| 川井: | 大学在学中はどのような研究をやっていたのですか?
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| 手嶋: | マンマシンインターフェイスやロボットを動かす研究室に所属しており、それらの接点となるプログラムを書いていました。あとは簡単な言語解析もやっていましたね。
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| 川井: | 人口知能の領域に近い分野を集中的にやられていたんですね。
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| 手嶋: | はい。比較的やりたい研究は出来ていましたね。けれども大学の研究室という小さな実験場で「これが知能だ」 とか「けれどもこれは知的だ」と、やっているのはいいのですが、広がりがないんですね。それよりも、現実の世界の何万人もの人がコミュニケーションができる環境で何か試した方が、より知的なものが出来るのではないかと思っていました。
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| 川井: | なるほど、そういう時代だったんですね。アルバイトを始めたりしたのですか?
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| 手嶋: | そうですね。大学2年か3年生の時に、人工知能をやる上でコミュニケーションツールを知っておかないといけないと思っていて、人と機械が接する場面にいる事が重要だろうと考えて携帯ブラウザのトップシェアだったACCESSに、アルバイトで入れていただきました。そこで、会社の中におけるプログラマの役割や働き方は、ある程度見られたかなと思います。
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| 川井: | いわゆる職業プログラマのイメージを掴んだ感じですか?
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| 手嶋: | そうですね(笑) ACCESSはとても優れた会社で、携帯ブラウザのシェアは今でも世界一じゃないですかね。携帯電話って見た目は一緒なのですが、中のシステムは機種やバージョンによってばらばらなんですよ。例えばdocomoでモデルチェンジして、904から905に数字が一個上がるだけで、プレイステーションからWiiに変わったぐらい、アーキテクチャーの変化があるんです。また、「カメラを付けると、このチップじゃ足りないから、このグラフィックチップに変えなきゃいけない」というように、せっかくすり合わせたのに次々とハードが変わってしまうという苦労があったと思います。それをプログラムの技術でなんとか追い付かせて、ユーザーに同じ物を見せていくという大変な努力があるわけで、エンジニアから見ると相当泥臭い世界だったんです。
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| 川井: | じゃあキャリアが違うとすごく違う以上に、モデルが変わるだけでも全然違うって感じなんですね?
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| 手嶋: | 全然違いますね。あれはビックリしましたよ。
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| 川井: | それって不具合があるから変わっていくのか、それとも技術革新が速いのかどっちですか?
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| 手嶋: | 携帯自体が小さい物なのでチップが変わったりするんですよ。例えばチップがモトローラからARMに変わると、その上に乗っかっているOSも変わるし、僕がACCESSにいた当時は、OSをTron からsymbiam に変えるとか、Linuxが出たとか色々模索していた時期なので、本当に180度変わったりもしましたね。PCの場合は標準規格があって、グラフィックカード、CPU、メモリ、マーザボードとの組み合わせを変えれば問題ないのですが、携帯の場合は、ガチっとはめ込んで溶接するので、パーツの代替がきかないんです。なので、すごくいいチップが出たら、それにあわせて周りを全部対応させるという状態になってしまうんです。
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| 川井: | ひとつ革新的なものが出ると全部変わるということですよね。進歩の早かった時代ですが、ACCESS自体はどうだったのですか?
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| 手嶋: | ちょうど上場する直前のタイミングだったので、会社も上向きで人がドンドン増えていきましたね。だから、引き出しを開けたら、プレゼントで株券が1枚ぐらい入ってないかと思って見たりしたんですけど、残念ながら、何も入っていなかったですね(笑)
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| 川井: | (笑)
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| 手嶋: | 交通費精算の紙などは入っていたんですけどね(笑) 本当にACCESSにはよくして頂いて、現場のテストプログラムなどを書くだけではなくて、カンファレンスに出展するためのデモンストレーションといったちょっと派手な仕事もやらせて頂き、結構楽しくやっていました。
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| 川井: | なるほど。どれくらいの期間やられていたのですか?
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| 手嶋: | 週3、4回でしたが、2年間くらいじゃないですかね。
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| 川井: | 結構やっていたんですね。
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| 手嶋: | その時、大学の単位を大幅に落としたんですよ(笑) 確か大学3年生のテストが21個あったんですが、3勝18敗でしたね。
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| 川井: | あまり大学には行っていなかったんですか?
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| 手嶋: | 一応行っていましたよ。でも自分のしたい研究やバイトの仕事を授業中やっていましたね(笑)
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| 川井: | 他に大学時代に取り組んだことはあるんですか?
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| 手嶋: | 3年生の後半ぐらいに、起業したいという仲間2人に誘われて、仕事をもらいに、彼らと一緒にベンチャー企業を回らせてもらいました。
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| 川井: | 当時は、どんなベンチャー企業を回られていたんですか?
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| 手嶋: | 最初はジョブウェブですね。当時は王子にありまして、そのオフィスがインキュベーションオフィスっぽくなっていて、シェイクさんやビービットさんのようなベンチャー企業が沢山あったんです。そこに出入りしているうちに、その人達の交流会に連れて行ってもらうようになって、そこで他のベンチャー企業さんを紹介してもらっていました。ベンチャー企業だと色々な情報が飛び交うので、「あれやってみない?」とか「これ手伝ってよ」とか色々なお話を頂いて、仕事をさせてもらいましたね。
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| 川井: | そうだったんですね。理科大って学生ベンチャーの支援ってやっているんですか?
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| 手嶋: | 学校としての支援はあまり無かったですね。少なくとも僕の在学中は、ベンチャー企業を立ち上げるような人が余りいなかったんですよ。むしろ研究室からは良く思われていませんでしたね。
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| 川井: | 学生ベンチャーというとSFC(慶應大学 湘南藤沢キャンパス)か早稲田大学も支援し始めているみたいですね。
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| 手嶋: | でも僕らは適当にやらせてもらっていましたからね(笑)一番良かったのは大学があまり大変ではなかったって事ですかね。理科大って平均的に厳しくて、平均在学年数5年とか、20%ぐらいは留年当たり前とか言われていたんですが、経営工学科は、割とその中では緩い方で余裕がありましたね。
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| 川井: | 在学時にベンチャーを回られて、手嶋屋自体は卒業してから立ち上げたんですか?
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| 手嶋: | そうですね。大学在学中は最初その3人でやっていたんです。僕を誘ってくれた1人がCEOで、僕がCTOでした。このまま3人でやろうという話で進んでいたんですが、途中CEOが「上海に行く」と言い始めて、突然、いなくなっちゃったんです(笑)
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| 川井: | そんなことがあったんですね(笑)
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| 手嶋: | でも、お客さんから仕事を頂いているし、仕様書も見積書も出して、きちんとプログラミングもして納品して、とやっているうちに、だんだん僕が仕事を仕切る様になっていきました。実家が家業をやっていたので、仕事の段取りは知っていましたから、受けた仕事はなんとか回していたんです。今から就活しようにも、すでに就活時期も終わってしまっているし、お金を貯めてそのままベンチャーをやる事にしたんです。その時、ちょうどiアプリの本を書かせてもらったりして90万ぐらいの印税を頂いたり、受託開発をやらせて頂いたりして何とかお金を貯めて、翌年、卒業と同時に会社を創ったんです。
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| 川井: | 受託開発っていうのは、ホームページというよりかはWebシステムという感じですか?
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| 手嶋: | システム寄りでしたね。携帯のアプリがまだあまりなかったので、アプリを作るのがメインでした。当時のJavaのエンジニアってエンタープライズ級の高級取りは多くいましたけど、携帯アプリみたいな細かいものを安い値段で作れる人はいなかったので、うちみたいなベンチャーは重宝されていたんです。
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| 川井: | 確か、iアプリなんかのJavaは若干起動が遅いとか言われて時代でしたよね。
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| 手嶋: | そうですね。会社からの要望として、「10kbに収めなさい」「オブジェクト指向は使ってはいけません」、Javaなのに「Classは1個で作りなさい」などと言われましたが、僕らはそういうものが得意だったんです。逆にエンタープライズ寄りの人は、設計重視で入ってしまうので、オブジェクト指向でパンパンになっちゃうんですよね。
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