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第8回 古庄道明 氏 株式会社格子組 親方

今回は、個人事業主として活躍する古庄道明親方にお話をお聞きします。古庄親方は、個人で開発を請け負いながら、若いエンジニアを指導する「寺子屋」を開催したり、個人事業主を束ねてビジネス的展開を行う「格子組」の運営をされています。イベントやクライアントとの打ち合わせにも着物姿で現れるなど和テイストを好む親方に個人事業主として技術の世界で生きていくと言うことはどういうことなのかを語っていただきます。勿論、今回も着物で登場いただき、インタビューは西新宿のヒルトン東京のラウンジで実施いたしました。

古庄道明 氏


1970年浅草生まれ 関東を転々としながら育つ
1988年に工業高校卒業後、街の電気店に就職するも、6ヶ月で退職し、フリーターとなる。
ホテルマン、警備員、占い師など個性的な商業を10以上経験。
1995年に富士通系のソフトハウスに就職しプログラマに転身
1999年個人事業主として独立し現在に至る。

「寺子屋」「格子組」といったエンジニア支援活動を独自に展開し、占い師時代の「ガルーダ」という占い師名にちなんだ「がる先生」の愛称で親しまれている。

株式会社 格子組 代表取締役親方: http://www.grid-works-guild.net
M-Frネット: http://www.m-fr.net/
未だに現役のエンジニア。コンサルティングからシステム設計、ネットワークにセキュリティと、守備範囲は比較的多岐に渡る。「技術の基本は、その技術がない時の"困ってる"が根っこ」をモットーに、いい加減いい歳なのをうまく逆手にとって、古い話から現代へ歴史をたどるように教えるのが持ち味。

川井: 親方、よろしくお願いいたします。
古庄: よろしくお願いします。
川井: 「親方」という呼び方はこだわりなんでしょうか?
古庄: 発端は、多分ですね、実は20歳前くらいの頃から、私、プロっていう感覚がとても強かったんですね。玄人素人みたいなプロってやつです。誰でもできるようなお仕事を誰でもできるようにやるってことにあまり興味がなかったんです。そのあと、段々年をとってきたせいか「プロ」って表現がなんとなくしっくりこなくなって、「和テイスト」を好むようになってきたのもあって、「私は職人なんだな」って思うようになったんです。
川井: ほう、なるほど。確かに「和テイスト」ですね(笑)
古庄: 血筋もあるんですが、実際にまわりからも「職人気質」って言われることも少なくなくて、そこから自分は職人なんだなって感覚が強くなってきて、「職人」の上に立ってるから「親方」なんだよねってするするっとなったわけです。
川井: なるほど。ところで、血筋っていうのはどんな感じなんですか?
古庄: もともと、古庄の血筋って叔父とかが板金とかやってたんですね。それで「手に職」っていう意識がとっても強い血筋みたいで、親戚どこを見ても皆さん、何某か「手に職」を持っているというのがあるんです。叔母は書道の先生をしていたり、従兄弟も同業だったり。だから「手に職」を持たなきゃいけないという感覚がとても強いんです。
川井: なるほどですね。
川井: パソコンとの出会いをお聞きしたいんですが、ずっと前のことなんでしょうか?
古庄: そうですね、小学校の頃からですからずっと前になるんでしょうね。
川井: 小学校の頃ってことはもしかしてゲームですか?
古庄: そうです(笑)
川井: やっぱり! 皆さん、ゲームなんですよね。
古庄: 横浜の上大岡というところがあるんですが、その上大岡の長崎屋にいりびたってました。当時のゲームはX1系のテープローダーでゲームをロードするんですが、30分くらい時間がかかるんですよね。やっぱり暇じゃないですか。それで当時はまだパソコンが売り出しの頃だったのもあって、横にズラーっと本が並んでいたんでいて、その中に「はじめてのN88‐BASIC」という本を引っ張り出して、バッと開いて、ダーっと打ち込んでました(笑)
川井: (笑)
古庄: やっぱり、そのままそっくりやるんですよ。そのまま打ち込むとグラフィックとかなんで綺麗に動くじゃないですか。やっぱ出ると格好いいんですよね。「おーすげえ!」みたいな。それで、このstep 10だったのをstep 5にしたらすごい細かくなったって! すごい単純なことなんですけどね。そこで遊んでいたのが一番初めですね。あの当時にしてはまあ順当なんですけど・・・よくデパートの店員さんに怒られなかったなあと(笑)
川井: 確かにそんなことしてましたね〜
古庄: でも面白いのは、あの頃は、仕事にしたいってあまり考えてなかったんですよ。実は中学2年までは調理師になりたかったんです。
川井: えー!
古庄: 誕生日には、素材ごとの栄養値が一覧できるような本を買ってもらっていたり、祖母の料理を手伝ったりしてました。
川井: なんでまた、パソコンの方にいっちゃったんですか?
古庄: 従兄弟がそのとき、工業の高専に進んでパソコンにはまってまして、それを見てたら面白そうで急にプログラマになろうって思っちゃったんですよね。
川井: なるほど。そりゃあ、面白そうに見えますよね(笑)
古庄: そんなに悩んで熟考して考えてというよりも、ふらっと(笑)
川井: 家にはパソコンはあったんですか?
古庄: あの頃は家になくて、従兄弟の家に行って遊んでました。従兄弟がブラックオニキスとかやるのを横目でみながら(笑)
川井: 高校は?
古庄: 中2までは普通高校に行こうと思ってたんですが、中3でそんなことがあって工業高校に行きました。
川井: 工業高校にいくとやっぱりコンピューターの授業が多いんですか?
古庄: いやあ、授業はそうでもないんですが、ポケコンが必須で買わされていたり、妙に詳しい奴がいたりというのはありましたね。授業そっちのけでポケコンしてました(笑)
川井: なるほど。
古庄: 中に妙に詳しい奴が2人、3人いたんですが、そういう奴らとやたら濃い話をするんですよ。それがとても刺激になりました。「あーそういうやり方をするんだな」っていう感じで、そこで始めてのステップアップというか「技術の世界の一番はじめの模様」が見えてきたなって感じではありましたよね、今考えると。
川井: 触発されるんでしょうね。
古庄: ですね。こんな面白い世界があるんだなって。考えたものを作ることができるじゃないですか。逆に作りたいために考えて、こうやればいいっていう解答を見つけることができるじゃないですか。多分、そこが面白かったんでしょうね。当時、友人の1人がポケコンをハックして、本当はグラフィックの出ない1行のポケコンなのに、ある特定の番地にpoke文で無理矢理データを書くと、グラフィックが出せることがわかったんですよ。こりゃ面白いなあって話になって一時期、グラフィックを出すことが流行ったりしました。
川井: そうなんですか(笑)
古庄: そのあと、私が迷路のプログラムを作ったんです。前後左右で4ビットで済むじゃないですか。3Dで上下くっつけてもこれだけだと6ビットで済むんですよ。実は、英文字1文字でマス目の1つを再現することができるんで、5×5の25マスだと25文字の文字列を使って迷路が作れるんですよ。で、まず始めに上下左右どこにいけるかをインプットすると、文字に直す、いわゆる暗号化ではないですが、コーデックができて、その後、別のプログラムを組みこみなおすと、今度はそれを迷路に戻すことができて、迷路のルーチンが出来あがるんです。それをクラス中にばらまいてまして。「この迷路解ける? 難しいよ」とかって言って。そんなことばっかりやってました(笑)
川井: へえ(笑)
古庄: 教師もよかったんでしょうね。型にとらわれる教師がほとんどいなかったですね。例えばポケコンなんかでデータをやり取りするときに、あの頃はセーブロードコマンドとか使うんですけど、ケーブルなんて高校生にはなかなか買えないじゃないですか。普通の教師ならそれでも買えっていうか、自分の持っているのを貸すとかじゃないですか。その教師が言ったのは、「お前な、まずこの説明書を見てみろ。ここにピンのクロスのパターンが書いてあるよな。ここには何が流れてる?」「このシャーペンの芯は何でできてる?」というようなことだったんです。「電流だから炭素で流せるのね」って思ってシャーペンの芯でつなげてプチッとやりました。力加減を間違えるとボキっと折れるんですけどね(笑)
川井: (大笑)
古庄: 教師からしてそういうのを普通に教えてくれる人たちでした。「ありものでいかに考えていくか」という考え方の根っこを教わったのは強かったですね。環境には恵まれてましたね。なもんですから見る見る成績が下がっていきました(笑) 本当に授業聞いてませんでしたもん。
川井: 聞かないですよね
古庄: ポケコンなんで変数が1文字なんで、A〜Zじゃないですか。ノートA〜Zを書き出して、これは文字の変数にして何を突っ込む領域にして、これは数字の変数にして何を突っ込む領域にしてってまず設計から入って、コーディングしてデバックしてって授業中にやってましたからね(笑)
川井: 聞かないんじゃなくて、聞けないんですね(笑) かなり充実した高校時代って感じですね。
古庄: そうですね(笑)
川井: 仕事にしようって考え始めたのはいつぐらいからですか?
古庄: これが結構あとの方なんです。もともとずっと悩んでたのはプログラムの方にいくのか、それとも接客も好きだったので、そちらにいくのかっていうことでした。家庭の事情もあって、高校を出てから大学にいくという選択肢はなくて、寮生活をしなきゃいけなかったんです。それで高校を卒業するときの選択肢が2つしかなくて、街の電気屋さんか伊藤ハム。
川井: え?
古庄: ほぼ躊躇なく街の電気屋さんを選びまして、寮生活を始めました。接客も苦じゃなかったし、資格もとれるくらまでは、勉強もして施工も一通りできるようになったし、電気屋さんも苦じゃなかったですね。ただ、家電を販売することには必ずしもそんなに興味がなかったりもして、道楽でやってたエレクトーンのこともあって相当悩んでいて、一生、この仕事をやっていくって考えたときに、どうしても縦に首を振れない自分がいることに気づいて。。。結局、電気屋さんは半年ちょっとで辞めさせていただいて、そこからしばらくはフリーターを始めました。
川井: そうでしたか。
古庄: あの頃ってバブルの真っ只中じゃないですか。仕事なんていっぱいあって、本当に3ヶ月ごとに仕事を換えてましたね。とにかくまずいろんな経験をしてみたくてというのがありました。
川井: 確かに90年前後のバブル時代ですよね。
古庄: そう。本当に仕事なんて掃いて捨てるほどあって、そこそこの高給をいただくこともできて。3ヶ月やっては次の仕事やってという感じで、仕事を散らかしてましたね。そのあともかなりおかしなことをしていました。警備員をやっていた19歳のときに、行きつけのお店の店長から声をかけられて、そのまま占い師になったりもしました。
川井: 面白いなあ。何占いですか?
古庄: 私は、タロット占いと星占いですね。同業の方からはすごくシステマチックな占いをするって言われます。そこで占いと接客もして、アクセサリーを作る彫金みたいなこともしていました。そこでもやっぱり一生の仕事じゃないなあって思ってて、その後また知り合いの人に誘われて始めたのがホテルマン。フロントに立ってました。25歳くらいまでですかね。
川井: いったいいくつくらい仕事したんですかね?
古庄:
10以上っていうは数えてたんですが、それ以上はわかりませんね。ある意味、いろいろなことをやりたいっていう欲求は叶えられてたんですけどね。ホテルマンをしてるときに、そろそろ一生やる仕事について真剣に考えたいなっていうのがあったんです。占い師も含めて、やっぱりメインで一生やっていく仕事じゃないなって思っていて、そのとき多分プログラムなんじゃないかなってやっと思ったんです。ただ25歳でしたから未経験でできるかって聞かれるとバブルも美しくはじけていたんで、素人考えに情報処理2種の資格もとったりと準備を始めました。パソコンは持っていたので、Officeのver2とかどきどきするものやTurboCとか買ってみたりもしました。触ってみては「わかんねえ!」とか騒いでましたが(笑) 渋谷の若者向けの店で買ったアクセサリーです(^_^;)「そんな使い方ができるんだ!」
と若いギャルが驚いておりました。
川井: 結構ブランクがあって、プログラムの世界に戻ろうと思ったわけですよね? なんか理由というかきっかけがあったんですか?
古庄:
それが不思議なことにあまり覚えてなんいんですが、とても自然だったような気がします。学生時代の頃はプログラムって面白いけど仕事にはできないんじゃないかなってどこかで思っていたんです。それを仕事にって考えたときに、あれだけ面白かったんだから仕事に出来るんじゃないかなって逆に考え始めたんじゃないですかね。それで、無事に資格もとって、1社目の面接にいったときに本格的に心に火がついて、本気になりました。
川井: どういうことですか?
古庄: それまでは半信半疑でやっぱり不安があったんですが、1社目で、「25歳にもなって、これから新しいことを始めるのに怖くなんですか」ってことをものすごく否定的に言われたんですよ。「やめたら」みたいに。カチーンときましたね。「新しいこと始めるのになんで年の関係があるんだよ。本人のやる気だけでしょ」って啖呵切って帰ってきたんです。あの時に自分が本気でこの仕事をやりたいんだなって気づいたんです。それから本格的になりましたね。
川井: なるほど。そりゃ、燃えますね。
古庄: でもその次の2社目受かってしまって(笑) なんかちょっと拍子抜けしましたけどね。
川井: あら、ソフトハウスですか?
古庄: そうです。富士通系のソフトハウスでした。
川井: どんなプログラムを作られていたんですか?
古庄: 入社前には、Cobolの本をドサって渡されていて、読んでみても全然面白くないなあって思っていたんですが、入ってみたらC言語での開発でした。今から考えると1日で組めるよねってものに1ヶ月くらいかけてました。OJTというやつですね。驚いたのは、入社した日に手続きを済ませると、ノートパソコンを渡され、歩いて5分くらいの現場に連れていかれて、「さあ、ここが君の席だから、はいこれ作って。じゃあ!」って言われたことです(笑)
川井: よく、きたみりゅうじさんの本に出てくるような話ですね。
古庄: まさにあんな感じです。2人先輩がいて、分からない環境があったのはメリットだったんですが、そんな状態だったのに私のスキルシートには「経験7年」と書いてあったのがデメリット(笑) 取材でこんなこと言っていいのかわかりませんが・・・
川井: 全然、問題ないですよ。事実なんですから(笑) これもまたきたみさんの世界だ。でも「あれー」って感じですよね。
古庄: ありえないですよ。「あんまり素人みたいな質問は小声でね」とか言われました。もうどきどきでしたね。
川井: それをよく乗り越えましたね。で、その会社には何年くらいいたんですか?
古庄: 28歳までなんで、3年間ですかね。そのうち2年間面倒を見てくれた上司がとてもよくて、今でも彼の影響は大きいですね。
川井: へえ、どんなマネジメントだったんですか?
古庄: 基本、放置なんですよ。ただ、何かがあったときに絶対にフォローしてくるんです。だから頑張らなきゃいけないんだけど、不安はなかったんです。出来てないところはいろいろあって、クリックって何?みたいなことも言ってる人だったんですが、底力をすごく持っている方でした。他の人が反対しないような設計についても、いろんな視点でアドバイスをしてくれるんです。1歩下がったところで背中をがっちりガードしてくれる。今でもやっぱりああなりたいっていう理想の上司像ですね。
川井: なるほど。いい上司ですね。
古庄: あと、「お前は絶対に独立するだろうから」って言って、クライアントとの打ち合わせから受注、設計、コーディング、プロジェクト管理、テスト、運用まで1通りのこと全部を2年で経験させてくれたんですよ。その経験が今でも生きてますね。
川井: それは貴重ですね。
古庄: そうですね、すごかったです。今でもああいう風になりたいですね。そのソフトハウスで一番基礎になる知識が身についたのかなって思います。いかに修羅場をくぐるかも(笑)
川井: さきほどプロ意識っていうことをおっしゃってましたが、やはりそういう体験を通じて醸成されてきたんですか?
古庄: その頃は、がむしゃらに仕事をしてましたが、お金をもらっている以上、若いも年くってるのもないよねって思っていました。もちろん同じクオリティが出せるかどうかの問題はありますが、できる範囲内において、自分の最大限を出さないといけないと思ってましたね。やれといわれたからには、やってみようという感覚が強かったんだと思います。
川井: その後、すぐに独立されたんですか?
古庄: その上司が異動になって、次の上司がまったくそりがあわなかったんです。悩むよりも会社を辞めちゃえばいいんだって思って、半年間、独立の準備をしてそのまま辞めてしまいました。前からなんとなく独立に興味はあったので、調べていたんですが、前の上司の下で一緒に仕事がしたかったので独立する気がなかったんですけどね。次の上司と出会って、「もう嫌だ!」って思いましたね。
川井: なるほど。個人事業主の魅力ってどういうところだったんですか?
古庄: 簡単にいうと、自分のしたいことができるってことが一番強いですね。前の上司みたいに自分のことを考えて仕事を振ってくれれば確実にキャリアアップできることもありますが、普通は振られた仕事が自分のキャリアシートに足せるのか疑問になることが多いんですよ。そう考えたときに何も面白みが無い。こんなことしたいなって思って提案しても無下に却下されることが多いんです。今なら成長が止まってしまいそうで怖いって感覚だったと思うんですが、当時はそれに腹が立ちましたね。あともう1つは、「売り」を作れるっていうことです。会社では結局やれって言われたことばかりしていたので、自分が独立するって考えたときに「売り」がないってことに気がついたんです。手持ちに武器がないと売れないじゃないですか。そういう「売り」を作れるという意味でも独立したいなって思いましたね。
川井: それでどの辺りにたどり着いたんですか?
古庄: LinuxメインのUnix系で、Web系中心、言語は1通り使えるという感じですかね。当時はCGIをCで書いていて、なかなかそういう本がなかったので、足を棒にしてやっと見つけた1冊を舐めるように見てとにかく作ってました。そのときのソースが今でも残っているんですが、見てみると、「殺しててしまいたい」って気分になりますね(笑)
川井: そうですか。それで独立当事は相当苦労されたんですよね?
古庄: そうですね。メールで100通くらい営業をかけたりもしたんですが、1通も戻ってこなかったりもありました。知り合いのつてでぼちぼち仕事が入ってきたんでなんとかはなったんですが、会社でいう営業さんには随分助けられていたんだなあと痛感しました。予想はしていたんですが、こればかりはやってみないと実感がわかないですね。
川井: 会社だと営業と開発がよくぶつかりますもんね。
古庄: そうですね。本来はお互いに相手の立場を分かって喧嘩できればいいんですけどね。今、営業さんのお話を聞くと、自分がやってきて分かっているので話ができますね。だから技術の人もちょっと営業をやってみるといいんじゃないかと思いますし、営業の方も少しでいいから技術のことをわかったらって思いますね。それが一番円満にいく方法じゃないでしょうか。
川井: なるほど。そうですよね。そうこうしてもう10年くらいですか?
古庄: そうですね、独立したのが99年の元旦でしたから8年目ですね。これだけはしっかり日付を覚えてるんですよ。独立した年の99年の後半は2000年問題の電話がじゃんじゃんなって逃げてましたね。これもよく覚えてます(笑)
川井: その間、いろんなピックスがあったんですよね?
古庄: いろんな方にお会いしてお話して、いい話も悪い話もありましたよ。結構すったもんだして感謝されたり恨まれたりもしてますよ。その中で「技術者」っていうのが「仕事」としての部分から「生き方」に変わってきた気がします。コンピュータってドライじゃないですか。でもプログラムとか開発の現場っていうのはものすごくウェットなんですよね。ものすごく人間くさくて泥臭くって。そこを見なきゃいけないともいえるし、見ることもできるともいえるし、そこの部分の面白さとか辛さとか大変さが自分の中に腑に落ちてきてるんです。よくも悪くも仕事として割り切ってという感覚が無くなってきてますね。「技術」という仕事は、やるとかやらない、辞めるとか辞めないとかいう概念でなくて、もう血肉なので、これはもう自分がずっとやっていくものなんだろうなって思っていますね。
川井: いいお話ですね。でも「血肉」という表現は初めてお聞きしたので、正直、びっくりです。でもある意味幸せなことですよね?
古庄: ですね。お食事をいただくのと一緒みたいなものですから。仕事に関しては自分にとってすごく向いているものを見つけることができたんで本当に幸せだったと思います。
川井: 最近というか、現在はどんなことに取り組んでいるのですか?
古庄: 開発の仕事は、モバイルのECサイトとかをやってますね。技術的な基盤になっているのは、PHPなんですが、他言語にも転換したいフレームワークがあるのでそのフレームワークをいいい加減整頓したいなとか。フレームワークっていわゆるお便利なクラス群を作ればいいというものではなくて、こんな思想があって、こんな考え方があって、こんな時にこんな風に使うと楽なのはこんな基礎知識があってねとかいういわゆる教育文書やガイダンスがセットになって初めて生きるものなのかなと思うと、結局そこに教育文書が絡んできてしまうのかなって思うんです。そういったものを書いてみたりとかですね。
川井: その他に格子組とかの活動もあるんですよね?
古庄: そうですね、月に1度くらいのペースでのんびりしていますね。お勉強は「寺子屋」という名前でやっているのをもう少しオープンにやってもいいのかなって考えたりしてますね。
川井: 何人くらいでやってらっしゃるんですか?
古庄: メーリングリストでは20名くらいかな。すでに人数を把握していないんですが(笑) 実際に参加しているのは5人〜15人くらいですね。わりと今までなんとなく集まってなんとなく話をしてというのが多かったんですが、今後は堅苦しくない程度にフォーマットを整えて動かしたいですね。それと彼らが所属している会社の跨ぐ違うレイヤーの相互援助団体として寺子屋があって、相談ごとができる場の一つとして機能すると面白いのかなってことも考えてますね。やっぱりコミュニケーションが希薄になりやすい部分があるので、そこがなんとかできるといいですね。
川井: そういう寺子屋みたいな団体を作った思いとか経緯はどんなことだったんですか?
古庄: 寺子屋はほとんど自然にできましたね。現場で話をすることが多いんですが、その中で興味を持ってくれる子っているんですよ。私、教え方がねちっこい方で基礎から教えちゃうから、人によっては、「それいいですから、とにかく答えを教えてください」って人いるんですけど、私、それを聞いた瞬間になえちゃうんですよ(笑) 反対に、基礎から積み上げて教えてあげたときにそれに興味を持つ子って1現場に1人、2人はいるんですよ。
川井: なるほど、確かにいそうですね。
古庄: ある現場でありえないことなんですが、全員が興味を持っちゃったってことがあって、説明を始めると、みんなが自分の仕事を切りのいいところで切って聞きにくるみたいな状態になったんですね。でも常駐派遣の現場で出入りが結構あったので、このままじゃもったいないよねってことでメーリングリストを作ったのが元々の寺子屋の母体なんです。あとはその寺子屋の参加メンバーが別の現場で興味を持っていそうな人に声をかけて、寺子屋が肥えていくという感じですね。で、寺子屋でビジネスできるシーンではビジネスしようかってことでビジネスモデルを作ったのが格子組だったんですよ。
川井: 案件を回しあったりとかそういうことですよね?
古庄: はい、そうです。
川井: 格子組は、何人くらいの組織なんですか?
古庄: 社員は私1人で、IC(Independent Contractor)は10人いるかいないかくらいですかね。仕事が出てきたときに「じゃあ、よろしく」ってくらいのゆるい関係で繋がっているんで。でも多分、それくらいのゆるさで繋がってるのがいいんじゃないかなって。よその仕事するならうちに来るなとか言ってもしょうがないと思うんですよね。よそに魅力があればよそにいくだろうし、うちに魅力があれば帰ってくるだろうし、そこにとやかく言ってもしょうがいないですからね。
川井: その時、どちらがベストかわからないですからね。
古庄: ゆるく繋がってお互いによっかかり過ぎない。お互いに支えあってるけどちゃんと自分で立っている状態っていうのが一番健全なんじゃないかなって。よく「半分よっかかる」って言いますけど、よっかかることもできるし、立とうと思えば、半分で立てるってのがいいんじゃないですかね。そういう意味で、いい関係性で繋がることができるのがいいのかなって。あんまりがっぷり組んじゃって親玉こけたら皆こけちゃうってのもそれはそれでお互いに不安じゃないですか。
川井: なるほど。今後もこの方向性で続けていく予定なんですよね?
古庄: そうですね。変わらないと思いますね。「格子組」は英語名称で「グリッドワークスギルド」といっていわゆる職人の寄合所って意味なんですね。なので、あくまでも自分の足で立てるように、でも自分の足だけで立つのも大変なんで助けられるところは助けようよと考えています。
川井: いいですね。非常にいい関係性なんじゃないかと思います。
古庄: 最近の方は、人との「距離」のとり方が下手になっていて、一方では完全に寄せ付けない、はねつけて孤立しちゃうパターンがあるかと思ってて、もう一方では、相手のことも見ずにべたーっとくっついちゃうように「距離感」が麻痺している方が多くて、その両極端が多くて、いい感じの距離っていうこの距離感を持てる人が非常に少なくなってるんですよ。その距離感がもうちょっとあってもいいんじゃないのかなってのがありますね。
川井: 答えが無い質問だとは思っているんですが、いろんな方にご意見を聞いているテーマがありまして・・・エンジニアって匠の世界の職人で特別な仕事だっていう意見もあるんですが、エンジニアだとしても会社組織に属している以上、それ以前にビジネスマンだろとも言うんですが、親方はどう思われますか?
古庄: 「お金を稼ぐ人」という意味では、一緒だと思ってますね。ピンに近い形で動くのが好みなのか、集団が好みなのかの違いだけだと思います。
川井: 本当はピンで動きたいけど、不安だし自信がないしで集団にいて悶々として過ごしていたりするケースがあるじゃないですか。それでそのまま40歳くらいになると集団を束ねるスタンスを求められて、でもそれはできないししたくもないという感じで居場所がなくなったりいづらくなったりする人って結構、いますよね? そういう人ってどうしたら救えるのかなってことが結構大きなテーマなんですよ。
古庄: ああ、確かによく聞きますね。でも私、それについては結構きついスタンスなんですよ。よくよく聞いてみると、不満はたくさんあるんですけど、じゃあ、その不満に対して何かしてるのって聞くと何もしてないんですよね。もっと世間がこうなればいいのに、もっと会社がこうなればいいのに、もっと周りがこうなればいいのにって言うんですが、「自分は?」って聞くと何もないんですよね。
川井: そうなんですよ・・・
古庄: 本当の意味で一人で仕事をするのって無理だと思うんです。これは私の持論なんですが、プログラマって「魔法使い」だと思っているんです。厳密にいうと「魔術師」ですね。正確に言うといわゆる「西洋魔術師」ってジャンルの人間なんです。「西洋魔術師」っていうのはちゃんと定義があって、「意思の力を以って変化を起こす技術」なんです。我々はプログラムという力を使って変化を起こす、物をマテリアライズ化する技術を持っているじゃないですか。問題なのは、そのエネルギー源である意思の力って自分のものじゃなくてお客さんのものなんですよ。お客さんの意思の力を具現化してあげるのがプログラマの仕事じゃないですか。だとしたら、お客さんとコミュニケーションが取れないとしたら、それって片手落ちなんでありえないんですよ。
川井: それはそうですね。ありえないです。
古庄: 20人規模のプロジェクトじゃなくて、2,3人のプロジェクトで仕事をする雰囲気の違いは確かに分かって、その好みがあるのは分かるんですよ。それで直接お客さんと意思疎通しながら、直接作ったものをお客さんに提供したいって理由でピンでやりたいっていうのはありだと思うんです。ただ、だとしたら一番初めにしなきゃいけないのは、まず全部ピンで出来るスキルを持って、それがピンできることをアピールしてそれができるためのお客さんを見つけることでしょって思いますね。でも大体、ピンでやりたいって方はやらないんですよね。「そういうの苦手なんです」とか言ってね。じゃあ、やめればって(笑)
川井: そうなんですよね、営業的なこととか自分には向かないからといってまったく手をつけなかったりしますよね。
古庄: かれらは「苦手」なんじゃなくて、ただ単に「嫌い」なんですよ。彼らは嘘をつくような営業のごく一部の胡散くささをやり玉にあげてそう言ってるんだと思うんですけどね。営業って商いだと思うんですよ。技術はゼロだったものを1にするもので、商いは、1を100にするものだと思うんです。技術力なんかいくらあっても腐っていくものでしかなくて、それを使ってくれるところに持って行って始めて価値が生まれるじゃないですか。それを考えると営業さんの力って非常に大きいといえると思うんですよ。それを分かれよって(笑) よいプログラムってどんなプログラムなのかっていう話の時に、そういう営業を見ていない技術者さんって、技術的にこれだったらより早くとか、よりメモリ効率がってところばっかりを見てしまって、「使う方にとってよい」というシーンをまったく想像してなかったりするんです。「それ使いにくいでしょ」って話をすると、「いや、これが一番理路整然として綺麗じゃないですか」って言ってきて、「いや、お客さん分かりにくいから」って話になって齟齬が出ちゃうのは、彼らがそこで満足してしまっている、でもその彼らの成果を商人の営業さんがお金にしてくれていて、それで食ってるということを忘れちゃってるからなんですよね。
川井: でも、営業の方もそうでしょう。営業は1から100を作るとしても、技術者が1を生み出してくれるから、100を作れるっていうのを忘れているんですよね。
古庄: そう、お互いへの配慮を忘れてしまったときにやっぱりそこにあまりよくないものが生まれてくるんでしょうね。私は技術者サイドの人間なので、技術者のことを思ってきつく言ってしまうんですけどね。40歳くらいでぐじぐじ言ってる人間を見たら、「いいから、あなた冷静に全体を見てごらん」って言ってしまいますね。いいものを作れば売れると思っているのが大きな間違いなんですよ。いいもの作ったって売れないんですよ。売れるのは、売れるものを作るから売れるんですから。
川井: なるほど、大変、興味深いお話でしたね。エンドユーザーから遠い下請けで仕事を始めちゃうとそういうことに気がつかないケースもありますよね。そういう意味でもこの業界の多重構造は問題だと思うんですよね。勿論、鹿島のようなスーパーゼネコンがいないと100階建ての高層ビルが建たないようにスーパーSIerがないと大きなシステムができないでしょうけどね。
古庄: スーパーSIerの方にも困った人が多かったりもするんですけどね(笑) プロと同じレベルで仕事ができなくてもいいんでせめてプロと会話できるくらいではいてほしいですね。
川井: なるほど、プロと会話できるくらいですね。それはその通りですよね。じゃないとビルが倒れちゃう(笑)
川井: 親方、今後の方向性についてお聞かせください。どういう「生き方」をされるんですか?
古庄: どうするんですかね(笑) ここ最近すごく思っているのが、いろいろトラブルとかも見てきていて、もっとここがこうなればいいのになっていうその技術や仕事の回し方、接し方があるんじゃないかなと思っているんです。いわゆる筋のよくないお客さんとかトラブルを起こしたやっかいなお客さんとかでも、彼らもトラブルを起こしたくて起こしているのではなくて、ただ彼らは彼らなりにどうしていいのか分からないだけなんですよね。分からないし、その思いのたけのぶつけ方さえも分からないってそれだけなんです。それでどうしていいか本当に分からなくなったときに「Let's battle!」っていうシーンが多いんですよ。なので、それもひっくるめて、お客さんとの折衝なんかまで考えて、「技術者としてどう生き抜いていけばいいのか」というのがもう少しで整理できそうなんですよ。それを整理して実践できたりしたら楽しいのかなって思っています。
川井: ほう、そうなんですね。
古庄: 私、基本的に「生涯現役」っていういのが理想なのでね。
川井: もうちょっとで整理できそうってのがすごいですね。
古庄: いろんな方がこういうことをしたいっていうのは分かるんですよ。でもあるところで壮絶に無茶を言ってきたりするんですよね。違う立場の人にはやっぱり違う立場の人の特殊な事情があったり、その背景をもうちょっときちんと見据えることができたら、何かもうちょっと手が打てるんじゃないかなっていう部分って少なからずあるんですよ。それを見据えた上で、明らかにこれは違うよってことであれば、そう言ってあげたい。反対に自分が間違っていたら、それは違うんじゃないって言ってもらえる度量もほしいですね。
川井: よくシステムって建築に似ているとも言われるじゃないですか。でも大きな違いは建築の世界で施主と現場でこれほどまでにトラブルになるって話はあまり聞かないですよね。それって見積もりロジックが標準化されているか否かの違いだと思うんですが、どう思われますか?
古庄: 確かにそうですね。建築は見積もりに物理的限界がありますが、システムは10人月のところに20人月突っ込めといわれちゃう世界なんですよね。
川井: なるほど。
古庄: Webの世界でいうと一般的には何ページあるかで見積もるんですが、うちはちょっと特殊で1ラインという考え方でもう少し細かく見れるようにしているんです。Webの一番小さな単位って、入力・確認・完了とか、検索するとリストが表示されるとか結局、IN−OUTっていうのが1本の線になってることって多いじゃないですか。これをもって1ラインってことにして、このサイトは何ラインあるのってライン数で見ると割と画面数よりも定量化できるんですよ。で、そのライン数に単純な数字の掛け算をして、大体このくらいのコストがかかるから幾らくらいじゃないですかっていう話をすると割とずれなかったりしますね。ライン数ではかるとサイトの規模感も見えたりするので、ここ1年くらいはその考え方を使っていますね。
川井: なるほど、こうやって独自に単位ができるといいですね。
古庄: ですね。大体うちのパターンにならすと設計まで全部込みのときに1人あたま1週間で1.5ラインですね。そうやってずれを修正するのと、最終体にお客さんのやりたいことと予算との兼ね合いになっちゃうじゃないですか。その時にこの機能を削るけど、この機能を入れると工数としてはトレードオフになるからこっちにする?って提案できるとダメってつっぱねるよりは会話がしやすいじゃないですか。お客さんにしてみれば、こんなものが欲しいっていうもやもやした、でも意外とはっきりした思いがあって、それに対して「いや出来ません」って上からはっきり突っぱねちゃうとお客さんも気分が悪いじゃないですか。そこに対して、「じゃあ、こういうやり口がありますけど、どうですか」って代替案を提示するのは我々の仕事だと思うんですよね。それができないのは我々の怠慢だと思っています。せめて取り替えられるメニューの1つや2つは用意しておきたいですね。それにはやっぱり見積もりが定量化されてないとね。トレードオフっていうのも結構難しいですからね。建築がうまくいきやすいのは、そのあたりがの数値がはっきりしているからじゃないですかね。
川井: 寺子屋を運営されている親方ですから、かなり若手への思いは強いと思うんですが、若手のエンジニアへのアドバイスをお願いします。
古庄: とりあえず、「いいお師匠さん見つけて学べ」って感じですかね(笑)
川井: 誰か1人を決めてということですか?
古庄: うーん、わたしがお師匠さんを持たずに育っているので、なんともいえないんですが、最低限、誰かに聞ける環境はあった方がいいですよね。あとやっぱり日々の業務に追われてはダメですね。いくら日々の業務に追われてもにっこり笑って1時間学ぶことが大事ですね。
川井: これは大事だと思いますね。なかなかできないかもしれないけど、エンジニアに限らず誰にとっても必要なことですからね。
古庄: そうなんです。でも1人でこれをやってると、1時間の捻出が睡眠時間からになっちゃって可哀想なんですよね。うちの下についた子には、最初の2週間遅延するけれど、最後の2週間で取り返すからね、最初の2週間はそのために勉強するんだよって言いますね。
川井: そうすると業務の中で調整できますもんね。
古庄: あとはやっぱり視野を広く持つことですかね。私の知ってる限り、技術で伸びてる人ってそれ以外のかなり個性的な趣味を持ってますね。バンドやってたり、キャンプしてたり、クラブで踊ったりと技術とは凡そ関係のないいろいろなことをしている人が伸びていますね。
川井: なるほど、違う視点で見れるようになるってことですかね。 
古庄: そうですね。私なんかもクラブに行って踊ったり、キャンプしたりもしてますね。
川井: 親方、まさかこの着物で?
古庄: さすがにそれは(笑) Tシャツと短パンでいってますよ。
川井: それもすごいですね(笑) ちなみにそれ以外に親方の趣味みたいなものはあるんですか?
古庄: テーブルトーク(TRPG)っていうやつなんですけど、これが一番大きな趣味ですかね。
川井: TRPGですか? どんなことをするんですか?
古庄: いわゆるロールプレイングを人間だけでやるんですよ。本気でがっつりやるといいSEの勉強になりますよ。コミュニケーションをずっとするゲームなんで、人とどうコミュニケーションをしていったらいいのか覚えられるんです。これも主催し始めてもう9年、10年になりますかね。私の場合、イベントの主催も趣味なんですよ(笑)
川井: なるほど幅広いですね。
古庄: 興味のあるものにはふらふら手を出しちゃうんですよ。人生1回じゃないですか。やりたいことやらなくちゃ(笑) でもやってる全部が自分の中では1本に結びついちゃいますね。ゲームも技術も、そして占いやイベントを開催することも全部自分の中では1つに混ざりあって、それをいろいろな人と接していろんな距離感でやっていってるんでしょうね。距離感が適切であればうまくいくし、距離感を見誤ると見誤った分だけ、何かやっかいなことが起きるんですよ。
川井: なるほど、いいお話をたくさんお聞きできました。本日は本当にありがとうございました。
古庄: いえいえ、こちらこそ、ありがとうございました。

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