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第31回 天野龍司 氏 |株式会社RYUS このエントリーを含むはてなブックマーク
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今回は、Webエンジニア武勇伝第25回に登場頂いた山本勇氏の紹介で、株式会社RYUSの代表取締役・天野龍司さんにお話をお聞きしました。天野さんは古くからXOOPSに携わり、XOOP Cubeを用いたビジネスおよび著作本を出されるなど、その分野では大変ご活躍されています。今回は天野さんに、XOOPSに至るまでの非常に面白い経験から、XOOPSを軸にビジネスを展開される経緯と、今後の展望についてじっくりお話を伺いました。


天野龍司 氏

  • ◆1969年生まれ、愛知県三河地方出身
  • ◆ゲームをきっかけにコンピュータに興味を持ち、中学生の頃からプログラミングを始める。
  • ◆工業高校卒業後、地元の制御系システム開発の会社に就職。
  • ◆紆余曲折を経て、地元ポータルサイトの制作・運用からCMSの存在を知り、創世記のXOOPSを本格的にサイトへ導入。
  • ◆地元の起業家養成塾にて、ポータルサイトの実績から仕事の案件が入り、事業立ち上げへ。XOOPSの著書発刊をきっかけに、事業拡大し法人化。


川井: 宜しくお願いいたします。
天野: はい、宜しくお願いいたします。
川井: ではまず、パソコンとの出会いをお聞かせください。当時は「コンピュータ」って言ったほうが正しいのかもしれないですけど、最初はいつぐらいに、どういったものに触れられたんでしょうか。
天野: Webエンジニア武勇伝 天野龍司氏一番最初っていうと中学1年ぐらいの時かな。ゲームセンターに行き始めたのがその頃なんですが、「コンピュータって面白そうだ」というのがあって、最初にNHKのマイコン入門だったか、あれを見てBASICなんかを覚えました。
川井: なるほど。ちなみに今おいくつですか?
天野: 39歳です。
川井: じゃあほとんど私と変わらないですね。昭和44年生まれですか?
天野: はい、44年生まれです。
川井: 私は早生まれの昭和45年生まれなので、同じ学年だと思います。同じ年代ですね(笑)
天野: そんな感じですね(笑)
川井: 先ほどのNHKマイコン入門というテレビ番組ですけど、人によっては見ること自体なかなか難しいんじゃないかと思うんですけども、きっかけなどあったんですか?
天野: 多分ゲームをやっているうちに、自分でも作りたくなったんだと思うんですよね。それでコンピュータっていうものを覚えてみようと思ったんだと思います。今では何で(プログラミングを始めようと)思ったのか、正直なところはっきり覚えてないですね。
川井: 自宅には既にコンピュータはあったんですか?
天野: その時は無かったです。あの頃だと店頭で触れることが多かったので、電器屋さんとか行っては置いてあるやつでちょっとプログラミングしてみたりだとか(笑)
川井: なるほど(笑)本も横にあったりしましたもんね。
天野: そうですね。
川井: じゃあそれ(本に載っているプログラムコード)を打ち込んでみたりだとか。結構皆さん同じところからスタートしてますね。
天野: そうですか。
川井: 結構伺うとそういうケースが多いですね。で、これが中学生ぐらいの時だったんですね。
天野: そうです。中1ぐらいですね。で、その時はあまりやらなくて、ちゃんとまともにプログラムを組んだのは高校にあがってからですね。
川井: 今度は自宅でパソコンを買われて・・・?
天野: Webエンジニア武勇伝 天野龍司氏工業高校で電気科に入ったんですけど、私が入った年あたりに関数電卓からポケコンに変わったんですよ。で、ポケコンで一応BASICが組めるから、それでちょっとやり始めたんですね。授業でもポケコンのBASICの授業があったりしたので、コマンドを見ながら「こんなことが出来るんだ」なんて言ったりして、簡単なゲームを作ってみたりしました。昔よくあった、タイピング系のものですとか、あんなものを一行しかないディスプレイでやっと作って・・・それが最初ですね。
川井: なるほど、ポケコンですね。周りの方もそういう方が多かったんですか?
天野: クラスにもう一人だけいたんですよ。で、二人で色々ゲームを作ったりしてましたね。
川井: あまり運動とか他の趣味は無くて、完全にコンピュータの方に集中してたんですか?
天野: ええ、運動は全然駄目です(笑)
川井: その当時のインドアな趣味というと、パソコンかアニメですね(笑)
天野: そうですね、私は完全にアニオタだったので(笑)
川井: そうですか(笑)当時はメジャーなものだとガンダム全盛時代ですよね?
天野: そうです。ガンダムの後にストーリー系のアニメが結構出てきて・・・マクロスとか、バイファムとか、ボトムズとか・・・あの辺にどんどんはまっていったほうですね。
川井: なるほど。結構そういうヒーローものとかロボットものが多かったですか?
天野: そうですね、結構多かったです。そういうストーリーものが増えてきて。
川井: ガンダムからですよね。独立戦争みたいな、善悪じゃないものが増えてきたのって。
天野: そういうものが新鮮ではまっていったという感じですね(笑)
川井: じゃあ、アニメディアとか見てたんですか?
天野: はい、買ってました(笑)
川井: 懐かしいですね。
天野: Webエンジニア武勇伝 天野龍司氏中学生の時はアニメと、あとはゲームセンターに行くみたいな(笑)お小遣いもらうと、その日のうちにゲームセンターで使ってきちゃうみたいな感じでした。
川井: 中学の時はゼビウス全盛ですよね。あとはギャラガとか。
天野: ゼビウスで完全にはまりましたね(笑)ゼビウスをやって、「自分でもゲームを作ってみたい」と思うようになりました。
川井: 当時はボタンが2個あるっていう初めての発想にびっくりしましたよね。
天野: あと画面が少し3Dっぽいのも斬新でしたね。
川井: 隠しキャラが結構出てくるのも斬新でした。
天野: 本当にはまりましたねー。あの頃ゼビウスをやって、いつか「完全に3Dにしてみたいな」と思ったんですよ(笑)そしたら、その何年か後に3D版が出たじゃないですか。「ああ、やっぱり同じこと考えてる人いたんだ!」と思いました(笑)

川井: 工業高校に行かれたのは、その道に進もうと思われてですか?
天野: そうですね。プログラムで食っていきたいなと思いまして。
川井: 当時って「プログラミングを職業にする」っていうイメージがあまり無かったと思うんですけど、そういうきっかけがあったんですか?
天野: Webエンジニア武勇伝 天野龍司氏イメージといいますか、ゲームを作ってそれでメシを食っていこうと思っていたのと、あと実家があまり豊かな方ではなかったので、早く働きに出たいと思ってたので、普通科ではなく工業科に行って働ける道を探そうという気持ちがありました。
川井: そうすると、高校を出たら就職しようと思っていたんですね。最初はどんな仕事に就かれたんですか?
天野: 本当はゲーム業界に行きたくて面接に行ったんですが、不採用でした。そこで、愛知県の自宅から車で30分ぐらいのところにある、車の工場ラインで使う制御機の会社に就職しました。
川井: 随分違う方に行きましたね。
天野: そうですね。最初ゲーム業界に入れなかった時に、就職をあきらめて専門学校に行こうかと考えてたんですけど、そうは言っても仕事しないとまずいといのがあって・・・たまたま同じ高校の1年上の先輩がその会社にいるのを聞いて、話を聞きにいってそのまま就職を決めたんです。
川井: エンジニアとしてですよね。では制御系のシステムも作られたんですよね。
天野: そうですね。Z80のワンボードを使ってアセンブラでシステムを組んだり、リレー制御もやりました。6年近くいましたね。やめる1〜2年ぐらい前から、やっとMS-DOS上のBASICだとか、Cが出てきましたね。
川井: なるほど。そうすると、プログラミングスキルとしては基礎的・中枢的なところを最初に学ばれて、逆に良かったのかもしれないですね。
天野: そうですね。Cは高校の時から本見ながら勉強してたんですけど、仕事でやれた時は嬉しかったですね。
川井: 会社をお辞めになったのはどんなきっかけだったんですか?
天野: Webエンジニア武勇伝 天野龍司氏仕事が段々嫌になってきて、ちょこちょこ会社を休むようになりまして(苦笑)。社長と仲が良くて、「独立したいんだ」という話をしてたんです。技術者って、出来る人ほど短時間で色々出来るじゃないですか。そうすると、残業手当が少なくなってどんどん給料が安くなってしまうんですが、それが凄く嫌だったんです。同期の社員が5人いたんですけど、その中で「俺、絶対一番仕事してるよね」って思ってたんですが、それなのに一番給料安いんだっていうので段々やる気がなくなって、会社を休みがちになりました。そんな時、社長が「独立するか?」と言ってくれて、二つ返事で「独立する」と答えました(笑)で、しばらく外注みたいな形でやっていました。
川井: 個人事業主という形ですね。その頃24〜5歳ですよね。結構度胸がありましたね。
天野: 前からやってみたかったんですよね。18歳で就職した時も、そういう気持ちはどこかにありましたね。
川井: ではその会社から仕事を請け負ってやられていたんですね。
天野: でも、その仕事も、従業員の頃にコーディングしたものの保守の仕事はきたんですが、新規案件はまったく来なくて、あっという間にメシが食えなくなりました(笑)まだその当時は、自分で営業するという発想がまったくなかったので。結局半年ぐらいで辞めてしまいました。

川井: まだこれは愛知県にいらっしゃる頃ですよね。
天野: そうですね。その後に就職した先がタクシー会社でした。
川井: えーっ?!そうだったんですか。ちょうどその頃というと、バブルが弾けたころですよね。
天野: そうですね。もう他のドライバーの話を聞くと、「儲からない」っていう話ばかりでしたね。
川井: 不景気になると、タクシーの運転手が増えるっていいますよね。
天野: そうですね。あと自分で会社やっててこけちゃって、タクシードライバーになるっていう人も結構いましたね。
川井: 実際やってみると結構大変ですよね?
天野: Webエンジニア武勇伝 天野龍司氏大変でしたけど、歩合で稼げることが楽しい、と思えました。それまでは時間で働いていくら、という話だったのが、どこで待つかとか、お客さんがいない時間帯を見計らって食事を摂ると、時間のロスが少ないだとか、工夫次第で色々稼げましたからね。
川井: なるほど。これは凄いですね。エンジニアが他業種の勤務体系と比較するってなかなか無いですからね。
天野: Webエンジニア武勇伝 天野龍司氏あの時タクシー業界に行かなかったら、今こういうことをやってないですね。基本的に人と話すのが苦手で、それでコンピュータのほうに行ったというのがあったので・・・タクシーの運転手になる時は、「人と話すことになる」っていう事が頭から抜けてたんです。車を走らせてお金を貰えばいいんだ、とだけ思ってて、「お客さんと話すことになる」ということに全く気付きませんでしたね。実際に仕事をし始めたら、お客さんに話しかけられるじゃないですか。で、応対しているうちに「あれ? 俺意外と話せるな」と気付いたんです(笑)それまでは人と話すなんて全く出来ないと思ってたんですが、完全にそれが思い込みだったんですよね。タクシーの運転手になったからこそ気付けました。
川井: それは大きいことですね。人と話すのが苦手だと思っているエンジニアにこれを伝えたら面白いですね(笑)
天野: まず人と話す機会を何かで持つのって、いいと思いますね。
川井: なるほど。それは凄く勇気付けられる話ですね。話せない人はまず相手の目が見られないですよね。タクシーの運転手さんはお客さんの目を見なくてもいいから、それが話す訓練になるかもしれないですね。
天野: 後ろからなので目を気にしなくていいですからね。
川井: コミュニケーションが苦手というと、まず目のやり場とか、目線の置き場が分からないみたいなんですよ。それでこっちが遠慮して見ないようにすると、すれ違っても挨拶しなかったり(笑)それが、タクシー運転手として後ろから目線を気にせず話せて、克服できたっていうのは大きいんじゃないですかね。
天野: そうですね。あの時はそれで話せるようになって、自分でも本当に驚きました。慣れてくると、結構こっちから話しかけたりもしてましたしね。「今日は雨が降りそうですね」とか。
川井: なるほど(笑)私は大体いつも「日、いくらぐらい稼ぎますか?」とか「何Kmぐらい走ってるんですか?」とか聞きますね。人によって差があって面白いんです。
天野: 確かに凄い差があります。走らない人だと、1日に200Kmも走ってないでしょうけど、稼ぐ人だとその倍は走ってますよね。
川井: ずっと駅待ちしてる人だと200Kmも走ってなかったりしますよね。
天野: そうですね。私はそこらじゅう走り回って、無線拾いまくってました。
川井: タクシー運転手は何年ぐらいされたんですか?
天野: 丸1年ぐらいだったと思います。最後は体を壊しました(笑)とにかく稼ぎたかったので、稼げる時間帯の早朝と深夜がどうしても外せなくて、朝7時から夜中の3時〜4時までやってたんですね。さらに休日出勤もしてあまり休まずにいたら、段々アトピーがひどくなってきて、痒くて眠れないから更にひどくなるという状態で、最後は喘息になっちゃったんですね。もう駄目だ、と。このペースでは仕事が続けられないと思いました。
川井: それで辞めざるを得なくなったと。
天野: Webエンジニア武勇伝 天野龍司氏そうですね。その時思ったのが、タクシーで稼ごうと思ったら、とにかく朝から夜中まで走り続けないと稼げないということ。普通に寝て、普通のペースでいたらどうなるかというと、月々初任給程度しか稼げないんです。もちろんボーナス無しです。それでは続かないと思いまして、別の道を探そうと思って辞めました。
川井: そうすると、前の職場もそうですけど、稼ぎが結構大きなファクターになってるんですかね。
天野: 最初の会社は、「残業しないと稼げない、でも残業するほど仕事がない」というのがありましたね。実はその会社でも体調を崩したことがあって、それを機にあまり仕事を回してもらえなくなったんです。それまで毎月必ず60〜70時間は残業してたんですが、一度肺炎を患ってしまって、それ以降仕事を減らされて、あまり稼げなくなりました。「稼ぎたい」っていう気持ちはずっとありますね。たぶん子供の頃からだと思います。
川井: なるほど。次はどういう仕事をされたんですか?
天野: Webエンジニア武勇伝 天野龍司氏タクシー運転手を辞めた後は、ホストクラブです(笑)
川井: 凄いですね!(笑)このシリーズ初の経歴だと思います。
天野: 試しに水商売っていうのをやってみたくて行ったんです。でもホストクラブは散々でしたね(笑)全然客がつかなくて食えませんでしたよ。半年ぐらいで辞めちゃいましたね。
川井: 全然想像がつかない世界なんですけど、いい思いとか出来ないものなんですか?
天野: ただただ大変でしたね。基本的にお客さんは自分で捕まえてくるものですし、指名とかもらえると段々給料が良くなってくるんですけど、何も無いと段々給料も下がってきてしまうので・・・お客さん連れてこないと罰金!だとか(笑)
川井: なるほど。次も楽しみなんですけど(笑)、次はどこに行かれたんですか?
天野: そこを辞めるというか逃げたんですけど(笑)、父が新潟の方にいたのでそっちへ引っ越しました。元々父は新潟出身で、私が22〜3歳ぐらいの時に新潟に家を買って住んでたんですね。


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株式会社RYUS
会社社名 株式会社RYUS
http://ryus.co.jp/
設立 2006年7月
代表取締役 天野龍司
資本金 3,000,000円
所在地

〒101-0063
東京都千代田区神田淡路町2-10-6 オークプラザ3F

アクセス JR山手線 「秋葉原」駅 電気街口 徒歩6分
JR中央線 「御茶ノ水」駅 聖橋口 徒歩5分
地下鉄丸の内線 「淡路町」駅 A3出口 徒歩3分
地下鉄都営新宿線 「小川町」駅 A3出口 徒歩3分


実はこの方が紹介者→ Webエンジニア武勇伝 第25回 山本勇氏
次に紹介したのは→ ※現在オファー中!!乞うご期待!!
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