどれくらいのぶれがあるんですか?
山本:本当にいい案件がちょこちょこ来る年とない年で倍くらいの差がつきますかね。
川井:倍になったり、半分になったりっていうことですか。
山本:はい。
川井:なるほど。これはなかなかスリリングですね。半分になったときのベースはそこそこなんですか?
山本:半分になったときのためのリスクヘッジで最低限のものが得られるように週1回どこかで仕事をしたりはしていますよ。さすがに生活できないですからね。
川井:山本さんの場合、コミュニケーションも長けているようですけど、それが苦手は人は大変ですよね。
山本:そうですね。厳しいと思いますよ。いろいろな人とお会いしましたけど、技術力はあるんだけどもコミュニケーション能力がないって方も結構いらっしゃるんですよね。やっぱり技術者でいいソフトを作る人はいるんですけど、そのソフトの良さを上手く伝えないと結局お金にならないんですよ。
川井:そうですよね。そういった意味も含めて、SOHOとか個人事業主で成功するための条件ってどういうものだと思いますか? こういう能力がないとしんどいんじゃないのっていうものってありますか?
山本:まずは、最低限のコミュニケーション能力ですよね。まあ、それは企業でエンジニアをやる上でも必要ですけどね。企業の中ではマシンルームにこもってやっていればいいっていう時代じゃないですからね。
川井:技術を極めたくて顧客志向もないし、コミュニケーションもしたくないみたいなエンジニアもいるじゃないですか。それですと個人事業主としては難しいってことですよね。
山本:そうですね。それですとどこか大手の企業の研究所にいくのがいいと思いますね。
川井:なるほど。
山本:私は、幸い人と話すのが好きなタイプですからね。
川井:そうですよね。
山本:むしろ営業をやりたいなって思っているくらいです。
川井:そうなんですか(笑)



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