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第33回   永原篤 氏 |オープンソース・ワークショップ このエントリーを含むはてなブックマーク
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Webエンジニア武勇伝 第33回  永原篤 氏 | オープンソース・ワークショップ

今回は、武勇伝第31回にご登場頂いた株式会社RYUSの天野龍司氏からのご紹介で、オープンソース・ワークショップの永原篤さんにお話をお聞きしました。永原さんは、職業プログラマを経て、オープンソースをテーマに独立。実家がおでん屋というところで養った絶妙な商売感覚を持ち合わせた方でした。インタビューの間中、目が光輝いていた永原さん。本当に楽しく生き生きと開発しているのだと感じられました。取材は、東京都江東区東雲にある「キャナルコート」というデザイナーズエリアにあるリバーサイドのマンションのスカイラウンジをお借りしました。


永原篤 氏

  • ◆1968年 大阪府大阪市生まれ。
  • ◆おでん屋の息子として商売感覚を身につけつつ育つ。
  • ◆工業高校卒業後、喫茶店の雇われマスターやマクドナルドのアルバイトマネージャを経てソフト開発会社へ入社。
  • ◆ソフト開発会社で2回の転職を経験。
  • ◆「永原ひつじ」としてフリープログラムや壁紙用写真の配布などでインターネットと深く関わる。
  • ◆オープンソースで小さなことで良いから、世の中の誰かの役に立てるようにと事業立ち上げ。
  • ◆NetCommons やOpenPNE を中心にサイトの構築や追加開発事業を継続中。
  • ◆腰掛けのつもりで入ったコンピュータ業界からいまだ抜けられず。(^^)
パソコンとの出会いは?
川井: パソコンとの出会いはいつ頃ですか?
永原: Webエンジニア武勇伝 永原篤氏(永原ひつじ氏)パソコンとの出会いは早いんですけれども、高校もしくは中学の時のNECのPC8001ですとか、あの辺の8bit系が最初ですね。ゲームだけやっていました。
川井: なるほど。
永原: ちょっとゲームをしてみたい、パソコンって面白そうというところから入りましたね。そう思ってがんばってバイトをして中古を買いました。でも、すぐ飽きて結局触りませんでした(笑)
川井: そうなんですか(笑)じゃあ子供のころは機械とかほとんど興味なかったんですか?
永原: ありませんでしたね。今も趣味がロッククライミングとか滝登りで、コンピュータは嫌いなんです。
川井: そうですか(笑)
永原: 大阪の大和川っていう川の近くに住んでいたので、川原で釣りをするのが大好きでした。今も遊びは外ばっかりですね。コンピュータは、基本的には今も昔も嫌いです(笑)
川井: そうなんですね。珍しいですね(笑)
永原: はい(笑)この業界ってコンピュータ好きで入ってくる人多いじゃないですか。僕はほとんど正反対ですね。
川井: そうなんですか。ただゲームには興味があってちょっと触ってみた、というのがきっかけなんですね。
永原: そうですね。それが中学時代になります。あとは専門学校時代、二十歳前後のころに、一人暮らししている友達のところに夜な夜な遊びに行って、朝までゲーム漬けというのが2年くらい続きました。それでゲームは終わりですね。あとは一切、興味無くなってしまいました。
川井: ちなみに今おいくつなんですか?
永原: ちょうど40歳になったばっかりです。
川井: 同世代ですね。じゃあパックマンとか・・・
永原: そうですね。ギャラクシアンとか。
川井: パソコンでやるゲームは当時なかったんですか?
永原: Webエンジニア武勇伝 永原篤氏(永原ひつじ氏)そうですね。ゲームセンターには行ってましたよ。悪い仲間がいっぱいいましたので(笑)それは置いておいて、そんな商売人の家庭なんで、どっちかというと自分は何かをつくる、ものづくりの方に行きたいという思いがあり、工業高校に行ったんです。それでお母ちゃんからは「金ないんだから早く働け」とか言われていましたね(笑)
川井: (笑)
永原: 実家が大阪の難波にあるポッカっておでん屋やってるんですよ。こないだ親父がTVチャンピオンのおでん大会で戦ってました
川井: そうなんですか。
永原: 工業高校を卒業してからしばらくはフラフラしていました。マクドナルドのアルバイトマネージャをしたり、単車が好きだったのであちこち旅行に行ったりと、ぷー太郎生活を2年くらいしていました。
川井: なるほど。
永原: それもちょっと飽きたころに、就職するかということでコンピュータの専門学校に一年だけ通いました。コンピュータの考え方を学ぼうと思って行ったんです。
川井: なんでまた就職先にコンピュータ関係を学ぼうと思ったんですか?
永原: Webエンジニア武勇伝 永原篤氏(永原ひつじ氏)就職先にコンピュータ関係を選んだのはたまたまです。専門学校でコンピュータの考え方を学んだので、これからはやっぱりコンピュータだろうと思いまして(笑)それで、物事の整理の仕方を学ぼうと思って、本当は会社も腰かけのつもりで行ったんです。
川井: そうなんですね。
永原: とりあえず面接に行ってみたら「じゃあ来週から」って言われて、そんな就職の決め方をしましたね。
川井: なるほど(笑)
永原: それでしばらく仕事をしている間に、母親が病気で亡くなってしまいまして、当時家庭の事情もあって母親と二人で暮していたので、21歳でいきなり一人暮らしになったんです。どうやって食っていこうという状況になってしまったんですよ。それで仕事を辞められなくなったんです。
川井: なるほど。
永原: なので、今までやってきたという感じですね。
川井: そういうわけでしたか。
永原: もう今更仕事変えるのもなんやし、なんて思って(笑)
川井: (笑)
永原: だから最初は本当に、コンピュータの考え方を勉強するためだけにコンピュータ業界に入ったんですけれども、たまたま周りの要因で辞められなくなって、今に至る、という感じです。
川井: なるほど。
永原: だけど気が短いので、入ってもすぐ喧嘩をして会社を辞めたりしました(笑)
川井: そうなんですか。
永原: 結局これまで3社行ったかな。で、今は独立して一人なんですね。最後にいた会社とはすごい仲良しで、今もパートナーとしてやらせてもらっています。
川井: なるほど。
永原: 最初にいた会社は喧嘩して辞めて・・・2社目は知り合いと一緒に始めたんですが、バブルの波にのまれて、辞めようかなって言ってた頃に、最後に行ってた派遣先にひろわれて、長い間お世話になりました。その会社で転勤とかもあって、こっち(東京)にきました。
川井: なるほど。そのあたりもう少し詳しく聞きたいですね。
世の中の仕組みを知りたい
川井: 最初はどんな会社に行かれたんですか?
永原: 最初はシステムを作っている会社です。業種は一貫していて、何人かずつのチームを派遣して・・・汎用コンピュータなどですね。COBOLの世界でした。
川井: COBOLですか。
永原: Webエンジニア武勇伝 永原篤氏(永原ひつじ氏)まあ、当時から上司に食ってかかるような感じでしたよ。「仕様書のおまじない」とか出てくるんですけど、「おまじないってなんや、ちゃんと教えろ」みたいな(笑)
川井: (笑)
永原: とことんまで突きつめないと気がすまないタチなんですよね(笑)
川井: なるほど。
永原: そんな事をしながらコンピュータを学んで、まあやっぱりうまくいかなくてですね。当時若かったので、とんがってたんでしょうね。喧嘩して辞めちゃいました。
川井: チームで現場に常駐するわけですよね。
永原: そうです。
川井: 何次請けくらいでやられてたんですか?
永原: その時は、上がユーザのシステム部門だったのでいい位置にいたとは思います。実質的には一次請けですね。
川井: そうなんですね。
永原: 場所が工場の中なのでプレハブで、現場のおっちゃんと一緒に作業服を着てました。ラインが止まったらおっちゃんが殴りこんでくるような、それはそれで楽しい世界だったんですよ。仕事は楽しかったです。
川井: 製造業系のシステムだったんですね。
永原: そうですね。製造業ですね。もうだいぶ前ですよ。今僕が40歳なので、20年近く前ですね。
川井: もうCOBOL一辺倒ですか。
永原: そうですね。その当時は、COBOLで一生飯食えるもんだと思ってました(笑)
川井: なるほど。
永原: で、最初の会社は結局2年くらいで辞めたんですよ。それで次に、知り合いと一緒に会社を始めました。
川井: はい。
永原: それも、1年ちょっとしかもたなかったですね。飽きっぽいんでしょうね。
川井: それはどういった会社だったんですか?
永原: 一緒ですよ。たまたま会社が変わっただけで、同じ仕事をやっていました。
川井: 製造業のシステムですか?
永原: ええ、COBOLでシステムを作る仕事です。当時、保険会社のシステムなんかもやってました。若い頃なので業種なんて選べるわけでもなく、「あっち行け」と言われたら「ハイ」って行くだけでしたね。まあそんな中でもプログラムつくるのが楽しくてやってました。
川井: 勉強はどうされてたんですか?仕事の中でですか?
永原: そうですね。汎用のCOBOLをやってるころは書籍がなくて、すべて仕事の中で勉強しました。やっぱり、もとが飲み屋の息子ですので、仕事は飲みからだと(笑)
川井: (笑)
永原: Webエンジニア武勇伝 永原篤氏(永原ひつじ氏)とにかく、「色んなことを教えろ」とうっとうしがられるくらい上司にくっついていきました。「プログラムなんて勝手に覚えるからそんなのはいらない、世の中の仕組みを教えろ」とか、そんなことばっかり言っていましたね。
川井: なるほど。かなりやんちゃだったんですか?
永原: そうですね。
川井: 見えないですねぇ。
永原: そうでしょ?(笑)丸いでしょ?だいぶ太ってきたんで・・・
川井: (笑)
永原: とにかく仕組みがどうなってるのかなっていうことが知りたかったんです。ほんの少しだけど、答えが見え始めたのなんて最近ですよ。世の中に勝ち組はひとりしかいないんじゃないかと思っていて、「そこに行くにはどうするんやろ。全員と競争しなきゃいかんのか」みたいな考え方を20代の頃はしてましたね。
川井: なるほど。じゃあ目的としては、勝つためにみたいな感じですか。
永原: そうですね。何も分からなかったので、とにかく自分が生き残るためにはどうしたらいいんだろう、って。
川井: 生き残るためにですね。
永原: はい。生き残りっていう言葉もわかりませんでした。早くに母親が亡くなってるし、「死ぬってこういうことなんやろうな」とか「何かせないかんのや、俺って一人で食って行けるんだろうか」とか焦りが募りましたよ。
川井: なるほど・・・。
永原: 24〜25歳の頃はそんな感じで一人暮らししていました。本当にお金がないし、またそのぐらいの年の頃って、お金のセーブの仕方がわからないじゃないですか。
川井: そうですね。
永原: Webエンジニア武勇伝 永原篤氏(永原ひつじ氏)本当に貧乏で、平日は仕事して土日は自動販売機の下の100円玉取って。お米食いたいって思ったら近くの田んぼに行ってちょっと稲もらってきて脱穀してみたりして、「ああこんなん無理!」とか、そんなことばっかりして遊んでました(笑)
川井: 給与はかなり低かったんですか?
永原: 当時の24〜25歳の給料なんで、大した給料じゃなかったですね。でも、細々とやっていけば食って行けたはずなんですよ。
川井: なるほど。
永原: けども、まずは飲みやろっていうところがあるので、何か匂いがしたら飲みにいきました(笑)
川井: 飲み代なんですね(笑)エンゲル計数ではなくて。
永原: はい。昔はヘビースモーカーでしかも飲んでばかりいましたけど、とにかくそこは大事や、減らされへんと思ってました(笑)そこを減らすくらいなら飯は食わないくらいの勢いですね。
川井: (笑)
永原: 昔の上司は・・・僕がおにぎりだけ作っていって米食ってるのが3日間ぐらい続くと、4日目くらいからその上司の奥さんが僕の分もお弁当作ってくれるわけですよ。ごちそうさまです!とか言って(笑)
川井: そういうのなんかあったかいですよね(笑)
永原: はい。そんな世界でやってましたね。今も本当に感謝しています。
川井: 残業代とか当時はなかったんですか?
永原: ありましたけど、残業のある仕事とない仕事がありましたし。
川井: そうですね。
永原: しかも当時から残業嫌いでですね、だらだら時間を過ごすのが大っ嫌いなんです。残業してるくらいなら・・・
川井: 飲みに行く(笑)
永原: はい(笑)そんなことばっかりしてました。
川井: お酒はお強いんですか?
永原: 好きですけど、全然だめですよ。今も昔も無茶ばっかして飲んでただけです。基本的には弱いです。
川井: (笑)そうなんですか。2社目もそんなに肌に合わずに・・・ということですか?
永原: 会社の中のメンバーとは仲良くなるんですけど、上司にたてつく癖があってですね。よくないですよね(笑)
川井: なるほど。私と似ていますね(笑)
永原: Webエンジニア武勇伝 永原篤氏(永原ひつじ氏)下はかわいいし、仲間とは一緒にやろうって思うんですけど、上がわからんこと言ってきたら「なんでそうやねん」と突き詰めてしまう。大人の事情を理解しないんですよね(笑)お前の引き出し全部開いてやる!っていう感じでした。
川井: 同じことやってました(笑)
永原: ひどい話ですよ。おじさんになってきて部下に同じことされて、ああ、痛い痛いとか思いながら仕事してますよ(笑)
川井: そうなんですよねぇ。僕ね、昔の上司に謝ったことあります。「すいませんでした、気持ちがよくわかりました」って(笑)
永原: あ、わかります。僕も何回か謝ってます(笑)
アドクリエイション時代、インターネットとの出会い
川井: 3社目はどんな感じですか?
永原: Webエンジニア武勇伝 永原篤氏(永原ひつじ氏)2社目を辞めた時にはこの業界自体を辞めるつもりでいたんですけれども、たまたまその時仕事をもらってたアドクリエイションの副社長から、「お前ちょっと考えろ」と言われたんです。
川井: はい。
永原: 「お前来月からどうするんだ。飯食えへんやろ」と言われました。「そやな」と思い、しょうがなく「厄介になっていいですか」と言って、しばらく・・・・・14年ほど厄介になったんですね。
川井: アドクリエイションさんに14年ですね。けっこう長いですね。
永原: はい。
川井: アドクリエイションさんではC言語とかやられてたんですか?
永原: いえ、やっぱりCOBOLでしたね。当時はCOBOLの仕事ばっかりだったんですよ。
川井: そうなんですね。
永原: それが、たまたまある日上司からシステムを作ってくれと言われた時に、まあCOBOLのつもりで「はーい」と言ったんですけど、でもその頃パソコンが流行ってきてて、クライアントサーバだとか、VisualBasicだとかが出てきていたんです。
川井: はい。
永原: それでまた、パソコンとの再会があったんですよ。「マウスってなにこれ、指がつるから嫌だ」とか、20代なのにおじさんみたいなこと言いながらやりました(笑)
川井: (笑)
永原: Webエンジニア武勇伝 永原篤氏(永原ひつじ氏)でもまあやってるうちに、これはすごいなとカルチャーショックを受けまして、それからクライアントサーバ型の開発を始めたというわけです。そしたら、こういう便利なものがあるんなら楽しいなと思ったんですよ。顧客も喜んでくれるし、お客さんに入り込んで仕事してしたので、余計に楽しかったですね。
川井: はい。
永原: でもやってるうちにクライアントサーバも飽きてきちゃいまして。コンピュータ業界の仕組みがだんだんと見えてくるんですよ。「派遣ベースでは嫌だ」とか、「こんなことでは面白くないから辞める」、ってまた言い出すわけですよ(笑)
川井: なるほど。
永原: その時にインターネットに出会ったんです。
川井: はい。
永原: クライアントサーバで4年くらい仕事をした後、当時の上司が「インターネットをしなさい」と言ってきたんです。だけど僕は当時、それをパソコン通信のことだと思っててたんで、「オタクは嫌いだ。どっかいけ」とか言って、一切インターネットはしなかったんですよ(笑)
川井: (笑)
永原: インターネットとパソコン通信の違いもわからずに、何か通信していてパソコンで誰かとしゃべってる・・・もう気持ち悪いからどっかいけとか言って、頑なに拒否してましたね。でも上司は、とにかくつなげと無理やりモデムを持ってきて押しつけるわけですよ。
川井: (笑)
永原: Webエンジニア武勇伝 永原篤氏(永原ひつじ氏)じゃあしゃあないなとなりまして。当時、月1,000円とかの安いプロバイダでつないでみて実際にインターネットを覗いてみたんです。検索エンジンとかあったんでしょうね。それでアメリカの情報を色々見て「ああ、これはリアルタイムで変わってるんだ」っていうのを実感したときに世界が変わりましたね。
川井: なるほど。
永原: すごいなこれはと思いました。
川井: それは、3社目に入られて何年目くらいの時ですか?
永原: 3社目に入って5〜6年経ってからですね。
川井: ほう、5〜6年というのはけっこう頑張られてたんですね。
永原: そうですね。5〜6年はクライアントサーバがしばらく面白かったので働いてました。ちょっとはまってたんですね(笑) 
川井: その5〜6年の技術要素って、どんな感じで開発されてたんですか?
永原: その間はVisualBasicでした。クライアントサーバのシステムで、サーバというものがあるんだとわかって、なるほどと思いましたね。
川井: それも一から覚えられたんですか?
永原: 覚えました。もう当時は本が出ていたので日本語の本をたくさん読みました。
川井: 独学ですね。
永原: そうですね、独学ですね。どっちかっていうと教えるほうが好きなので、覚えたことをみんなに教えたりしていました。


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屋号 オープンソース・ワークショップ
http://opensource-workshop.jp/
代表 永原 篤
所在地 〒135-0062 東京都江東区東雲1-9-41-3301
事業内容

オープンソースを中心としたソフトウェアを使用し、お客様にシステムを提案・開発します。

また、関連会社のアドクリエイション株式会社よりご提案させて頂くことも可能です。

関連会社

アドクリエイション株式会社( http://www.adcnet.co.jp )



実はこの方が紹介者→ Webエンジニア武勇伝 第31回 株式会社RYUSの代表取締役・天野龍司氏
次に紹介したのは→ ※現在オファー中!!乞うご期待!!
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